児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

「出会い系サイトでは「18〜19歳」と表示されていた」という年齢不知の否認事件で、検察官が「会ってから「16〜17歳」と告げた」という児童の供述を出してきたときの反論


http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20040406#p1
児童買春罪の実行行為・実行の着手
が使えると思います。

児童買春罪の構成要件は
  1児童の存在
  2その者への代償供与の約束・対償供与
  3児童との性交
  4代償供与約束と性交との因果関係(対価関係、対償性)
であるところ、
  2その者への代償供与の約束・対償供与
  3児童との性交
は、児童買春罪の実行行為であるから、児童であることを認識して行われることが必要である。

4 買春罪の実行の着手

 実行の着手とは、構成要件に該当する行為を開始した時点である。*1*2*3

 現行法では児童買春罪には未遂罪はないが、理論上、代償供与の約束が先行するから、約束成立の時点で実行の着手が認められる。(理論上、未遂罪が観念できることについては、立法者の見解である。145回-衆-法務委員会-12号 1999/05/14大森参議院議員*4)

 実行着手としての約束の内容を検討すると、
 一般に「約束」といっても、仮契約・本契約があるように、程度がある。買春は「誘引→誘引への応答→交渉→性交等」のプロセスを経るのだから、「約束」もそのプロセスを経るにつれて深まっていく。このプロセスのどの時点で買春罪の実行の着手が認められるかを検討する必要がある。

 思うに、法2条は、「対償を供与し、又はその供与の約束をして」として、「約束」と「対償供与」を同列に並べていることからは、約束の内容は、現実の供与と同等に評価される程度のものでなけらばならない。

 すなわち
  ① 現実の供与と同等の法益侵害の危険性があること
  ② 現実の供与と同等に客観的にわかること
が必要である。
 しかるとき、児童買春を行う際には、児童買春犯人にとっては、どのような児童と何人の児童とどのような行為を行うかによって対償金額が変わるし、求める行為(いわゆる「プレー」)によっては適当な相手方が見つからないかもしれないし対償金額も変わるし、好みの児童がいない・逆に児童から嫌われるなど相手方によっては実際に児童買春行為を行わない場合もあるのだから、少なくとも、相手方・行為の内容・対償金額が特定されて初めて、実際の性交等に進む現実的危険性が発生するといえる。

 しかるときは、相手方となる児童と行為の内容が特定し、対償の金額について、一義的に、明示的に合意ができた時点が、実行の着手である。
 法益論にさかのぼって考えると、もとより、児童買春が処罰されるのはこのような行為が、児童に対する商業的性的搾取ないしは性的虐待であるためである。ひとえに個人的法益に着目したものである。

 であるならば、対償の供与ないしその約束が実行の着手とされ、それに基づいて性交することが処罰されるというのは、そこにいるその特定の児童との有償の性交等を目論んで実行したからに他ならない。

 この意味でも相手方児童等重要な点が特定されていなければ、児童の権利に対する具体的危険性は認められない。

 であるならば、実行着手である対償の供与ないしその約束においては、最低限、相手方・行為の内容・対償金額が特定されていることが必要である。

 さらに、法定刑の比較でもこの結論は合理的に説明できる。買春罪の法定刑(懲役3年以下)は強姦罪や強制猥褻罪に比べると軽い。これは、買春罪の保護法益には性的自由は含まれないこと、つまり買春罪においては被害者の性的自由は真摯な承諾=約束によって放棄されていることを意味する。
 であるならば、「約束」には、性的自由の放棄と認められる程度のかなりの具体性が要求されるというべきである。

