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川崎アンケート事件

川崎市職員政党機関紙購読アンケート調査事件

差止等請求控訴事件
東京高等裁判所判決平成23年9月29日

第3 当裁判所の判断
 1 認定事実
 2 争点に対する判断
  (1) 思想及び良心の自由(憲法19条)の侵害の有無について
   ア 本件アンケート調査の各質問項目の検討
     控訴人らは,本件アンケート調査が控訴人らの思想及び良心の自由を侵害するものである,具体的には,本件アンケート調査の各質問項目がそれ自体又はその相互関係によって,対象者の政治的傾向,特定の政党に対する好悪,親疎といった内心におけるものの見方等を問うものであるとし,本件アンケート調査は,実質的には日本共産党の政党機関紙「しんぶん赤旗」を対象とするものであるから,よりセンシティブに捉えなければならないなどと主張する。そこでまず,本件アンケート調査の各質問項目が対象者の思想及び良心に関わるものといえるかについて検討する。
     本件アンケート調査の問1は「本市の市議会議員から政党機関紙の購読の勧誘を受けたことがありますか?」と問うものであり,「ある」又は「ない」を選択して答えるものである。この設問は,市議会議員からの政党機関紙の購読勧誘を受けたことの有無という事実を問うものであって,対象者の思想及び良心に関わるものとはいえない。控訴人らは,この設問は,政党の市議会議員から働き掛けられるという政治的傾向,政治色の有無といった価値判断,思想に関わるものを問うものであるなどと主張するけれども,この設問は,働き掛ける側である市議会議員がどのような見立てをしたかを推測させ得るものではあっても,働き掛けられる側である市職員の内心がどのようなものであったかを推測させるものとはいえないから(日本共産党川崎市議会議員である証人西村英二が原審において証言しているように,政党機関紙の購読勧誘を働き掛ける側が,被勧誘者が勧誘に応じる見込みの有無やその政治的傾向にかかわらず勧誘する場合もあるのであって,そのような場合には勧誘者側からどのように見えていたのかすらも明らかにならない。),控訴人らの上記主張を採用することはできない。
      本件アンケート調査の問2は,問1で「ある」と答えた者を対象とし,「市議会議員から購読の勧誘を受けたとき,購読しなければならないというような圧力を感じたことがありますか?」と質問し,「ある」又は「ない」との回答を求めるものである。この設問は,単なる事実の有無を問うものにとどまらず,対象者の感情の動きを問うものであって,政党機関紙の購読勧誘を受けた際に「圧力」を感じるということは,対象者が購読に対して消極的な感情を有しているものと推測することができるから,ある程度内心に踏み込んでいるともいえる。もっとも,政党機関紙の購読に対して消極的な感情を有するのは,当該政党機関紙やこれに関わる政党に否定的な感情を有している場合が一つの典型例として想定されるものの,当該政党等には特段否定的な感情がなく,むしろ肯定的な感情を有している場合であっても,政党機関紙の購読に伴う経済的負担を嫌っているという場合や,勧誘者の勧誘の仕方等によって感情を害されたという場合も想定できるものである。反対に,「圧力」を感じないということは,一つには,当該政党機関紙やこれに関わる政党に肯定的な感情を有している場合が考えられるが,当該政党等に否定的な感情を有している場合であっても,市議会議員からの勧誘であることを特別なことと考えない者であれば,不快感を抱くことがあったとしても,「圧力」とまでは感じないという場合もあり得るところである。結局,問2の回答からは,対象者の内心をある程度推測することは可能であるものの,それは複数ある可能性のいくつかを想定することができるということにすぎず,特定の政治的傾向や支持政党といった思想・信条に関わる事実を推知し得るとまではいえないものである。この点,控訴人らは,本件アンケート調査は,政党機関紙一般を対象としていたが,日本共産党の政党機関紙「しんぶん赤旗」を念頭に置いた調査であることは明らかであるなどと主張する。確かに,本件アンケート調査の契機となった本件質問においては「しんぶん赤旗」が名指しされていたこと,日本共産党川崎市議会議員はかねてより市職員に対して「しんぶん赤旗」の購読勧誘を行っていたことなどからすれば,本件アンケート調査の対象者の少なからざる者が本件アンケート調査が「しんぶん赤旗」を念頭に置いたものであると理解し,あるいは「しんぶん赤旗」の購読勧誘を受けた際の状況を思い浮かべて回答した可能性を否定することはできない。