児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

左半分は3号児童ポルノで、右の写真は3号児童ポルノではない(仙台高裁H21.3.3)↑→

 児童ポルノ該当性に撮影目的を考慮すると、同じような写真が、目的によって、児童ポルノになったり児童ポルノでなくなったりします。
 難しい問題ですが、これも立法者が考えていないところです。

仙台高裁H21.3.3
?被告人が撮影した各被害児童の陰部の画像は,児童に扇情的なポーズをとらせているわけではなく,児童ポルノ法2条3項3号にいう「性欲を興奮させ又は刺激するもの」に該当しないから,児童ポルノ製造罪を適用した原判決には法令適用の誤りがある,
などと主張する。
しかしながら,児童ポルノの定義規定である児童ポルノ法2条3項において,同項3号が「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激させるもの」と規定し,「性欲を興奮させ又は刺激一部をするもの」という要件を付加しているのは,衣服の全部又は着けない姿態を撮影したものの中には,家庭等における児童の日常生活の一場面を撮影したものや学術研究目的で撮影されたものも含まれるところ,これらについては社会的に是認されるものであることにかんがみ,これらを除外するためである。このような立法目的に徴すれば,同項3号の「性欲を興奮させ又は刺激するもの」とは,その撮影目的や撮影された内容等に照らし,一般人を基準として,見る者の性的興味に訴えようとするものと認められるものと解すべきである。そうすると,本件起訴にかかる画像は,いずれも被告人が自己の性的し好を満足させる目的で,被害児童の陰部を撮影したものであり,しかもそれは性器を接写するなどして,殊更これを強調する内容となっているから,一般人を基準として判断して,見る者の性的興味に訴えようとするものと認められるのであって,「性欲を興奮させ又は刺激するもの」に当たるものということができる。所論は,「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という要件は,客体の要件であって,撮影目的を考慮するのは不当であるなどと主張するが,客体を定める要件であっても,考慮する要素を内容等の客観的要素に限定しなければならないわけではなく,撮影目的といつた主観的要素を考慮することもできるというべきである。したがって,原判決に法令適用の誤りはない。


 書くことに困った弁護人の為に、控訴理由の要旨を紹介します。

控訴理由 法令適用の誤り〜児童ポルノに該当しない画像〜「性欲を興奮させ又は刺激するもの」にあたらない。
1 原判決
 原判決は0〜9歳の被害児童が描写された本件各画像を3号児童ポルノであると認定した。
 しかし、0〜9歳児の裸体は、通常人を基準とすると「性欲を興奮させ又は刺激するもの」にあたらないから、3号児童ポルノに該当せず、3項製造罪も成立しない。

原判決には「性欲を興奮させ又は刺激する」の解釈に誤りがあって法令適用の誤りであるから、原判決は破棄を免れない。

2 性欲刺激要件
 この際、裁判所は「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という要件(以下「性欲刺激要件」という。)の解釈とその判断基準を判示しなければならない。
 この点については、文言上、わいせつ概念(一般人を基準として、いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの)を意識していることから、一般人を基準として「性欲を興奮又は刺激せしめ」るものがこの定義に該当し、わいせつに到らない程度のものも含むと解されているようである。

 この点についての裁判例としては、京都地裁H12.7.17が雑誌に掲載されているが、一般人を基準とするとされている。

京都地方裁判所判決平成12年7月17日
判例タイムズ1064号249頁
 そして、性欲を興奮させ又は刺激するものであるか否かの判断は、児童の姿態に過敏に性的に反応する者を基準として判断したのではあまりにも処罰範囲が拡大してしまうことから、前記のとおり、児童ポルノの定義から最高裁判所判例の掲げる「普通人の正常な性的羞恥心を害し」という要件が割愛されているとしても、法の一般原則からして、その名宛人としての「普通人」又は「一般人」を基準として判断するのが相当である。

