児童共犯説の根拠があったよ。
第156回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号
平成十五年五月八日(木曜日)
午前九時開議
○青山委員長 これより会議を開きます。
内閣提出、インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律案を議題といたします。
本日は、本案審査のため、参考人として、東京都立大学法学部教授前田雅英さん、東京都立大学人文学部助教授宮台真司さん、株式会社NTTドコモiモードビジネス部企画担当部長森健一さん、文化女子大学文学部健康心理学科教授野口京子さん、ECPAT/ストップ子ども買春の会 共同代表宮本潤子さん、日本弁護士連合会子どもの権利委員会委員坪井節子さん、以上六名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、参考人各位から、お一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。
それでは、まず前田参考人にお願いいたします。
○前田参考人 御紹介いただきました前田でございます。
私は、専門が刑事法でして、刑事法学者としてこのような場で発言をさせていただく機会を与えていただきまして、本当に光栄であり、感謝申し上げる次第でございます。
その立場から、大きく言うと二点ですけれども、インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律案について意見を申し述べたいと思います。
一つは、前提でございますけれども、今の青少年の置かれている状況を刑事法学者から見てどうとらえるべきか。非常に危機的な状況にある。犯罪状況も、日本全体の犯罪状況が危機的なわけですけれども、その中でも、少年犯罪の問題、それから少年の規範の喪失の問題、逸脱の問題というのは非常に危機的である。その中で、インターネット異性紹介事業を利用して、長い名前ですのでちょっと省略しますけれども、この法律案をつくることは非常に重要なことであるというふうに考えております。
お手元にグラフをお配りしてありますように、これはどこにでもあるグラフなわけですが、犯罪率が今、異常な状況にあります、このグラフと、さらにそれに絡んで十代の少女の中絶件数ですね、未成年者の中絶の異常な増加が、ここ五年、進行している。それから、後の方にもグラフがありますけれども、少女の犯罪の増加が著しい。
それと児童買春それから児童売春みたいなものと直接結びつけるということは短絡に過ぎるわけですけれども、大きな流れとして、非常に厳しい犯罪状況、少年少女を取り巻く犯罪状況の中で、本当に少女を守っていくためにどういう規制をしていくのが合理的かということを、今までよりも一歩踏み込んだ形で考えなければいけない状況に立ち至っているというふうに私などは考えている次第でございます。
本法は、刑事法学者から見て一番注目すべき点といいますか、特徴といいますか、画期的な点は、一見被害者に見える少女まで罰を加える、これを刑法理論的に説明できるのかという問題がございます。
今までの議論からしますと、それは処罰までする必要はないという議論に結びつきやすかった面もありますけれども、刑法の理論の動きも変わってきておりますし、それからもう一つ重要なポイントは、先ほど申し上げた状況の変化、そこに、東京都で調べた、高校の女生徒の性体験の率の変化なんかもございますけれども、ここ最近の動きが著しい中で、非常に形式的な、被害者なき犯罪は処罰すべきでないというような議論が意味を持つのかということなんですね。
大前提として、少女が売春をするということの是非自体にも御議論があると思います。私も学者といっても一定の立場性がございますから、私は、やはり買春というものは悪である、違法であるという立場に立って、それをどう禁圧していくべきか、もちろん、禁圧の仕方によってはマイナスがかえって大きくなるわけですけれども、禁圧することによって少女自身を守っていけるのではないか、また、そういうことを考えるべき時期に来ているのではないかということを申し上げたいと思うのです。
児童買春の実態、これはもう政府委員の側からるる御説明があったと思うんですけれども、単に買う側の大人のみを処罰すればうまくコントロールできるかというと、つまり少年が守れるかというと、その段階は過ぎている。マスコミの報道の中にも、生活のためにやむにやまれず売春をしている高校生がいるみたいな書き方をしたものがあるんですが、これは、我々専門家から見ますと、非常にお笑いなんですね。生活のための窃盗犯みたいなものの割合の低さとか、それから現実の実態を警察から聞いてみますと、そんな現実とはかけ離れている。
児童からの搾取というようなことで、条約なんかもできているわけですけれども、世界的なレベルで前提としていた少女の買春のありようと、日本の援助交際といいますか、買春のありようというのは質的に異なる。それに対して、やはり日本の現状に合った法規制というものを考えていかなければいけないというふうに考えております。
非常に短い時間しかちょうだいしておりませんので、お配りしたレジュメの全部に触れることができなくて申しわけないんですが、二番目の「刑法理論の変化と被害者処罰」というところに移ってまいりたいと思います。
被害者が処罰されるべきでないとか、現実に被害がないから処罰する必要がないという議論、これは、一九六〇年代、もう今から三、四十年前にはやった議論で、非常に強くその時期から主張されてきた面はあるんですが、徐々に変わってきている。
そのころの一番強い議論は、薬物、覚せい剤なり大麻なりを自己使用するというのは、被害者がいないんだから処罰しなくていい。アメリカなんかではまさにそういう議論が強かったし、日本でも、学者の中ではかなりの数の人が、自分で自分を傷つけるんだから、覚せい剤を使って何で処罰するんですかという議論をしてきたわけですね。
しかし、だんだん、それでは余りにも皮相的な説明であって、本人自身を苦しめる、その本人を処罰することによってそういうものを抑止するということが、広い意味で社会全体の利益にもつながる。
今回のメーンとなる、児童が被害者ではあるわけですけれども、片一方で、売買春を誘引する行為を行う。これはやはり、一面では被害者という面もありますけれども、そういう風潮が広がることによって、一般の少女がそういうものに触れる機会がふえて、そういう環境ができることによって、また、買春以外の強姦とか恐喝その他の犯罪に巻き込まれる可能性もふえている。そういういわば社会法益、我々の業界でいえば社会法益という言い方をするんですが、そういうものを守るために刑罰を使うという考え方が認められるようになってきた。
非常に自由主義的な意識の強かった六〇年代、七〇年代は、具体的な個人の利益が害されたところだけに刑罰を使うべきだという意識が非常に強かった。しかし、そこまで待って刑罰刑を発動していたのでは、社会をコントロールする手段として余りにも遅いのではないか。一歩手前の危険性、そういうものが発生する危険性の段階で一定の規制をかけるということ、これにも合理性があるという方向に動いてきていると思います。
最近のDVとかストーカーとか、いろいろな立法がそうなんですが、従来の基準からいくと、非常に問題があると言われてきたものです。それらについて一歩踏み込んで法規制をして、その際には、これによって、乱用されて人権が害されるんじゃないか、いろいろなマイナスがあるんじゃないかというような議論があったわけですけれども、私は、結果的にはそういう問題は起こってはこなかったというふうに評価しているのです。
ですから、今回のがいいということではないんですが、具体的に、今回の法律を合理的に考える理由というのは、具体的な数字は別途にお示しいただいていると思うのですが、やはり、ここまで問題が生じている児童の危険な状況というのをとめるには、大人の処罰だけではなくて、みずから書き込む女子高校生なんかに関しても一定のサンクションがあるということで規範を示す。刑法理論の中で、処罰することによって国民に規範を定着させていく。専門の言い方ですと、一般的積極予防の理論という言い方をするんですが、そういう考え方、規範を形成していくという考え方も十分成り立ち得る。それを選択するかどうかは、やはり国民であり、国会の場で御判断いただきたい。
私は、個人の意見としては、そういうことが必要な段階に来ている。ですから、この法案、細かいところをいろいろ、私個人として、学者として、意見がないわけではございませんが、基本的にはこの法案は今非常に時宜を得た必要な法案であるという考えを持っております。
以上です。(拍手)