ただ,上記説示したところは,本件アンケート調査に係る「政党機関紙」が「しんぶん赤旗」を指す場合であったとしても同様のことがいえるのであり,問2の回答からは,特定の政治的傾向や支持政党といった思想・信条に関わる事実を推知し得るとまでいえないことに変わりはない。また,控訴人らは,対象者はこの設問に対する回答に至るまでに特定の政党や政党機関紙等を思い浮かべ,それらとの関わりで内心の表白を求められるものであり,特定の政党,政党機関紙等に対する好悪,親疎といった市職員の内心に踏み込む質問であるなどと主張する。しかしながら,対象者の主観的な受け止め方はどうあれ,設問に対する回答という形で客観的に把握される事柄から推測し得る内容の幅は,上記のとおり,かなり広いものとならざるを得ないから,この設問に対する回答いかんによって,対象者の思想・信条に関わる事実を推し量ることは不可能であるといわざるを得ず,控訴人らの上記主張を採用することはできない。
      本件アンケート調査の問3は,問2で「ある」と答えた者を対象とし,「その政党機関紙を購読しましたか?」と質問し,「購読した」又は「購読を断った」との回答を求めるものである。特定の政党機関紙を購読する者の中に,当該政党機関紙に関わる政党を支持する者が数多く含まれることは公知の事実であるから,政党機関紙の購読の有無を調査することは,思想及び良心の自由の保障との関係で微妙な面があることは否定できない。しかしながら,政党機関紙の購読の動機は,政党の支持のみに限られるわけではなく,例えば,行政機関の職員が政党に属する議員や政党の支持者の問題意識を把握し,仕事に役立てるためにこれを購読するなどの動機も想定し得るのであって,政党機関紙を購読することが購読者の政治的傾向や支持政党を直ちに明らかにするものであるとはいい切れないものである。その上,本件アンケート調査においては,その設問の構成上,無前提に政党機関紙の購読の有無を尋ねているわけではなく,市議会議員から購読勧誘を受け,その購読勧誘を受けたときに圧力を感じたという者のみを対象に尋ねているのであるから,その対象者には当該政党機関紙やこれに関わる政党に肯定的ではない感情を有する者が相当数含まれていることが想定され,購読することになったとの回答が特定の政治的傾向や支持政党と結び付く確率は低くなっているし,反対に,購読を断った者についても,既に説示したとおり,「圧力」を感じる理由は様々であることから,特定の政党を支持しないという政治的傾向等を有している者であると決め付けることもできないものである。そうすると,問3の設問は,思想及び良心の自由の保障との関係で限界に近い領域にあることは否定できず,とりわけ問2と同様に日本共産党の政党機関紙「しんぶん赤旗」を念頭に置いたものであると理解した場合には,その問題性はより深刻となるものの,文面どおり政党機関紙一般が対象とされているものと理解した場合はもちろん,「しんぶん赤旗」が対象とされているものと理解したとしても,回答内容から推測することができる範囲では,特定の政治的傾向や支持政党といった思想・信条に関わる部分を相当の確度で推知し得るというにはいまだ足りないものといわざるを得ない。この点,控訴人らは,問3で「購読した」と回答した者は自ら特定政党の政党機関紙の購読を決めたという内心の働きの表白を迫られ,「購読を断った」と回答した者は特定の政党等に対する悪感情が一層明らかになるなどと主張するけれども,問3の回答内容からは,特定の政治的傾向や支持政党といった思想・信条に関わる部分を推知し得るとまではいえないことは前記説示のとおりであり,控訴人らの上記主張を採用することはできない。
      本件アンケート調査の問4は,問3で「購読を断った」と答えた者に対し,「購読を断ったが,その後も引き続き購読の勧誘を受けたことがありますか?」と問うものであり,「ある」又は「ない」を選択して答えるものである。この設問も,問1と同様に,市議会議員から更に購読勧誘を受けたことの有無という事実を問うものであって,対象者の思想及び良心に関わるものとはいえない。この点,控訴人らは,購読を断ったのにそれでも勧誘を受けたということは,断り方が断固としていなかった,購読するかしないかの逡巡が心の内にあったことを示し,特定の政党等との関係での思惟や感情の動きそのものを問うものであるなどと主張するけれども,再度の勧誘があったということは,市議会議員が対象者の反応をどのように受け取ったかを示し得るものではあっても,対象者の内心を示すものとはならないし,そもそも市議会議員がどのような場合に更なる勧誘を行うか自体が必ずしも明らかなわけではないから,控訴人らの上記主張を採用することはできない。