3 一般人基準では児童ポルノに該当しない。
 本件写真の被撮影者は0〜9歳であり、弁護人の知る限りでは、我が国の児童ポルノ事件では年少の部類である。
 0〜9歳の児童の姿態は、どう考えても、どのようなポーズを取らせてみても、一般人の「性欲を興奮させ又は刺激するもの」とは解されない。これをみて「性欲を興奮させ又は刺激する」奴がどうかしているのである。このどうかしている少数の者をペドフィリア(児童性愛者)と呼ぶ。被告人はペドフィリアである。

 試しにこの法廷内でこの写真を展示して、性欲を興奮させる者がいるかを問えばわかる。裁判官は興奮するとはいえない。弁護人も興奮しない。被告人は興奮する。傍聴人は興奮しない。検察官は実は興奮しないけれども起訴した手前興奮したといわざるを得ない。興奮したものがペドフィリアである(個人の趣味を非難しているのではない。)。
 仮に、裁判官・検察官が興奮するとしても、それは裁判官・検察官がペドフィリアであり、そのことを公判廷において・判決書においてカミングアウトしているだけであって、一般人の「性欲を興奮させ又は刺激するもの」ではない。
警察庁執務資料*1
園田教授の指摘*2
森山法務大臣の御著書*3
国会議事録*4

145回国会衆議院法務委員会議事録1999/05/12
○枝野委員 ありがとうございます。そういったことで運用していただければ、変な拡大とか間違った運用ということはないかなというふうに理解をしたいと思います。
  それから、先ほどもここで出てきていますが、「性欲を興奮させ又は刺激する」というのが要件になっているわけですけれども、この「性欲を興奮させ又は刺激する」ということについての判断者はだれであるのか、あるいは、だれの性欲を興奮させ刺激するということであるのか、これについてお答えをいただければと思います。
○大森参議院議員 「性欲を興奮させ又は刺激する」、この構成要件につきまして、だれの性欲をという御質問でございますけれども、通常、構成要件に規定してありますことは、一般通常人というものを基準としております。
  最終的にそれをだれが判断するのかということになりますと、犯罪構成要件に該当するか否かの最終的な判断は、刑事事件におきましては裁判所がすることになります。
○枝野委員 それで、一般人の性欲を刺激するかどうかということになりますと、逆に言えば、ごく一部の人たちしか性的な刺激を受けないというケースについてはここには含まれないという理解でよろしゅうございますね。
○大森参議院議員 今申し上げましたように、構成要件該当性の判断というのは一般人を基準といたしますので、一般通常人より特に性的に過敏に反応する方とかを御想定なさっているのかと思いますが、今申し上げたように一般人を基準にいたしますので、枝野委員がおっしゃったような場合は、児童ポルノには当たらないことになると思います。
○枝野委員 それで、先ほど途中でちょっと切りかえてしまったのですけれども、先ほどおふろのコマーシャルみたいな例を申し上げましたが、一般的に言えば、これも、人によって子供も成長程度が違いますし、シチュエーション、映し方によって全部違うとは思いますが、普通には、三歳とか四歳の子供たちが例えば裸で水遊びをしている、それがニュースの映像とかで流れたりすることがありますね、いよいよ暑くなりましたなんというニュース。それから、温泉地で普通に温泉に、おふろに入っている子供、それも少なくとも二歳とか三歳の子供。
 これは、何歳からかということをここで議論しようと思うと、これはまさにケース・バイ・ケースなのでそういうことは申しませんが、そういったケースみたいなところは、これは一般人の性欲を刺激するとは普通には言えないということで大体解釈されるだろうなという理解でよろしいでしょうか。
○大森参議院議員 そのように理解していいと思います。

