「撮影行為は②の類型」「あまりに特殊な性的嗜好であり,社会通念上は性的性質が認められない行為については, やはり、行為者の性的意図だけを理由に性的意味を肯定することはできない」薄井真由子「強制わいせつ罪における「性的意図」(最大判平29・11 ・29刑集71 ・9 ・467)植村立郎「刑事事実認定重要判決50選 上 《第3版》」2020
大法廷h29.11.29がわいせつの定義しなかったので、大混乱じゃん。
裸体撮影行為はわいせつ性弱いと主張します。
薄井真由子「強制わいせつ罪における「性的意図」(最大判平29・11 ・29刑集71 ・9 ・467)植村立郎「刑事事実認定重要判決50選 上 《第3版》」2020
イ具体的判断方法
第2に,具体的判断方法としては, まず,
①行為そのものが持つ性的性質が明確で,直ちにわいせつな行為と評価できる行為と,
②当該行為が行われた際の具体的状況等をも考盧に入れなければ当該行為に性的な意味があるかどううかが評価し難いような行為
があるとした。
そして,②の行為については, 当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考慮し,その行為に性的な意味があるといえるか否かや,④その性的な意味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断するものとした。その上で, そのような個別具体的な事情の一つとして,行為者の目的等の主観的事情を判断要素として考盧すべき場合があるというのである。ウその他の性的部位への直接の接触行為
性器・肛門・口腔以外の性的部位としては。胸と霄部があげられることが多い。胸と霄部は性を象徴する典型的な部位といえるから、被害者の胸や臂部を直接触ったり揉んだりする行為, あるいは行為者の胸や臂部を直接被害者に触らせる行為は, 瞬問的な接触や狭い範囲の接触でなければ,性的性質が強く,①の場合に当たるのではないかと思われる'2)。
もっとも,接触の具体的態様を考慮することにはなろう。
なお, 男性や児童の胸が女性の胸と性的性質が同じかどうかは議論のあるところだが, 強制性交等罪において男女の別がなくなり,今日では性的な被害については男性や児童も女性と同じであると一般的に受け止められていることからすれば, 男性や児童の胸の性的性質について女性の胸と区別する解釈は基本的に採り得ないものである13)。
エその他の行為
性器あるいは性的部位への着衣の上からの接触や,接触を伴わず,被害者の性器あるいは性的部位を見たり撮影したりする行為については, 直接の接触よりは性的侵襲度が低いといえるから,①の場合ではなく、②の場合として,行為が行われた際の具体的状況等を踏まえて「わいせつな行為」といえるかを判断するのが相当と解される。
(3) 行為が行われた際の具体的状況等を考慮した判断について
ア 行為そのものの性的性質を検討したときに, 当該行為が行われた際の具体的状況等をも考盧に入れなければ当該行為に性的な意味があるかどうかが評価し難いような行為(②の場合)については, 次に, 当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考盧し,
アその行為に性的な意味があるといえるか否かや,
イその性的な意味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断することになる。
諸般の事情としては。行為者と相手との関係場所や時間帯、行為に至る経緯前後の行動等があげられるだろう。
②の場合に当たる行為としては。肌を撫でる行為,着衣を脱がせる行為,着衣を付けない状態で写真を撮影する行為など,性的意味とは別の意味でなされることもある行為があげられる。例えば, 福祉サービスとしての入浴介助で相手の着衣を全て脱がせる行為には性的意味は認められないが,夜間に二人きりの部屋で相手の着衣を全て脱がせる行為については性的意味が認められることが通常だろう。これは, 当該行為が行われた際の具体的状況等により, その行為が性的意味を持つものなのか, それとも別の意味でなされた
ものなのかを判断しているのである。また, 前記(2)エのように性的部位に関わるものの性的侵襲度が比較的低い行為については,性的意味があること自体は明らかであるが, 当該行為が行われた際の具体的状況等を踏まえ, その意味合いの強度を判断することになる。
そして,上記の判断に当たっては,行為者の目的等の主観的事情を判断要素の一つとすることもあり得るというのであるが,具体的に,行為者の主観的事情が,行為の性的意味の有無やその意味合いの強度にと奪う影響するのだろうか。なお, ここで考慮対象とされるべき主観的事情には,行為者自身の性欲を満たす性的意図に限られず,相手に対して性的屈辱感を覚えさせることによって復讐等を果たす目的や, 第三者らの性欲を満たすため性産業に提供する目的等も含まれる14)。
イ性的意味の有無への影響について
上記のように,性的意味からなされることも, 別の意味からなされることもある行為については、 まずは当該行為が行われた際の具体的状況に関する客観的事情から、その行為の意味を考えるべきである15)が, さらに行為者の主観的事情を一要素として考盧することにより, 当該行為が性的意味から行われたと判断されることはあり得る。とはいっても, ほとんどの場合は,客観的事情から性的意味を肯定できるかどうか判断されるものと思われる。
例えば,知り合いの児童を抱きすくめて臂部を含む身体を撫でる行為については,物陰に連れて行っているとか,児童が嫌がっているのにやめなかったなどの客観的事情から,親愛の情ゆえの行為ではなく性的意味が肯定できるのであって,行為者の主観的事情は,客観的事情を踏まえても両様の解釈が成り立ち得るときに, いわば補充的に機能するにすぎないと考えられる。
これに対し、客観的にみて性的意味が認められない行為については,行為者が性的意図をもって行っていたとしても,行為者の主観的事情だけで性的意味を肯定することはできないというべきである。この点に関し,行為者の主観的事情との関係で取り上げられることの多い治療行為と行為者の特殊な性的嗜好(フェテイシズム)に基づく行為について検討しておく。
(ア) 治療行為
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(イ) 行為者の特殊な性的嗜好(フェティシズム)に基づく行為
行為者の特殊な性的嗜好(フェテイシズム)に基づく行為についても,性的意味の有無の判断と行為者の主観的事情の関係が問題となる。こうした行為は,一見性的意味を持つようには思われない行為であっても,行為者は性的意図を有して行っているからである。この点、あまりに特殊な性的嗜好であり,社会通念上は性的性質が認められない行為については, やはり、行為者の性的意図だけを理由に性的意味を肯定することはできないというべきである。例えば,女性が汗を流す姿を見ることに性的興奮を覚える者が, その姿を見たいがために無理やり運動場を走らせたとしても,社会通念上当該行為に性的意味は認められないから,行為者の主観的事情だけで性的意味があることにはならない。もっとも、社会通念上もフェテイシズムに基づく行為として認知されているような行為であれば, そのことから性的意味を肯定できることもあるだろう。
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4 おわりに
本判決は、強制わいせつ罪の解釈を明確化したものとして重要な意義を有する。もっとも、刑法176条の「わいせつな行為」該当性の判断や, そこに行為者の主観的事情がどのように影響するのかについては,残された課題であり,今後の事例集積とそれを踏まえた更なる分析が望まれる。