      本件アンケート調査の問5は,問2で「ある」と答えた者に対し,「その時の職位についてお聞きします。(複数回答可)」として,「係長級」から「局長級」まで5段階での選択肢を提示するものである。控訴人らは,回答者の特定につながると主張するけれども,本件アンケート調査の時点における職位を問うものではなく,購読勧誘を受けそれを圧力と感じた当時の職位を問うものである上,最も高位のポストで数が少ない局長級でも30人以上いるのであるから(弁論の全趣旨),回答内容から回答者の特定が可能であるとはいえない(なお,この設問自体は,単なる事実を問うものであるから,思想及び良心の自由の侵害が問題にならないことも明らかである。)。
      以上のとおりであって,本件アンケート調査の各質問事項は,問2及び問3について問題がないではなく,特に,問3は,「政党機関紙」が特定の政党機関紙を指すものとすると,限界に近い領域にあるといわざるを得ないけれども,それぞれの質問事項の内容やその相互関係からすると,回答内容から対象者の政治的傾向や支持政党等を一義的に推測することができるわけではなく,また,本件アンケート調査用紙の文面上はあくまでも政党機関紙一般に関する調査になっていることも考慮すれば,思想及び良心に関わる事項あるいはそれを推知させる事項を問うものと断定することまではできないといわざるを得ない。そうすると,本件アンケート調査に回答を求めることが,控訴人らを含む対象者の思想及び良心の自由(沈黙の自由)を侵害するものであると認めることはできない。
   イ 本件アンケート調査の任意性(強制性)
     控訴人らは,本件アンケート調査は,強制的契機を含むものであり,事実上の強制力があったなどと主張する。
     確かに,本件アンケート調査は,川崎市議会定例会において阿部市長が調査の早急な実施を約束したことを契機とするものであって,本件アンケート調査用紙の配布は管理職等から対象者一人一人に手渡す方法によって行われ,その回収は課長席の机上に備え付けられた回収袋や業務上利用する逓送便(庁内便)を利用することとされ,配布・記入・回収が勤務時間内に行われることが許容されていたところ,回収率が約78.7%に上ったことなども考慮すれば,少なくとも一定数の対象者が提出の必要性が高いものと受け止めたことがうかがわれなくもない。
     しかしながら,本件アンケート調査用紙の冒頭には,「回答は強制するものではありません。個人の自由意志でお答えください。」と明記されており,同調査用紙の配布時に口頭で同趣旨の補足説明を受けた者も多いのであって,本件アンケート調査が一般のアンケートと同様に任意のものであることは明確に示されていたということができる(控訴人X6は口頭説明を受けておらず,控訴人X3は口頭説明と同時に抗議の声を上げていたことから口頭説明の内容を聞いていなかった可能性が高いが,口頭説明は同調査用紙に記載された内容の補足説明であり,同人らは同調査用紙の記載自体は認識しているのであるから,口頭説明を聞いていなかったことが障害となるものではない。また,アンケートであるのに回答が強制でないと殊更に記載することはかえって反対の意図をうかがわせると理解する者もあり得ようが,本件においては,そのような反対の意図があることをうかがわせる証拠はない。)。本件アンケート調査の実施に際しても,調査用紙を配布した庶務課長会議において,回答は強制でないことの説明がされ,健康福祉局総務部庶務課が作成した事務連絡文書の提出期限に誤りがあった場合の対応(訂正することによって回答を強制するものと受け取られかねないことをおもんぱかって訂正文を周知しなかった。)や宮前区役所総務課長が長寿支援課長に指示した調査用紙の受取りが拒否された場合の対応(本人の自由意思を尊重して無理に渡さない。)などからみても,各課長等においては任意調査であることが強く意識されていたといえる。本件アンケート調査用紙の配布方法及び回収方法についても,出先機関も含めた多数の調査対象者に同調査用紙を確実に届け,回答内容の漏えいなどの事故なく回収するための方法として選択されたものと認められ,このような方法を採ることによって事実上回答を強制する効果を狙っていたものとは認めるに足りない。回収率についても,裏を返せば約21.3%もの対象者が提出していないということができるものである。そして,本件アンケート調査において,個人の特定可能性があったとはいえないことは後に説示するとおりであり,特定可能性があるために回答が強制されたと認めることもできない。その他,本件アンケート調査の期間を通じて,これに回答しないことが許されないことであるかのような対応がとられていたことを認めるに足りる証拠もない。
     以上のとおり,本件アンケート調査用紙の配布方法や回収方法等を通じて,本件アンケート調査は事実上回答の必要性が高いものであると受け止めた者がいるとしても,本件アンケート調査用紙には任意の調査であるとの趣旨が明記され,口頭でその旨の補足説明がされ,各課長等においても,任意調査であることが強く意識されて実施されたものであって,現に20%を超える者が同調査用紙を提出しなかったことなどに照らしても,本件アンケート調査は,依然として任意調査の域を出ないものというべきである。
