(3)本判例の評価
本判例は, PTSDが傷害に当たることを認めた最初の最高裁判例であり,PTSDという比較的新しい精神疾患概念について,傷害に当たることを肯定した点に意義がある。
もっとも,本判例は,飽くまでも,本件の事実関係の下において,PTSDの成立を認めたものに過ぎず,いかなる事案においても, PTSDと診断されれば傷害罪が成立するなどと判示したものではないことはいうまでもない。また,先に見たとおか下級審レベルでは, 傷害罪の成立を否定した裁判例がいくつか存在するところ,これらの事案においても,PTSDが傷害罪に当たり得ることまで否定されていたわけではなく,その意味で.本判例は,これまでの高裁レベルの裁判例と大きく異なる判断をしたというわけで、はないといえよう。
(4) PTSDの立証の在り方
本判例を受け,今後は, PTSDを傷害と認定するためにはどの程度の立証を要するかが裁判上の争点の中心になると思われる。
この点,本件の控訴審判決は, PTSDを認定するに当たっては,少なくとも鑑定等により,これらの精神疾患に詳しい専門医による診断結果を踏まえ,
当該犯罪による傷害の有無及び程度を認定するのが相当というべきである旨指摘している。
そして,本件では, PTSDに精通した専門の精神科医が,複数回にわたって,合計6ないし7時間の診察を行い,様々な心理テスト等を実施した上,DSMの診断基準に沿って診断結果を導いておりこのような事実関係を前提として,医師の診断結果を是認し, PTSDを傷害と認めたものである。
これに対し,PTSDの傷害該当性を否定した前記福岡高判の事案では,医師による診断が1回限りであったし前記東京高判の事案でも,通院は複数回なされていたものの,医師による鑑定は実施されておらず,単に医師の診断書と電話聴取書が証拠請求されたのみであり, DSM等の診断基準に沿って各要件が慎重に検討されたわけではなかったようである。
確かに, DSM等の診断基準を満たさなければ, 刑法上の傷害と認める余地はないという論理関係にあるわけではないが.公判での立証という観点からすれば, PTSDのように診断が比較的困難な精神疾患を傷害と認定するためには, DSM等の診断基準に従い,専門の精神科医による鑑定を実施することが重要と思われる。