 従って、これに従えば本件画像は一般人基準で「性欲を興奮させ又は刺激するもの」と認定できない。

4 一般人基準の不都合
 そもそも法の趣旨に照らすと、一般人基準というのが疑わしい。この際、同法については特別の基準を設ける必要がある。
 もとよりわいせつ図画(刑法175条)については、「刑法175条にいわゆるわいせつとは、いたずらに性欲を興奮または刺激せしめ、かつ普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」という判例が定着しており、具体的事件の処理を通じて、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうか」という基準が示され、かかる基準が定立しているといえないでもない。
 しかし、児童ポルノ法の「性欲を興奮させ又は刺激するもの」というのは、文言上、わいせつ概念=「いたずらに性欲を興奮または刺激せしめ、かつ普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」よりは広い概念であり、判決例も蓄積されていないから、そもそも「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれる」とはいえない。
 また、この基準によれば、誰を基準として「性欲を興奮させ又は刺激するもの」かどうかを判断するのかが問題となる。
 子どもの裸体が写っているだけで、一般的には性的表現とみないものでも、子どもの性に対する嗜好を持つ者にとっては、このような写真が性的好奇心の対象として用いられるという点が、児童ポルノ法の存在意義である。児童のポルノも一般人の性欲を刺激興奮させるのであればわいせつ図画(刑法175条)の加重類型(構成要件のうち性欲刺激性は軽減し、児童という要件を設けた)に過ぎないことになる。(社会的法益説の根拠となる。)

 だとすれば、通常人や一般人を基準として「性欲を興奮させ又は刺激するもの」を判断するのでは、「児童ポルノ」に該当する物は存在し得ないことになる。
 しかるに、もし裁判所が「性欲を興奮させ又は刺激するもの」に当たると判断した場合、当該裁判官が子どもの性に対する嗜好を持つ者であることを告白することになり、公平さや裁判官の良心が疑われる。
 だからと言って、当該裁判官が子どもの性に対する嗜好を持つ者を基準として判断することも裁判所の立場として許されない。
 この点については、「子ども買春・子どもポルノ・性目的の子どもの人身売買を根絶するために行動する組織と個人の世界的なネットワーク」を自称する市民団体エクパット・ジャパン・関西ですら、次のように指摘している。
 「性的好奇心をそそる」というあいまいな規定ではなく、「性的文脈」という規定を使うべきだ。
 現在の法案では、「児童ポルノ」の規定のなかに「性的好奇心をそそるもの」という文言が入っている。わたしたちはこのように主観的であいまいな規定が処罰を規定した法律に含まれてよいのかと考える。
 そもそも、いったい、誰の「性的好奇心をそそる」ものであれば規制の対象になるのか。この点があいまいである。問題となっているのは、幼児を被写体としたものまでを含む「ポルノ」である。そのような「ポルノ」に「性的好奇心」をそそられる人は限られている。むしろ、諸外国で「児童ポルノ」として規制の対象になっているもののなかには、多くの人にとってまったく「性的好奇心をそそらない」ものも含まれている。その点にこそ、この問題の問題たるゆえんの一部がある。「性的好奇心をそそる」といった主観的であいまいな規定で処罰が進められてよいのか。

 裁判において裁判官は、いったい誰の「性的好奇心」をそそったかどで人を処罰するのか。被告やその弁護人から、「この画像でいったい性的好奇心をそそると言えるのでしょうか」と質問されたら、裁判官はどう返事するのだろうか。裁判官自身の「性的好奇心」か。そうでないとすれば誰のものか。

 ばかばかしいと思われるかもしれないが、法律は「性的好奇心をそそる」ものが規制の対象になると規定しているのであるから、誰の「性的好奇心をそそる」のかという点はきわめて重要である。これは、成人を主な対象とする「わいせつ」の規定以上にあいまいだとさえ思われる。この一事を取ってみても、「児童ポルノ」の場合、成人と同じような発想で規制ができないことは明らかである。これでは法律の要件を満たしていないとわたしたちは考える。
 「性的好奇心をそそるもの」に替えて、わたしたちが提案するのは、『子ども性虐待禁止法を!』(エクパット・ジャパン・関西編集・発行、1998年)というパンフレットでも述べたように、「性的文脈のもとで子どもを使う」という規定である。つまり、空間的・時間的な前後関係から判断して性的な意味合いが明白ななかで子どもの映像を用いるということである。これは、1996年のストックホルム会議で出されていた視点であり、スウェーデンエクパットのヘレナ・カーレンさんからも教示いただいた視点である。これとても、日本の法律に性的虐待についての明確な規定がないもとでは、あいまいである。しかし、少なくとも「性的好奇心をそそるもの」という規定よりは明確である。また、この規定をしておけば、何をもって「性的文脈」というのかについて、客観的指標をつくるための議論を社会的に広げることが可能である。