     したがって,本件アンケート調査は,任意調査として実施されたのであるから,この点からも,控訴人らを含む対象者の思想及び良心の自由(沈黙の自由)を侵害するものであると認めることは困難である。
   ウ 本件アンケート調査に回答しないことによる「沈黙の自由」の侵害の有無
     控訴人らは,本件アンケート調査は,これに回答しないことをもって,日本共産党支持者又は同党に親近感を有する者をあぶり出す効果を持つものであるから,「沈黙の自由」を侵害し,思想及び良心の自由を保障する憲法19条に違反するなどと主張する。
     しかしながら,本件アンケート調査に回答しない者の中には,本件アンケート調査が特定の政党機関紙の購読勧誘を対象とするものであり,特定の政治的傾向や支持政党を読み取ろうとするものであると考えた者が含まれるといえるとしても,もともと本件アンケート調査は,前記認定のとおり,任意回答を求めるものであり,このことが本件アンケート調査用紙に明示されていることなどから,より漠然とこのようなアンケート調査は適当ではないと考えて回答しなかった者や,任意回答であることから,単に忙しさに取り紛れ,失念するなどして回答しなかった者など,様々な理由で回答しなかった者も含まれることが推測されるのであるから,本件アンケート調査に回答しないという態度から,直ちに特定の政治的傾向や支持政党を読み取ることはできないというべきである(ましてや,日本共産党支持者や同党に親近感を有する者であることを推知することはできないものである。)。また,回答しない者の中に,特定の政治的傾向や支持政党を有する者が含まれているというだけでは,そうした者をあぶり出す効果があるとまではいえないし,そもそも,後記認定のとおり,本件アンケート調査は,回答者及び非回答者の匿名を前提として行われたものであるから,このようなあぶり出し効果があるとはいえない。
     したがって,この点に関する控訴人らの主張は採用することができない。
   エ 特定の価値判断の押し付けの有無
     控訴人らは,本件アンケート調査は,対象者である市職員に対し,「議員からの勧誘を圧力と感じて政党機関紙を購読するのは良くないことだ」とする価値判断を押し付けているものであり,思想及び良心の自由を侵害するものであるなどと主張する。
     しかしながら,本件アンケート調査の各質問事項には,特定の価値判断の是非を指し示しているような記載は全く見られないし,川崎市議会定例会における阿部市長の本件答弁の内容及び本件アンケート調査後の本件職員向け通知文書の内容を,本件アンケート調査の各質問事項と一連のものとして捉えてみても,市議会議員による政党機関紙の購読勧誘のあり方を問題にするものといえるとしても,勧誘を受ける側の市職員が政党機関紙を購読することそのものを特段問題視するものとは認められない。すなわち,阿部市長の本件答弁は,市議会議員による政党機関紙の購読勧誘が通常想定される「勧誘」の域を超えて「圧力」にまで至ることが許されないという見解を示したものとは解されるものの,市職員が自発的に政党機関紙を購読すること自体を問題にする意思をうかがうことはできず,また,本件職員向け通知文書においては,職員が政党機関紙を購読することが自由であることは明記されており,市議会議員による購読勧誘であることを過大視している市職員が存在することがうかがわれることを踏まえて,政党機関紙の購読については自らの意思で判断するという,いわば当然のことを改めて確認しているものにすぎず,通常の読み方をする限り,その内容を不当に押し付けたり,強要しているものと認めることはできない。このように,本件答弁や,本件アンケート調査及び本件職員向け通知文書の配布は,これを一連のものとして捉えてみても,特定の思想や価値観を禁止したり,逆に,これを強制し,不当に徹底させることを目指して行われたものとは認められず,せいぜい政党機関紙を購読するかどうかは自らの意思で判断すればよいという当然のことを指摘し,注意喚起したものにすぎないというべきであって,思想及び良心の自由を侵害するものとはならない。
     したがって,この点に関する控訴人らの主張も採用することができない。
   オ 小括
     したがって,その余の点について判断するまでもなく,本件アンケート調査の実施は,控訴人らの思想及び良心の自由を直接・間接に侵害するものとまではいうことができず,この点に関する控訴人らの主張には理由がない。
  (2) プライバシー権(自己情報コントロール権)(憲法13条)の侵害の有無について
   ア 個人の特定可能性
