この論稿で只木先生が引用している判例は、全部弁護人奥村徹事件です。高裁レベルでぶれています
奥村が極端個人的法益説を唱えて、やっと、判例が「第一次的には個人的法益,副次的に社会的法益」というへんに落ち着いています。
しかし,児童ポルノ法の保護法益については.いずれかの法益に限定してこれを理解することはできないように思われる(放火罪のように,主たる法益として公共の平穏を.従たる法益として個人の財産の保全をというように,法益を複合的に理解すべき場合もあ
る。なお,遺棄罪に関して,大塚仁・刑法概説(各論) (第3版増補版]58頁)。児童ポルノ各罪は,第一次的には個人的法益,副次的に社会的法益を内容としていると解さざるを得ないのではなかろうか。その立法目的からしでも,児童ポルノ提供罪と同提供目的所持罪の両罪の保護しているのは主に社会的法益であるという解釈は導かれにくいと思われる。児童の承諾があった場合や児童が死亡していた場合の問題性については,以下に示すとおり.本罪には,副次的に社会的法益を内容としているという側面があると解することで対処が可能であり.疑似写真の規制については,児童ポルノの単純所持自体を処罰することの可否とならんで,将来に向けて検討すべき課題のように思われるのである。
2 児童ポルノ提供罪と提供目的所持罪との罪数関係について.下級審判例においては,包括ー罪と解したものと併合罪と解したものとがある