裁判年月日 令和 2年 2月18日 裁判所名 広島高裁 裁判区分 判決
事件名 威力業務妨害、わいせつ文書頒布被告事件
裁判結果 棄却 文献番号 2020WLJPCA02189002
理由
第1 控訴趣意
本件控訴の趣意は,弁護人岩西廣典作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるから,これを引用する。
論旨は,封筒に人糞等を入れて大使館等に送付した被告人の行為は,公館の関係職員を不快な気持ちや侮辱された気持ちにさせることはあっても,畏怖させるに足りる状態にまでは至らせてはいないのに,人糞を危険物との意を込めて「人糞ようの不審物」と証拠に基づかない認定をし,このような物が在中しているとの不安を抱かせたなどとして威力業務妨害罪の成立を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があり,刑法234条の「威力を用いて」の解釈適用を誤った法令適用の誤りがあるというのである。
そこで,記録を調査して検討する。
第2 検討
1 原判決が認定した罪となるべき事実の要旨
原判決が認定した本件威力業務妨害罪の要旨は,被告人が,文書(後記①ないし③は「日本人が拉致されているのに北朝鮮に援助は拒否する。韓国とは国交断絶へ。日本の金はとるな。泥棒。出て行け。韓国にはうんこをプレゼントします。」と記載したもの,後記④は「日本人拉致者を巻き込んて金正恩朝鮮労働党委員長を支援することははっきりと断ります。」と記載したもの,後記⑤は「日本人拉致者を巻き込んで文在寅韓国大統領が金正恩朝鮮労働党委員長を支援することは断じてゆるせん。韓国とは国交断絶へ。出て行け。SK Materials Japan!」と記載したもの)及びビニール袋入りの人糞を封入した封筒を,①平成31年1月20日ころ駐新潟大韓民国総領事館(原判示第1の1)及び②駐広島大韓民国総領事館(同第1の2)に,③同月22日ころ駐日本国大韓民国大使館(同第1の3)に,④同年2月17日(同第1の4)及び⑤同年3月22日に駐広島大韓民国総領事館(同第1の5)にそれぞれ宛てて投函し,いずれも到達させて(以下,被告人が文書と糞便の入った封筒を各総領事館等に郵送し,配達人を介して各総領事館等まで到達させた行為を,まとめて「本件郵送行為」といい,郵送先となった各総領事館等を「本件各公館」という。),本件各公館の関係職員らに人糞ようの不審物が在中している旨の不安を抱かせるなどし,これにより,警察への通報等の対応を余儀なくさせて,その正常な業務の遂行を困難にさせたというものである。
2 原判決の(争点に対する判断)の項の説示の要旨
⑴ 本件各犯行の経緯と本件各公館の対応については,原判決が(争点に対する判断)の項の2で説示するとおりである。このうち,同2⑷の本件各公館の対応は,要するに,前記①,③では開封して内容物を確認した上で警察への通報等を行ったが,前記②,④,⑤では封筒の外観等から不審物と判断し,警察への通報等を行った後,警察官立会の下で開封して内容物を確認したというものである。
⑵ 原判決は,この事実関係を前提にして,被告人の本件郵送行為が「威力を用いて」に該当することについて,(争点に対する判断)の項の3⑵において,次のとおり説示している。
「本件封筒は,宛先だけで差出人の記入がなく,その外からは内容物が分からない体裁のものであった。開封前から異臭がするものもあったが,開封して初めて人糞ようの汚物が入っていることが確認できた。人糞はそれ自体が直ちに有害なものではないとしても,一般に,他人の糞便には,汚物として嫌悪感を抱き,糞便が入った封筒が一般の郵便物として郵送されてくることなどは誰も思いもよらない異常な出来事であって,そのような汚物が入った封筒を目にしたりするだけでも不快で,予期せずに手に取ったりすれば強い嫌悪感を感じるものである。そして,そのような異常な行動に出る送り主の強い悪意を窺わせる点でも不安を高じさせる。また,公館はその外国を代表する施設であり,公館に糞便を送りつけることは,その国への侮辱を意味するから,公館の職員としては,公館の安寧や尊厳を守るためにも,このような行為の目的,政治的,組織的な背景の有無を考察し,前述したようなさらなる加害行為にエスカレートするおそれも警戒して,警察への通報や,本国の上級機関等の関係各機関への報告等を行うか否かの検討を差し迫って求められることになる。さらに,一見人糞のように見えても,人体に有害な物質が仮装されていないかどうかは,科学的な分析を経ないと確定できないから,公館の職員は,『アメリカ炭疽菌事件』のように,公館を攻撃するために危険物が送られてきたのではないかとの不安や危険を感じることもあろう。このように,公館に糞便を送り付ける行為は,これを受け取った公館の職員が強い嫌悪感を抱いたり,危険物が送られてきたのではないかと不安を覚えたり,あるいは,公館の関係職員は,他の業務を差し置いても,このような不審物に対する警察や関係機関へのしかるべき対応を余儀なくされることになる。このような意味で,公館に糞便を送付した本件行為は,公館の関係職員らの自由な意思を著しく制約するに足りるものであり,威力に該当する。」
この原判決の説示に,論理則,経験則等に照らし不合理な点はない。