     控訴人らは,本件アンケート調査において取得可能な情報が,個人の思想及び良心を容易に推知し得る情報であって,公権力によってみだりに収集されたくないと考えるものであるから,これを取得することは,プライバシー権(自己情報コントロール権)を侵害するものであると主張する。そして,その侵害が認められるためには,情報の主体である個人を特定する行為が現実に行われたことまでは必要なく,個人を特定することができる可能性があれば足りるとする。
     しかしながら,そもそも控訴人X1を除く控訴人らは,本件アンケート調査用紙を提出していないか(控訴人X3,控訴人X4,控訴人X6及び控訴人X2),調査項目に回答していない(控訴人X5)のであるから,「回答しなかった」という情報はともかく,具体的な回答内容という個人に関する情報を取得されたわけではない。また,本件アンケート調査は,無記名で実施され,回答の方式も選択肢から回答を選んでチェック印を入れるという方式であって,本件アンケート調査用紙の記載そのものから回答者が特定されることはあり得ないものである(なお,控訴人X5は,「このアンケートは憲法違反なのですぐに止めるべきです」と自署して提出しているため,筆跡から特定される可能性がなくはないが,自署による回答は本件アンケート調査の想定外の事態であり,しかも質問項目には回答していないのであるから,これを考慮することはできない。)。
     この点,控訴人らは,課長によって本件アンケート調査用紙の回収がされた職場(控訴人X3,控訴人X4,控訴人X6及び控訴人X5)では,課長が在席中に提出すれば誰が提出したかが分かるし,課長が離席中に提出しても後で課長が中身をチェックすれば回答者を推測できる,また,誰が回答し,誰が回答しなかったかが同僚に一目瞭然であったなどと主張する。
     しかしながら,課長が離席中に提出すれば,いつ誰が提出したのかは課長には分からないし,課長が離席中であっても同僚等が在席していれば,誰が提出したかは明らかになるが,それで直ちに回答内容まで判明するわけではなく,また,回収袋は周囲の者から見通すことができる場所に置かれていたのであるから,もし課長等が回収袋の中身をチェックしようとすればそのこと自体が周囲の者に知られてしまうため,事実上の抑止力が働いているといえる。さらに,特定の者が提出しなかったという情報については,周囲の者が示し合わせるなどして,本件アンケート調査の実施期間中,間断なく観察をしていない限りは的確に把握できないのであって,それは事実上不可能である。本件アンケート調査が実施された経緯に鑑みても,被控訴人当局が各人の提出状況や各人がどのような回答をするかについて興味を持っていたとは考えられず,あるいはそうしたことを真の目的としていたことをうかがわせるような証拠もなく,かえって,本件アンケート調査の企画段階・実施段階においては,回収に当たって個人が識別されないように配慮すべきことが繰り返し確認されていたのであるから,提出された本件アンケート調査用紙の中身をチェックしたり,誰が回答し,誰が回答しなかったかを観察することが組織的に行われることはおよそ考えられないものである。
     また,控訴人らは,逓送便(庁内便)によって本件アンケート調査用紙の回収がされた職場(控訴人X1,控訴人X2)では,発信元を見れば一目瞭然であるし,発信元を記載しなくても直前の宛て先を見れば発信元が分かる仕組みになっている,封筒は開封可能な仕組みなので途中で中身を見られる可能性があった,当該職場に対象者が1人しかいないと回答を提出したか提出していないかが判明してしまうなどと主張する。
     しかしながら,逓送便(庁内便)に用いられる連絡用封筒の様式は特定のものしか認められないわけではないから,未使用の封筒や他人(他部署)宛てに届いた使用済み封筒を利用すれば発信元が判明することは避けられるのであるし,同一職場に複数の対象者がいれば発信元から直ちに誰が提出したかを特定できるわけではなく,対象者が1人しかいない職場からの提出の有無については,対象者が1人の職場は控訴人X2の主張によっても30程度はあるところ,提出があったことを把握し得たとしても,その回答内容を組織的にチェックすることが行われたことを認めるに足りる証拠はないし,上記説示のとおり,そのようなことが行われたことも考え難く,他方,提出がなかったことは調査期間中を通じて提出がなかったことを確認しなければならず,仮にそれができたとしても,発信元が不明な封筒による提出が1通でもあった場合には,それとの区別がつかなくなるから(控訴人X2が逓送便(庁内便)を送付することになっていた健康福祉局総務部庶務課には1日当たり平均約300通ほどの逓送便(庁内便)が送付されるのであって,そのような大量の書類を処理する中で,回答内容のチェックや提出がなかったことの確認作業を行うことは現実的ではない。),結局,判別は不可能ということになる。
