刑法的には、正犯者を覚知してなくても幇助ですよね。
刑事裁判官は著作権法なんて知らないので、そこを学習させないと、民刑は一致しません。
「幇助」の拡張解釈の限度
「幇助」の概念をどこまで拡張できるかについての論点として,「正犯を間接に幇助した場合」があり、その場合でも幇助が成立するというのが判例の流れのようです。すなわち、幇助者は正犯が最終的に誰によって実行されるかを確知する必要はなく、例えば、被告人が、「甲またはその知人が不特定多数者のために上映するであろうことを知りながら」わいせつフイルムを甲に提供し、実際には甲の知人の乙がこれを上映した場合でも、正犯乙の「わいせつ物陳列」罪を間接的に幇助したものとされています(最高裁判例解説・刑事編・昭和44年度・p277)。
公益と私権の混同
しかし、本件では、金子氏は,正犯A、BがWlnnyをダウンロードするであろうことや、Winnyを起動してゲーム-ムソフトを送信可能化するであろうことを具体的に知る由もないのです。金子氏が予知し得る「正犯」は、不特定多数の「公衆」そのものであり、金子氏が予知し得る送信対象の著作物は、市販の音楽ソフトまたはゲームソフトの総体そのものです。
すなわち、複数の潜在的な正犯該当者のうちの少なくとも1人を知っていることを前提とする「間接封助」論などの拡張解釈を本件に適用する余地はないのです。
言い換えれば、著作権は、基本的には私権であり、著作権侵害の罪が権利者の告訴を条件とする「親告罪」であるのも、著作権の私権性に由来するものです。かりに、金子氏の「不特定多数の者に対する『価値中立的』な技術の提供」が著作権秩序という公益を侵害するというのであれば、非親告罪の刑罰法規をすみやかに立法化すべきです。本判決は,公益の侵害を私権の侵害として処罰している点で、基本的な誤りを犯すものと評すべきでしょう