判例としては、約束の成立は外観から判断するというのを上げておけば十分でしょう。
①大阪高裁h15.9.18*1
名古屋高裁金沢支部h14.3.28*2

名古屋高等裁判所金沢支部
平成14年3月28日宣告
第1 控訴趣意中,事実の誤認の論旨(控訴理由第19)について
 所論は,原判決は,原判示第2,第3の1及び第4の各児童買春行為について,対償の供与の約束をしたことを認定したが,証拠によれば,被告人にはこのような高額な対償を支払う意思はなく,詐言であったことが明らかであるとし,このような場合には児童買春処罰法2粂2項にいう代償の供与の約束をしたことには当たらないから,同法4条の児童買春罪(以下,単に「児童買春罪」という。)は成立しないという。
 しかしながら,児童買春は,児童買春の相手方となった児童の心身に有害な影響を与えるのみならず,このような行為が社会に広がるときには,児童を性欲の対象としてとらえる風潮を助長することになるとともに,身体的及び精神的に未熟である児童一般の心身の成長に重大な影響を与えるものであることから規制の対象とされたものであるところ,対償の供与の約束が客観的に認められ,これにより性交等がされた場合にあっては,たとえ被告人ないしはその共犯者において現実にこれを供与する具体的な意思がなかったとしても,児童の心身に与える有害性や社会の風潮に及ぼす影響という点に変わりはない。しかも,規定の文言も「その供与の約束」とされていて被告人らの具体的意思如何によってその成否が左右されるものとして定められたものとは認め難い。対償の供与の約束が客観的に認められれば,「その供与の約束」という要件を満たすものというべきである。関係証拠によれば,原判示第2,第3の1及び第4のいずれにおいてもそのような「対償の供与の約束」があったと認められる。所論は採用できない(なお,所論は,形式的な「対償の供与の約束」でよいというのであれば,準強姦罪で問うべき事案が児童買春罪で処理されるおそれがあるとも主張するが,準強姦罪は「人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ,又は心神を喪失させ,若しくは抗拒不能にさせて姦淫した」ことが要件とされているのに対し,児童買春罪では対償を供与することによって性交等する関係にあることが必要であって,両者は明らかにその構成要件を異にするから,所論を採用することはできない。)。

 判例をみても、周旋者との対償供与の約束による児童買春罪の場合については、周旋時点児童であるとの認識が必要とされる。児童との約束の場合も同様である。

児童福祉法違反,売春防止法違反,児童売春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律違反被告事件の判決に対する控訴事件
【事件番号】 東京高等裁判所判決平成15年5月19日
【掲載誌】  高等裁判所刑事判例集56巻2号1頁
       高等裁判所刑事裁判速報集平成15年72頁
       家庭裁判月報56巻2号171頁
       東京高等裁判所判決時報刑事54巻1〜12号32頁
       判例時報1883号153頁
【評釈論文】 法学セミナー50巻9号129頁

第3 職権による判断
  職権により調査すると,原判決は,罪となるべき事実において,本件公訴事実2及び同3と同旨の事実を認定し,児童淫行罪及び売春周旋罪のほかに児童買春等処罰法5条の罪(以下,便宜的に「児童買春周旋罪」という。)の成立を認め,これらを科刑上の一罪として取り扱い,児童淫行罪の懲役刑及び児童買春周旋罪(同法5条2項)の罰金刑で処断することとして,被告人を懲役1年2月及び罰金50万円に処したことが明らかである。
 ところで,児童買春周旋罪が成立するためには,周旋行為がなされた時点で,被周旋者において被害児童が18歳未満の者であることを認識している必要があると解するのが相当である。すなわち,児童買春周旋罪は,児童買春をしようとする者とその相手方となる児童の双方からの依頼又は承諾に基づき,両者の間に立って児童買春が行われるように仲介する行為をすることによって成立するものであり,このような行為は児童買春を助長し,拡大するものであることに照らし,懲役刑と罰金刑を併科して厳しく処罰することとしたものである。このような児童買春の周旋の意義や児童買春周旋罪の趣旨に照らすと,同罪は,被周旋者において児童買春をするとの認識を有していること,すなわち,当該児童が18歳未満の者であるとの認識をも有していることを前提にしていると解されるのである。実質的に考えても,被周旋者に児童買春をするとの認識がある場合と,被周旋者が前記のような児童の年齢についての認識を欠く結果,児童買春をするとの認識を有していない場合とでは,児童買春の規制という観点からは悪質性に差異があると考えられる。もっとも,このように解することについては,客観的には児童の権利が著しく侵害されているのに,周旋者が児童の年齢を18歳以上であると偽ることにより児童買春周旋罪の適用を免れることになって妥当ではないとの批判も考えられるが,このような場合でも周旋者を児童淫行罪や売春周旋罪により処罰をすることが可能であるし(なお,児童の年齢や外見によっては,そもそも18歳以上であると偽ることが困難な場合も考えられる。),前記のような児童買春の周旋の意義や児童買春の規制という観点からすると,被周旋者において,前記のような児童の年齢についての認識を有しているか否かは,やはり無視することができない事情である。