 この問題についてひとつの考え方は、このようなあいまいなものを一切排除するというものである。実際、インターポルによる子どもポルノの規定では、・子どもが性的活動にたずさわっている場面、および、・子どもの性器を医学などの学問的理由以外で描写すること、の二つに限られている。議論の土台をきちんと据えるためには、法案はここに処罰の範囲を限定してよいという考え方もありうる。この場合、それ以外の範囲については、・自分に関する情報を自分でコントロールする権利、つまりプライバシー権や肖像権の侵害という範疇で対処するということになる。

 また、そもそも、読む側の基準で判断するのでは、児童ポルノ処罰法の目的は全く達成できない。
 この点につき「子ども買春・子どもポルノ・性目的の子どもの人身売買を根絶するために行動する組織と個人の世界的なネットワーク」を自称する市民団体エクパット・ジャパン・関西は次のように指摘して提案している。

私達は、子どもポルノについても、「性的虐待」という観点からまず第一に考えるべきだと提案します。つまり、被写体となった子どもにどのような精神的・肉体的な被害を及ぼすのかどうかということです。この観点から見たとき、最初に問題にすべきは、性的虐待の記録としての映像です。諸外国での研究によれば、自分が性的に虐待されている場面を記録されていることは、子どもの心に深い傷となって残り、それがどこかの誰かによってみられている可能性を考えるだけで恐れを生じさせるといわれています。実際に子どもポルノが使われる場合にも、視聴することによって性的満足を得るばかりでなく、性的虐待の被害者を脅迫したり、虐待する前の子どもに性的行為への抵抗感を弱めるために使われるといわれています。
 このように考えていくと、子どもポルノは成人を被写体とするポルノとは区別して対処することが必要だということになります。成人のポルノについては「わいせつ」を基準とすることがありえても、子どもポルノについては、虐待であるか、つまり被写体となった子どもにいかなる被害を及ぼすかが規制の基準とされるべきだということです。
 子どもポルノとされてきたものは、必ずしも多くの人を性的に刺激するものではないかもしれません。なかには、子どものたんなる水浴び姿などに性的刺激を感じる人もいるのです。そうした人を基準に「わいせつ」を規定するならば、水浴び姿そのものも禁止することになってしまいます。「わいせつ」かどうかは常識で考えれば分かるといわれることがありますが、一体誰の「常識」に従って「わいせつ」と判断するのでしょうか。逆に、「わいせつ」という基準から見ればさほど問題と思えないようなことでも、子どもの側にとっては大きな心の傷となる場合があります。性的虐待を記録した子どもポルノに「わいせつ」だからとぼかしを入れたところで、被害にあった子どもにとってその映像の意味が変わるわけではありません。「わいせつ」かどうかで議論している限り、問題の根本が見えなくなってしまうのです。

 裁判所は、性欲刺激の判断方法について判示した上で、本件画像が児童ポルノにあたるか否かを判断しなければならない。

5 判例(大阪高裁H14.9.10、大阪地裁h14.4.26)
 大阪高裁H14.9.10は、6歳児が扇情的な姿態をとっている場合について「被害児童は当時6歳の女児であるが,被告人によって撮影された被害児童の姿態は,幼女のあどけない自然な裸の姿ではなく,寝そべって両足を開いたり,足を立てて座ったりして,ことさら性器を露出するなど煽情的なポーズをとっており,これが鮮明に撮影されているものであるから,一般人の性欲を興奮又は刺激することのある態様のものと認められ,」と判示している。

