児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

強制わいせつ罪は傾向犯か?

 傾向犯だとすると、犯人の性的意図が実現されたときに既遂になり、実現されなかったときは未遂になるという結論がなじむのですが、それを認めると、みんな「もう少しわいせつ行為を進める意図だった」と弁解すれば全ての強制わいせつ罪は未遂になることになるので、そんなへりくつは通りません。

名古屋高裁H22.3.4
1 控訴理由第1について
 論旨は,原判示第2の1,第3の1,第6の1,第7の1及び第8の1の各事実について,被告人が企てたわいせつ行為は,口淫又は手淫させて撮影するというものであったから,撮影行為を認定せずに強制わいせつ罪の既遂を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある,というのである。
 しかしながら,犯人が企図したわいせつな行為の全てが遂げられなければ既遂とならないものではなく,その一部のわいせつな行為がなされれば,強制わいせつ罪は既遂に達したものと解すべきであるから,所論の各事実につきいずれも強制わいせつ罪の既遂を認めた原判決に法令適用の誤りはない。 論旨は理由がない。

 これなんか、傾向犯的じゃないですよね。

西田典之刑法各論第5版
P88
2 「わいせつな行為」とは,性的自由が保護法益であることから,公然わいせつ罪(174条)におけるわいせつ概念より広く,被害者の性的差恥心を害する行為をいうと解すべきであろう(中森64頁)。したがって,相手の意に反して接吻する行為は,現在では公然わいせつ罪にはあたらないであろうが,本罪を構成する(東京高判昭和32・1・22高刑10巻1号10頁)。ただし,一般人の見地からみても性的差恥心を害する行為であることが必要であろう。
具体的には,乳房や陰部を触わる行為(名古屋高金沢支判昭和36・5・2下刑3巻5=6号399頁),裸にして写真を撮る行為(東京高判昭和29・5・29判特40号138頁),男女に性交を強要する行為(鎖1路地北見支判昭和53・10・6判タ374号162頁), 少年の肛門に異物を挿入する行為(東京高判昭和59・6・13刑月16巻5=6号414頁)等が本罪にあたる。
P89
なお,判例は,本罪を傾向犯と解し,わいせつな行為が「犯人の性欲を刺激興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれること」を要するとして,報復目的で被害者の女性を裸にして写真撮影をしても本罪にあたらないとしている(最判昭和45・1・29刑集24巻1号1頁(98))。しかし,本罪の保護法益を性的自由と解する以上,行為の法益侵害性は行為者の主観的意図により左右されるものではないから,この結論は不当である

山口厚刑法各論
P104
本罪の「わいせつな行為」と公然わいせつ罪(刑174条)における「わいせつな行為」とは,保護法益が異なっており,その内容は異なる。前者は,本人の(自ら行うか否かについての)性的な自由の対象となる行為であるのに対して,後者は,他人の(他人が行うことを見るか否かについての)性的な自由の対象となる行為だからである。したがって,無聞やりキスをすることは,現在のわが国においては,疑問の余地はあるものの,強制わいせつ罪の成立をなお肯定しうるであろうが(東京高判昭和32・1・22高刑集10巻l号10頁参照),公然わいせつ罪の成立を斤定することはできないと解されることになる。具体的には.乳房や陰部などに触れる行為.裸にして写真撮影する行為,男性に性交を行わせる行為25)などがそれにあたる。
24) 被害者が,実際には,怒りを感じはしたものの,基恥心を感じなくとも強制わいせつ罪は成立する。「わいせつな行為」にあたるか否かは, 被害者の具体的な感受性を基準としてではなく, 一般的基準によって判断される(西田91頁をも参照)。

P105
判例においては,強制わいせつ罪の成立を宵定するためには,「犯人の性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという性的意図」が必要であるとする考え方を採るものが存在する(最判昭和45・1・29刑集24巻l号l頁)。そこから, もっぱら被害者の女性に報復し.又はこれを侮辱し虐待する目的で.同女を裸にして写真撮影しても,強制わいせつ罪は成立しないとされている。 しかしながら,学説においては,このような「性的意図」は,保護法益である性的臼由の侵害の有無とは無関係であるとして, このような要件は不要と解すべきであるとされており(団藤491頁,平野180頁,大谷111頁,中森64頁,西国92頁,前回95頁,林94頁など多数。これと実際上同趣旨の判決として,東京地判昭和62 ・9 ・16 'I~II 時1294 号143 頁)‘正当である。