⑶ この説示に関し補足すると,本件郵送行為は,開封後,その内容物を確認した本件各公館の関係職員に対し,著しい不快・嫌悪の情を抱かせて心理的動揺を生じさせ得るとともに,人糞を封入するという異様さと同封の文書の内容等とが相まって,氏名不詳の送り主が当該国に対する強い敵意を有する人物であり,今後公館の関係者らに対する加害行為へと行動を発展させるのではないかという不安を抱かせる性質のものであったといえる。また,その外見・臭気等から人糞である蓋然性が高いと当時考えられたとしても,病原菌等の人体に有害なものが混入している可能性も否定できず,危険物であるという不安を抱かせるものであったともいえる。被告人の行為は,客観的に見て本件各公館の関係職員に対し上記のような心理的威圧感を与えて事実上業務遂行に支障を生じさせる性質のものであり,人の自由意思を制圧するに足る作用を有するものとして「威力を用いて」に該当するというべきである。なお,本件郵送行為後,因果の流れとして開封に至る蓋然性は高いとはいえるものの,犯罪が成立するのは現実に本件各公館の関係職員が開封して内容物を確認した時点と解するのが相当である。この点について,原判決の(罪となるべき事実)では,本件各公館の関係職員に開封させたことを明示してはいないが,実体としては,前記のとおり,いずれの犯行でも,警察への通報の前後において,本件各公館の関係職員により開封されており,原判決の(罪となるべき事実)中の「到達させて」の文言には,「到達させ,公館の関係職員に開封させて」との趣旨を含むものと解するのが相当である。
3 所論の検討
所論は,原判決が,本件各公訴事実中の「人糞ようの汚物その他の危険物が在中している旨の不安を抱かせるなどし」との記載部分について,(罪となるべき事実)で「人糞ようの不審物が在中している旨の不安を抱かせるなどし」との表現に変えて認定したのは,(争点に対する判断)の項の3⑵の前記説示内容と合わせて見れば,「不審物」に危険物との意を込めた趣旨であると指摘した上で,実際には危険物は入っておらず,関係職員らがそのような不安を抱いていたという証拠もない(控訴趣意書によると,原審において,弁護人は,人糞以外に危険な物が入っている可能性があるという危機意識があった旨の記載部分は全て不同意としたと主張している。)から,前記認定は事実誤認であるという。
しかし,弁護人が不同意にしたという部分を除いた関係証拠によっても,本件各公館の関係職員が不審物であるとの不安を抱いたと推認することは,論理則,経験則等に照らし不合理とはいえず,原判決に所論がいうような事実の誤認はない。本件郵送行為により到達した封筒を本件各公館の関係職員に開封させて内容物を認識させることが「威力を用いて」に該当するかどうかは,行為の態様,当時の客観的状況,妨害の対象となる業務の性質・内容等からして当該業務を妨害するに足りるような性質・程度のものであるかという観点から客観的に判断すべきものである(弁護人が控訴趣意書7頁で,威力の認定は社会通念に基づいて行うものであると主張しているのも,同趣旨と解される。)。原判決の(争点に対する判断)の項の3⑵の前記説示は,本件郵送行為の「威力を用いて」の該当性の客観的判断として経験則等に基づく評価を示したものであって,実際に本件各公館の関係職員が説示にあるような不安を抱いたことを認定した趣旨のものでないことは明らかである。
これに対し,原判決の(罪となるべき事実)は,被告人の行為により実際に生じた前記職員の自由意思の制圧と正常な業務の遂行の阻害という具体的事実を認定することにより,本件について危険犯である威力業務妨害罪の該当性を示すとともに,その危険が現実化したことを情状事実として摘示したものと解するのが相当である。
なお,この点に関し,所論は,原判決の(罪となるべき事実)中の「人糞ようの不審物が在中している旨の不安を抱かせ」との認定部分と,(争点に対する判断)中の「一見人糞のように見えても,人体に有害な物質が仮装されていないかどうかは,科学的な分析を経ないと確定できないから,公館の職員は『アメリカ炭疽菌事件』のように公館を攻撃するために危険物が送られてきたのではないかとの不安や危険を感じることもあろう」との記載部分を対比すると,そこにいう不安の内実は別物といえるから,威力該当性の判断について,刑訴法378条4号後段の「理由にくいちがいがある」場合に当たるとも主張する。しかし,実質的に両者の「不安」の内実が異なっているとはいい難い上,(罪となるべき事実)の項における認定の意義と,(争点に対する判断)の項における「威力を用いて」該当性判断の説示の趣旨は既に指摘したとおりであって,その間に論理的な矛盾・くいちがいはないというべきであるから,この点の所論も失当である(もっとも,所論が指摘するとおり,原審で取調べた証拠に現れておらず,検察官も主張していない「アメリカ炭疽菌事件」を引用して本件の危険性を論ずる原判決の説示部分は,やや適切さを欠くことは否めない。)。
論旨は理由がない。
第3 結論
よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。
令和2年2月18日
広島高等裁判所第1部
(裁判長裁判官 多和田隆史 裁判官 水落桃子 裁判官 廣瀬裕亮)