立法者の消化不良が現場に押しつけられている典型です。
この論点についての照会が多いのですが、判例は3つ。
大阪高裁や札幌高裁も判例ですから、一見すると各地で矛盾する判決をバラバラに出したようですが、弁護人は全部「弁護人奥村徹」です。各地の高裁がそろいも揃って全部奥村弁護人の主張を容れない(そんな都合のいい罪数処理はできない)という点で共通しているのは癪ですが、これはこれで矛盾しないんです。
奥村は判例は国民共有だと考えてその時点での判例は隠さず控訴趣意書に引用しているので、従前の判例が控訴審での調査対象となっていて、大阪高裁H18.10.11は東京高裁H17.12.26を知った上での判決で、札幌高裁H19.3.8は東京高裁H17.12.26と大阪高裁H18.10.11を知った上での判決です。証拠でも出してます。
となると、大阪高裁は、5項製造罪は3項製造罪(姿態とらせて製造)と違って、実行行為は撮影とか複製だけで、「姿態とらせて」はないので、それと児童淫行罪の実行行為(性交・性交類似行為)は重ならないという判断。
札幌高裁は、その逆で、3項製造罪は5項製造罪と違って、実行行為は姿態とらせ+撮影・複製なので、「姿態をとらせ」と児童淫行罪の実行行為(性交・性交類似行為)は重なるという判断。
「姿態をとらせ」で区別してるんです。
かくして、3項製造罪(姿態とらせて製造)とは観念的競合、5項製造罪(不特定多数)とは併合罪というのが現在の判例です。
札幌高裁からの上告も結論はそういう説明になると予想します。3項製造罪で併合罪にすると判例変更になりますからね。
それでも5項製造罪(不特定多数)と児童淫行罪を観念的競合にして実刑になってる事件もあるんですよね。本来は管轄違にすべき事実(5項製造罪)について服役されていることになります。
東京高裁H17.12.26(3項製造罪)→上告棄却
1管轄違い及び二重起訴並びに憲法14条違反をいう各論旨について(控訴理由第1ないし第3)
その論旨は,要するに,本件児童ポルノ製造罪と同一被害児童に対する淫行罪(以下,「別件淫行罪」という。)とは科刑上一罪の関係にあるとして,これを併合罪として本件児童ポルノ製造罪について地方裁判所に管轄を認めた原判決には不法に管轄を認めた適法があり,また,別件淫行罪が既に家庭裁判所に起訴されているのであるから、地方裁判所に対する本件起訴は二重起訴であり,原判決には不法に公訴を受理した違法があり,さらに,被告人の行為についてのみ併合審理の利益を奪い,合算による不当に重い量刑をした原判決には憲法14条1項違反の違法があるというのである。
しかしながら,本件児童ポルノ製造罪について地方裁判所に起訴された訴因は,平成16年12月2日から平成17年2月17日までの間の前後6回にわたる児童ポルノの製造を内容とするものであり,他方,別件淫行罪について家庭裁判所に起訴された訴因は,平成17年3月26日の被害児童に淫行させる行為を内容とするものであって,これらの両訴因を比較対照してみれば,両訴因が科刑上一罪の関係に立っとは認められないことは明らかである。
所論は,本件児童ポルノ製造の際の淫行行為をいわばかすがいとして,本件児童ポルノ製造罪と別件淫行罪とが一罪になると主張しているものと解される。
ところで,本件児童ポルノ製造罪の一部については,それが児童淫行罪に該当しないと思われるものも含まれるから(別紙一覧表番号1及び4の各一部,同番号5及び6),それについては,別件淫行罪とのかすがい現象は生じ得ない。
他方,本件児童ポルノ製造罪のなかには,それ自体児童淫行罪に該当すると思われるものがある。例えば,性交自体を撮影している場合である(別紙一覧表番号1の一部,同番号2及び3)。同罪と当該児童ポルノ製造罪とは観念的競合の関係にあり,また,その児童淫行発と別件淫行罪とは包括的一罪となると解されるから(同一児童に対する複数回の淫行行為は,併合罪ではなく,包括的一罪と解するのが,判例実務の一般である。),かすがいの現象を認めるのであれば,全体として一罪となり,当該児童ポルノ製造罪については,別件淫行罪と併せて,家庭裁判所に起訴すべきことになる。
大阪高裁H18.10.11(5項製造罪)→上告棄却
原判示の児童に淫行をさせる罪に係る行為である被告人らと児童との性交等とその場面を撮影した行為とは,時間的には重なっているものの,法的評価を離れ構成要件的観点を捨象した自然的観察の下では,社会通念上1個のものと評価することはできないから,両者は併合罪の関係にあるというべきである。論旨はその前提を欠き,理由がない。
札幌高裁H19.3.8(3項製造罪)→上告中
児童に淫行させながら,その児童の姿態を撮影したというものであり,児童淫行罪であるとともに児童ポルノ製造罪に該当する。これらの児童に淫行させる行為とその姿態を撮影する行為は,法的評価を離れ構成要件的観点を捨象した自然的観察の下で,行為者の動態が社会見解上一個のものと評価されるものであるから,一個の行為で二個の罪名に触れる場合に当たり,観念的競合の関係にあると解される。
しかし、こう並べてみると、判例の「法的評価を離れ構成要件的観点を捨象した自然的観察の下で,行為者の動態が社会見解上一個のものと評価される」というのは基準になってないですよね、併合罪だから併合罪、観念的競合だから観念的競合と言ってるようなものです。