児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

靴下を脱がせて足の裏をなめる行為は強制わいせつ罪(176条後段)にあたるかの判断方法

 いま、わいせつ行為の定義がない(最高裁大法廷h29.11.29)のでこれが強制わいせつ罪(176条後段)に該当するかの判断方法が難儀です。

https://this.kiji.is/387079651536913505
逮捕容疑は3月4日午後3時半ごろ、静岡県西部の幼稚園に侵入し、敷地内で遊んでいた女児(8)の靴下を脱がせて足の裏をなめた疑い。

「わいせつとは、いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」という高裁判例がたくさんあって、最高裁判例はありません。
金沢支部S36.5.2 
東京高裁h13.9.18 
東京高裁h22.3.1
 従前であれば、

靴下を脱がせて足の裏をなめる行為は「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」だからわいせつ行為だ

とか

靴下を脱がせて足の裏をなめる行為は「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」とは言いがたいからだからわいせつ行為にはあたらない

という理由付けで、わいせつ性を判断していました。

ところで、大法廷h29.11.29は、性的意図不要だというので、「いたずらに性欲を興奮または刺激させ」という性的意図を含む点で「わいせつとは、いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」定義は使えなくなりました。

 最近では、性的自由侵害行為とする判例(大阪高裁H28.10.27 東京高裁h26.2.13)があります。

靴下を脱がせて足の裏をなめる行為は「性的自由を害する」からわいせつ行為だ

とか

靴下を脱がせて足の裏をなめる行為は「性的自由を害する」とは言いがたいからだからわいせつ行為にはあたらない

という理由付けで、わいせつ性を判断することになります。
 大阪高裁H28.10.27は大法廷h29.11.29の原判決で、最高裁はこの定義も採用しませんでした。

 そこで、最近の裁判例は混乱していて。
「わいせつ=一般人が性的な意味があると評価するような行為を意思に反して行うこと」(東京高裁h30.1.30)と言ってみたり「その態様から見て性的性質を有するものであることは明確であり,可罰的なわいせつ行為(広島地裁h30.5.18)と言ってみたりです。、「いたずらに性欲を興奮または刺激させ・・」という定義も消え、性的自由侵害という定義も消えています。
 とすると、「わいせつの定義は■■■■■■■■■■■■■■■■であって、靴下を脱がせて足の裏をなめる行為はは■■■■■■■■■■■■■■■■なので、わいせつだ」
「わいせつの定義は■■■■■■■■■■■■■■■■であって、靴下を脱がせて足の裏をなめる行為はは■■■■■■■■■■■■■■■■ではないので、わいせつではない」という論法では判断できませんよね。

 現在、すべての強制わいせつ罪。青少年条例(わいせつ行為)について、こういう状況になっています。

 馬渡判事の論文を読んで下さい。

馬渡香津子強制わいせつ罪の成立と行為者の性的意図の要否
最高裁平成29年ll月29日大法廷判決
ジュリスト 2018年4月号(No.1517)
2.定義
(1)判例,学説の状況
 強制わいせつ罪にいう「わいせつな行為」の定義を明らかにした最高裁判例はない。
 他方,「わいせつ」という用語は,刑法174条(公然わいせつ),175条(わいせつ物頒布罪等)にも使用されており,最一小判昭和26・5・10刑集5巻6号1026頁は,刑法175条所定のわいせつ文書に該当するかという点に関し,「徒に性慾を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的差恥心を害し善良な性的道義観念に反するものと認められる」との理由でわいせつ文書該当性を認めているところ(最大判昭和32・3・13刑集ll巻3号997頁〔チャタレー事件〕も,同条の解釈を示すに際して,その定義を採用している),名古屋高金沢支判昭和36・5・2下刑集3巻5=6号399頁が,強制わいせつ罪の「わいせつ」についても,これらの判例と同内容を判示したことから,多くの学説において,これが刑法176条のわいせつの定義を示したものとして引用されるようになった(大塚ほか編・前掲67頁等)。これに対し,学説の中には,刑法174条,175条にいう「わいせつ」と刑法176条の「わいせつ」とでは,保護法益を異にする以上,同一に解すべきではないとして,別の定義を試みているものも多くある(例えば,「姦淫以外の性的な行為」平野龍一・刑法概説〔第4版)180頁,「性的な意味を有する行為,すなわち,本人の性的差恥心の対象となるような行為」山口厚・刑法各論〔第2版]106頁,「被害者の性的自由を侵害するに足りる行為」高橋則夫・刑法各論〔第2版〕124頁,「性的性質を有する一定の重大な侵襲」佐藤・前掲62頁等)。
(2)検討
 そもそも,「わいせつな行為」という言葉は,一般常識的な言葉として通用していて,一般的な社会通念に照らせば,ある程度のイメージを具体的に持てる言葉といえる。そして,「わいせつな行為」を過不足なく別の言葉でわかりやすく表現することには困難を伴うだけでなく,別の言葉で定義づけた場合に,かえって誤解を生じさせるなどして解釈上の混乱を招きかねないおそれもある。また,「わいせつな行為」を定義したからといって,それによって,「わいせつな行為」に該当するか否かを直ちに判断できるものでもなく,結局,個々の事例の積み重ねを通じて判断されていくべき事柄といえ,これまでも実務上,多くの事例判断が積み重ねられ,それらの集積から,ある程度の外延がうかがわれるところでもある(具体的事例については,大塚ほか編・前掲67頁以下等参照)。
 そうであるとすると,いわゆる規範的構成要件である「わいせつな行為」該当性を安定的に解釈していくためには,これをどのように定義づけるかよりも,どのような判断要素をどのような判断基準で考慮していくべきなのかという判断方法こそが重要であると考えられる。
 本判決が,「わいせつな行為」の定義そのものには言及していないのは,このようなことが考えられたためと思われる。もっとも,本判決は,その判示内容からすれば,上記名古屋高金沢支判の示した定義を採用していないし,原判決の示す「性的自由を侵害する行為」という定義も採用していないことは明らかと思われる(なお,実務上,「わいせつな行為」該当性を判断する具体的場面においては,従来の判例・裁判例で示されてきた事例判断の積み重ねを踏まえて,「わいせつな行為」の外延をさぐりつつ判断していかなければならないこと自体は,本判決も当然の前提としているものと思われる)。