児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

中谷雄二郎 罪数の判断基準再考 植村立郎判事退官記念論文集 第1巻 p51

 だんだん昔の奥村説に近づいています。
 個人的法益を重視すると、訴因上被害児童を(人相着衣等で)特定する必要が出てきますよ。それはおかしいという大阪高裁判決があるんですけど。

中谷雄二郎 罪数の判断基準再考 植村立郎判事退官記念論文集 第二巻 p51
これに対し,児童ポルノに係る犯罪のうち,提供の罪は,不特定又は多数の者に提供することを予定する集合犯であるから,同ーの画像データに係る児童ポルノ数個を不特定又は多数の者に提供しても,包括ー罪と評価できるものの,児童ポルノ提供,所持等の罪の保護法益は,児童ポルノの対象となった
児童の権利を含み,被害児童ごとに個別性・独立性が認められるから,同一被害児童に係る同ーの画像データの児童ポルノであっても,その製造,所持,提供の各段階ごとに保護法益の侵害があるというべきであり, これらを包括評価することは許されないこととなる。
なお,平成21年7月決定Iは,複数の提供行為や所持行為を行った場合に,提供の罪又は所持の罪として包括ー罪になるのか各行為ごとに併合罪となるのかについては触れていないことから,これらの罪数関係については今後の課題として残されたものと解される45) ところ,この点は,次のように考えられる。すなわち,児童ポルノに係る製造,提供,提供目的所持等の罪の客体は,写真のほか, SDカード,パソコンに内蔵又は外付けされるハードディスク, DVDやブルーレイディスク等の電磁的記録に係る記録媒体その他の有体物であって,児童ポルノ法2条3項各号所定の児童の姿態を撮影するなどした画像データが記録された児童ポルノであるから,画像データの個数が罪数判断における最も基本的単位といえる。同時に,個々の被害児童ごとに法益の個別姓・独立性が認められるという同決定Iの趣旨からは被害
児童の人数を,犯罪の客体が記録媒体である児童ポルノであることからは記録媒体の個数も,併せて考慮すべきであろう46)。
平成21年7月決定Iの先例的価値は,児童ポルノ提供の罪と同提供目的所持の罪とが併合罪であることを明らかにして,実務上の争いに決着を付けるとともに,個別性・独立性のある法益を製造,所持,提供等の各段階ごとに侵害した場合の罪数判断の在り方についても,指針を与えるものといえよう。

46)
具体的にみると,児童ポルノの製造において,同一被害児童を異なる機会に撮影して記録媒体に記憶・蔵置する場合,撮影の機会ごとに製造の罪が成立するが,これらの画像データを一体の画像データに編集して記録媒体に記憶・蔵置する行為は,包括ー罪となろう。また,数人の被害児童を撮影する場合であっても,同一機会に一体の画像データとして撮影して記録媒体に記憶・蔵置する限り,包括ー罪といえよう。
他方,製造が連鎖する場合,例えば,デジタノレビデオカメラで撮影した画像データをいったんSDカードに記憶・蔵置した上,パソコンのハードディスク, DVDと順次記憶・蔵置していった場合には,各段階ごとに製造の罪が成立するが,同ーの画像データが複数のDVD等にコピーされる場合は,個々の行為の独立性に乏しいことから,被害児童らの法益を1回侵害したものとして,包括ー罪と評価できょう。
次に,児童ポルノの提供目的所持において,数個の画像データを記録したl個の記録媒体を所持した場合は,内容を異にする画像データごとに提供目的所持の罪が成立して,全体として観念的競合の関係に立つことになる。同一被害児童に係る数個の画像データが同ーの記録媒体に記憶・蔵置された場合も,画像データとして異なる限り,独立して法益侵害があったといえるから,同様に解すべきであろう。
なお,児童ポルノ提供の罪は,不特定又は多数の者に対する行為を予定する集合犯であるが,異なる画像データごとに独立した法益侵害があると解されるから,包括評価できるのは,同一の画像データに係る児童ポルノの提供行為に限られることになろう。
そして,提供目的で児童ポルノを製造し,所持し,提供した場合には,同ーの児童ポルノに係る場合であっても,各段階ごとに被害児童の性的権利が侵害されたものとして,それぞれ別罪が成立し,併合罪の関係に立つことになる。

紹介されているいくつかの判例の弁護人は全部奥村です。
弁護人奥村徹の主張を排斥しつつ、実は裁判所が右往左往していたことが明らかです。
わからないなら被告人に有利な解釈をとればいいのに、分からないくせに、分かったような顔して、何人も刑務所に送っておいて、最後は奥村説というわけです。