     なお,控訴人らは,局長級,部長級の職員について,その提出方法や問5の回答内容から特定が可能であったと主張するけれども,局長級の職員だけでも30人以上いることからすればやはり特定は困難であるし,そもそも控訴人らは局長級,部長級の職員ではないから,主張自体失当である。
     以上に加え,本件においては,本件アンケート調査用紙の回収中に各職場の課長その他の者によって中身が見られて回答者が特定されたり,各自の提出の有無が特定されたりする作業が行われたことは認められないし,そうしたことが行われたことをうかがわせる証拠もない。
     したがって,本件アンケート調査においては,個々の回答者に関しても,回答の有無に関しても,個人の特定可能性はなかったというべきである。
   イ 小括
     そうすると,控訴人X1を除く控訴人らは具体的な回答内容という個人に関する情報を取得されていない上,「回答しなかった」という情報自体も個人の特定可能性がないものであり,また,控訴人X1については,取得された回答内容のうちいずれが同人のものかの特定可能性がないから(一般的な仕組みとしては上記のとおりであり,同人固有の点としては,前記認定のとおり,同僚の逓送便(庁内便)に同封して提出したという事情もある。),その余の点について判断するまでもなく,本件アンケート調査が控訴人らのプライバシー権(自己情報コントロール権)を侵害する旨の控訴人らの主張には理由がない。
     なお,前記の個人の特定可能性については,本来予定された事務処理(回収方法等)が行われた場合を前提とするものであり,例えば,発信元の記載から回答者が明らかな逓送便(庁内便)の中身をのぞき見るなどの逸脱行動があった場合などに,特定の個人に関する情報が漏れてしまう危険性は否定することができない。そのような事態まで考えれば,本件アンケート調査用紙の回収方法には不十分な点があったことは否めず,この点については,控訴人らが指摘するように,選挙用の投票箱を利用することによって対応が可能であったともいえる(被控訴人は一応検討した上で断念しているけれども,なお工夫の余地がなかったとはいい切れない。)。ただし,本件においては,結果的にはそのような事態は生じていないのであるから,具体的な権利侵害の発生があったとはいえず,そうした意味では上記の不十分な点は致命的な瑕疵とまではいえないから,本件アンケート調査が違法なものとはいえないとの結論を左右するものではない。
  (3) 知る権利(憲法21条)の侵害の有無について
    控訴人らは,本件アンケート調査によって,政党機関紙から得られる情報に接することを禁止され,少なくとも萎縮させられたから,知る権利を侵害されたなどと主張する。
    しかしながら,既に説示したとおり,川崎市議会定例会における本件質問及び本件答弁,本件アンケート調査並びに本件職員向け通知文書及び本件市議会議員向けお願い文書を一連のものとして検討しても,被控訴人が,市議会議員が政党機関紙の購読勧誘を行うに当たって,被勧誘者である市職員に圧力と受け取られるような行動に及ぶことについて否定的な評価をしていることはうかがわれるものの,控訴人ら市職員に対し,政党機関紙の購読を法律上,事実上禁止したとは認め難いことはいうまでもないし,市職員が政党機関紙を購読することを否定的に捉えているような対応をしたとか,否定的に捉えていると感じさせるような対応をしたものとも認められないのであるから,少なくとも市職員の知る権利を侵害するような態様で,市職員が政党機関紙を購読することを萎縮するような行為がされたと認めることはできない。
    したがって,その余の点について判断するまでもなく,本件アンケート調査が控訴人らの知る権利を侵害する旨の控訴人らの主張には理由がない。
  (4) 憲法13条及び労働基準法1条1項違反の権利侵害の有無について
    控訴人らは,被控訴人が控訴人らの私的生活時間における市民としての行為の自由等を侵害する本件アンケート調査を強行したもので,憲法13条,労働基準法1条1項に違反するなどと主張するけれども,既に説示したところからも明らかなように,本件アンケート調査によって,控訴人らが政党機関紙を購読することなどが妨げられたとは認められず,その他この点に関する控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はないから,当該主張を採用することはできない。
  (5) その他控訴人らが指摘する事項について