阪高裁 平成14年9月10日
第4事実誤認ないし法令適用の誤り(控訴理由第9)及び事実誤認(控訴理由第10)の主張について
論旨は,①原判決は,本件ネガにつき,単なる裸体ではなく両脚を開かせ性器を露出させた露骨な描写をしており,一般人の性欲を興奮させ又は刺激すると判示しているが,被害児童は6歳であって,このような児童の姿態からは,どのようなポーズを取らせてみても,一般人の性欲を興奮させ又は刺激するものとは解されず,本件ネガが児童ポルノに当たるとはいえず(控訴理由第9),②被告人も,本件ネガが一般人の性欲を興奮又は刺激されるものであるとの認識はなかったから,被告人に故意があるとはいえないのに(控訴理由第10),本件ネガが児童ポルノに当り,被告人にもその認識があったとして児童ポルノ製造罪の成立を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認ないし法令適用の誤りがある,というものである。
しかしながら,捜査報告書(「差し押さえにかかる証拠品ネガフィルムの焼付けについて」,原審検甲5,6号証)によれば,被害児童は当時6歳の女児であるが,被告人によって撮影された被害児童の姿態は,幼女のあどけない自然な裸の姿ではなく,寝そべって両足を開いたり,足を立てて座ったりして,ことさら性器を露出するなど煽情的なポーズをとっており,これが鮮明に撮影されているものであるから,一般人の性欲を興奮又は刺激することのある態様のものと認められ,本件ネガが児童ポルノに当たることは明らかであり,また,上記のような被害児童のポーズを被告人がとらせたものであるから,これを撮影した被告人に児童ポルノ製造の故意があることも明らかであり,被告人に対し児童ポルノ製造罪の成立を認めた原判決に事実誤認ないし法令適用の誤りがあるとは認められない。論旨は理由がない。

 本件ではそのような扇情的ポーズはないから、大阪高裁の基準によれば、3号児童ポルノに該当しない。
 一般人基準であれば、医学文献でも見た目が0歳も6歳も8歳も第二次性徴が現れていない以上、児童ポルノ該当性も変わらない。
医学書院 標準小児科学p18

6 医学書の写真
 医学書の児童の裸体写真は「児童ポルノ」ではない。
 「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態」には違いないが「性欲を興奮させ又は刺激するもの」ではないからである。
 これを児童ポルノとすると、医学文献は発禁されるから、表現の自由や学問の自由の不当な侵害となる。
第3条(適用上の注意)
この法律の適用に当たっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。

 この点、京都地裁H12.7.17は撮影目的や販売方法を考慮すると判示しているが、これは不当である。「児童ポルノ性」というのは客体の要件であって「2条3項所定の物」は全部児童ポルノでなければならない。でないと、同じ写真があるときは医学書に掲載されて非児童ポルノとされ、あるときはアダルト雑誌に掲載されて児童ポルノとなることになって不都合であるからである。「児童ポルノ」はどんな器に盛っても「児童ポルノ」なのである。有害性は変わらない。
 そういう刑法的判断手法に従うとすれば、医学書に掲載されているような構図であれば、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」ではないから児童ポルノには該当しない。

 ここで比較のために、弁護人が公立図書館において適法に入手した医学書の裸体写真を引用する。これらは「性欲を興奮させ又は刺激するもの」ではないから児童ポルノではない。(これが児童ポルノに該当すると判断されるのであれば、その旨を明確に判示されたい。出版社も複写した公立図書館も5項製造罪となる。)
 これが児童ポルノでないのであれば、被告人が撮影した画像も児童ポルノではない。
①標準小児科学 第5版
②小児泌尿器科学書
③新女性医学大系18「思春期医学」

7 3号児童ポルノに該当しない画像
 そこで、本件の画像を検討すると、いずれの画像も一般人の性欲を刺激しない。
 いずれも、扇情的なポーズをとっていない。
 強制わいせつの犯行写真には間違いないが、一般人の性欲は興奮させないということである。
 そこで本件で児童ポルノとされる写真と医学書の写真の類似性を確認する。
 医学書にも同様の写真が掲載されていることから、いずれも、一般人基準で扇情的なポーズはなく、一般人の性欲を興奮又は刺激することのある態様のものと認められない。


 奥村の主張は、児童ポルノ該当性は客体の要件であるから性欲刺激要件について撮影目的を考慮するべきではなく、両方、3号児童ポルノとした上で、行為についての正当行為で判断すべきだというものです。
 そうしないと、医学用の裸体写真をわいせつな目的で提供・陳列等する行為を規制できません。