   ア 以上説示したとおり,本件アンケート調査については,質問項目の問3に関し,対象者の政治的傾向等の推知可能性という点で,権利侵害を生ずる限界に近い領域にあると解されるところがあり,また,回収方法に関し,個人の特定可能性との関係で不十分な点があるなど,問題がないわけではないけれども,以上検討する限りにおいては,違憲・違法の領域には達していないものというべきである。もっとも,控訴人らは,この他に本件アンケート調査の目的についても問題があったなどと主張するので,そうした点を考慮しても権利侵害が認められないかどうかについて,念のため検討する。
   イ 控訴人らは,本件アンケート調査は,川崎市議会議員による政党機関紙の購読勧誘活動の抑制,とりわけ日本共産党市議会議員による政党機関紙「しんぶん赤旗」の購読勧誘活動の抑制といった政治的意図の下に行われたものであるなどと主張する。
     確かに,本件アンケート調査は,川崎市議会定例会における平子市議会議員の本件質問に対する阿部市長の本件答弁を契機とするものであり,本件質問においては日本共産党の政党機関紙「しんぶん赤旗」が名指しされていたこと,平子市議会議員が所属する公明党日本共産党は政治的主張を異にする政党であること,前記認定事実からうかがわれる阿部市長の政治的立場,本件質問が代表質問の関連質問として行われたものの,その質問通告は市議会定例会の直前に行われ,阿部市長は関係部局と答弁内容について相談することもなく本件答弁に及んでいること,本件質問及び本件答弁が川崎市議会議員選挙の約4か月前という時期に行われたことなどからすると,平子市議会議員が政治的な動機から本件質問を行い,阿部市長においてもこれを承知の上で本件答弁をし,本件アンケート調査の実施に道筋を付けたものと推認され,その意味で阿部市長の本件答弁が政治的な動機を背景に持ちつつ行われたとうかがわれることは否定することができない。この点,被控訴人は,阿部市長の本件答弁は実質的には答弁を保留したものである旨主張するけれども,阿部市長は,本件答弁の前に関係部局と答弁内容を相談していなかったにもかかわらず,本件答弁において,早急に調査を行うことまで明言しており,本件答弁の翌日には,総務局長に対して実態調査の実施を指示しているのであるから,実質的に答弁を保留したものとはいえず,一定の方向性を打ち出したものと評価せざるを得ない。
     もっとも,本件答弁の段階においても,政党機関紙一般を対象とする方向性は示されていたほか,本件アンケート調査の実施までの間には,総務局において本件アンケート調査の理由及び目的が整理され,公務の中立性,公平性の維持の観点及び職員保護の観点から必要であることを理由とし,政党機関紙の購読勧誘の実情を把握することを目的として実施するものとされて,本件アンケート調査用紙にも「公務の中立性・公平性の観点からその実情を把握するため,」と記載されている。そして,市議会と行政部門としての市役所との関係は適切な牽制・協同関係にあるべきことはいうまでもなく,市議会議員から政党機関紙の購読勧誘を受けたときに市職員が圧力を感じて購読をしているということがあれば,市民の目からみて,中立かつ公平であるべき公務の遂行がゆがめられているとの疑念を抱かれるおそれがあると被控訴人において判断したことも,あながち不合理とはいえないものである。確かに,本件アンケート調査以前において,市議会議員からの政党機関紙の購読勧誘に関する苦情は被控訴人当局に寄せられていなかったが,本件アンケート調査の結果から見ると,購読勧誘を受けた職員のうち70%を超える者が「圧力」を感じていたというのであるから,結果的には潜在的な問題が存在したと解さざるを得ず,当該目的は適切なものといえる。したがって,当初の段階で,阿部市長が多かれ少なかれ政治的な動機を抱いていたことがあったとしても,本件アンケート調査が実施された時点までには,そうした動機は相当後退させられていたものと認められ,本件アンケート調査自体が重大な瑕疵を帯びるということはできないというべきである(なお,以上のような事実関係に鑑みれば,本件アンケート調査が,市職員それぞれの政治的傾向や支持政党その他ものの考え方を捕捉しようとする意図で行われたものでないことは明白であり,他の目的を持ちつつ,公務の中立性・公平性の観点からの実情把握に名を借りて行われたものではないというべきである。)。
   ウ その他本件アンケート調査には,次のような問題点も認められる。まず,本件アンケート調査は,川崎市議会定例会における本件質問と本件答弁を契機とするものであり,その実施前には,日本共産党川崎市議会議員団から,思想・信条の自由に抵触することが懸念されるとして,本件アンケート調査を実施しないよう求められるなど,政治的対立の様相も呈していたのであるから,市職員を巻き込むことなく市議会における論争等を通じて解決するほうが適切であったともいえる。被控訴人(総務局)においても,本件アンケート調査の実施方法に関する検討の初期の段階から法制課長を加えて協議を行い,本件アンケート調査用紙自体にも,個人の思想等を調べるものではないことや回答を強制するものではないことを明記し,回収に当たり個人が識別されないように留意することを繰り返し注意するなど,本件アンケート調査が職員の権利保護との関係で微妙な問題をはらむことを認識していたことがうかがわれる。また,本件アンケート調査は,全庁の一定の権限を有する主査以上をあまねく対象とする大掛かりなものであって,相応の費用と労力が費やされていると推測される。そして,調査対象とされた市職員にとっては,子細に検討し,当局の意図を理解すれば問題ないとしても,一見すると,本件アンケート調査が個人の政治的傾向等を推し量ることが可能な調査であり,回収・集計の過程で,その回答内容がのぞき見られるのではないかと懸念し,不安あるいは不快の念を抱くことも,無理からぬところがある。さらに,本件アンケート調査の成果をみると,結局は,本件職員向け通知文書及び本件市議会議員向けお願い文書が発出されたにすぎず,この程度の内容の文書を発出するために,本件アンケート調査の実施が不可欠であったのかとの疑問もある。
     本件アンケート調査は,既に説示したとおり,質問項目の問3の内容や回収方法において問題がないわけではない上,上記のような事情に鑑みれば,そのような中であえて本件アンケート調査を実施すべきか,実施するとしてもより穏当な方法が考えられないかについて,慎重な検討がされることが望ましかったものといえる。それにもかかわらず,本件アンケート調査が前記認定のような方法で実施されたことは,少なくとも最善の選択であったとは評価し難く,阿部市長の本件答弁に示された方向性に引きずられ,批判的検討が加えられることもないままに実施に移されたものとも見られ,適切な判断がされたかについては大いに疑問が残るところである。ただ,このような様々な事情を考慮しつつ本件アンケート調査を実施するか否かは,最終的には被控訴人の裁量に属する事項であるといわざるを得ず,本件の事実関係の下においては,前記のような問題点を考慮しても,なお許容される裁量の範囲を逸脱するとは認められないところであり,結局,当不当の問題はともかく,本件アンケート調査について違憲・違法を来すことにはならないものというべきである。
  (6) まとめ
    以上のとおりであって,本件アンケート調査は,市職員の権利保護との関係で限界に近い領域にあり,その他当不当の観点からは問題がないではないけれども,控訴人らの主張に係る違憲・違法な権利侵害は,いずれもこれを認めるには至らないものというべきであって,控訴人らの本件請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がないものといわなければならない。
 3 結論
   本件は,被控訴人の職員であった控訴人らが,被控訴人が控訴人らに対して行った「政党機関紙の購読勧誘に関するアンケート調査」によって同人らの思想及び良心の自由,プライバシー権等が侵害されたとして,被控訴人に対し,国家賠償法1条1項に基づき損害賠償の支払等を求める事案である。
   当裁判所は,審理の結果,本件アンケート調査の実施は,その質問項目及び任意回答であったこと等からみて控訴人らの思想及び良心の自由を直接・間接に侵害するものとまではいえず,回答方法や回収方法を通じても個人の特定可能性が認められないからプライバシー権(自己情報コントロール権)を侵害するものとはいえず,その他知る権利等の侵害も認められないことから,控訴人らの本件請求は,法的責任を問うものとしては,いずれも理由がないから棄却すべきと判断するものである。
   もっとも,本件アンケート調査の質問項目の中には思想及び良心の自由の保障との関係で限界に近い領域にあるといわざるを得ないものがあり,回収方法についても本件においては結果的に問題がなかったものの,不十分であるといわざるを得ない点が認められるほか,本件アンケート調査が実施された理由・目的と,実施に伴う問題点や実施に伴う様々な負担,得られた成果などとを比較すると,本件アンケート調査の実施がその実施方法も含めて最善の措置であったとはいい難く,実施すること自体の当否や実施するとしてもより穏当な方法について,慎重な検討が尽くされたとはいえず,適切な判断がされたとは認め難いところもあることを付言する。
   以上のとおりであって,控訴人らの本件請求をいずれも棄却すべきものとした原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
    東京高等裁判所第14民事部
        裁判長裁判官  設樂隆一
           裁判官  滝澤雄次
           裁判官  門田友昌