児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

「当該者であることが明らかに認められる」とは

http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20140604#1401875180
の懸念は現実になりました。

 だれの注釈もないこの時点で解説を求められると、もう踏み石となることは覚悟の上です。
 「当該者であることが明らかに認められる」については国会でも「この括弧書きの法的性質が必ずしも明らかではありませんねということになったわけです」とされているようで、解説のしようがありませんね。普通の刑事裁判では「合理的な疑いを容れない程度の証明」があれば、「明らか」と判示されますので、それと変わらないというのであれば、余り意味が無い規定ということになりますね。

186 - 衆 - 法務委員会 - 21号 平成26年06月04日
○椎名委員 ありがとうございます。
 では、もう一つ、「自己の意思に基づいて」というところについて階先生に伺いたいと思います。
 これは恐らく、正犯者に自己の意思に基づく所持が観念できない場合と、それから、正犯者にはあるけれども従犯者に自己の意思に基づく所持というのがない場合と、いろいろあるんだろうというふうに思いますけれども、正犯者に自己の意思に基づく所持が観念できないような場合、この場合に従犯が成立するのか。こういう「自己の意思に基づいて所持するに至った」というところがどういった法的な意味合いを持つのかを含めて、御答弁いただければというふうに思います。

○階委員 今御指摘のあった点は実務者協議でも大変議論になった点でございまして、まさに「自己の意思に基づいて所持するに至った」という文言の法的な位置づけにかかわってくるところでございます。
 そもそもこの第七条一項の構成要件は、基本的には、自己の性的好奇心を満たす目的で児童ポルノを所持あるいは保管というところが構成要件です。括弧内で、「自己の意思に基づいて所持するに至った者であり、かつ、当該者であることが明らかに認められる者に限る。」というふうに定められているわけですが、この括弧書きの法的性質については、その前半部分、すなわち、所持の開始のときに自己の意思に基づいているということを前半が規定しておりますけれども、それは客観的なことを定めているわけですが、後半部分では立証の程度について規定しているということであります。
 これを処罰条件と見るか、構成要件と見るかということについて実務者協議でも議論になりましたけれども、いずれでもないだろう、また、こういったことについて同様の立法例もないということで、結論としましては、この括弧書きの法的性質が必ずしも明らかではありませんねということになったわけです。
 ただ、その前半部分、すなわち、「自己の意思に基づいて所持するに至った」というところが構成要件要素である「所持」を開始した経緯及びその時点における認識についての要件であり、いわば構成要件に関する要素というふうに理解できるのではないか。このように解した場合、共犯の従属性という刑法上の論点がありますけれども、要素従属性のいろいろな学説がありますが、正犯が構成要件を満たさない場合には共犯を処罰しないという立場ではどの学説も一貫しているわけです。
 したがいまして、いろいろな学説がありますけれども、正犯が括弧書き前半の要件を満たしていない場合には、共犯、すなわち教唆犯、幇助犯についても処罰しないという整理になると考えております。
 また、実質的にも、この規定の趣旨は性的好奇心を満たす目的で児童ポルノを所持した行為についてその処罰範囲を括弧書きの条件を満たす者に限定するものであるため、正犯が処罰できないのに狭義の共犯について処罰することは相当でないと言えると思います。

② 単純所持罪の創設
 単純所持の禁止は、今回の改正においてもっとも議論のあったところである。慎重派の理由は専らメールにより送り付けられた場合やウイルスにより仕込まれた場合を危惧するものであった。
 14年改正法は、3条の2で「何人も、児童買春をし、又はみだりに児童ポルノを所持し、若しくは第2条第3項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識できる方法により描写した情報を記録した電磁的記録を保管することその他児童に対する性的搾取又は性的虐待に係る行為をしてはならない。」と規定して児童ポルノの所持自体が児童に対する性的虐待であることを宣言した上で、7条1項で「自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者(自己の意思に基づいて所持するに至った者であり、かつ、当該者であることが明らかに認められる者に限る。)は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。」という罰則を設けた。

 「所持」については、「自己の事実上の支配下に置くこと」とされ、法禁物の所持罪についての従前の判例を踏襲するようである。なお、電磁的記録である児童ポルノの場合に、媒体から削除した場合について「ごみ箱に入れるだけという意味であれば、この行為だけをもって所持していないとは断言できないということです。今御指摘の点、ごみ箱から削除した上でファイル復元ソフト等を入れている場合という話でしたけれども、ごみ箱から削除した場合については、原則として、特段の事情のない限りその当該ファイルを自己の事実上の支配下に置いているとは認められないというふうに考えます。」と説明されているが4、媒体のごみ箱から削除した状態ではデータとしての記録状態には変化がなく容易に復元できること5、削除された状態でも物理的複製は可能であること、ファイル復元ソフトの入手は容易であること、これを所持に当たらないというのであればゴミ箱から削除した状態で保管すれば所持罪(7条3項、7項)の成立を容易に回避できることからすれば、物理的に復元可能性がある場合には削除されていても「所持」に当たるとした上で、所持の認識の問題として解決すべきであろう。

 「自己の性的好奇心を満たす目的」とは、そもそも児童ポルノの定義自体が一般人基準で性欲を興奮・刺激するものされている(1号ポルノにおいても類型的にそう解されている)関係で、「自己の性的好奇心を満たす目的」を満たさないとされるのは、2条2項本文と同様に医療や刑事司法など正当な目的での所持に限定され、それ以外の所持が「自己の性的好奇心を満たす目的」が無いとして許容されることはないであろう。
 「自己の意思に基づいて所持するに至った」とは、送りつけや投げ込みの場合を除外する趣旨であって、所持開始の時点において自己の意思に基づいて所持するに至った場合を意味するが、「送りつけられた時点では自己の意思に基づくというものでなかったとしても、その後、メールに添付された児童ポルノ画像を開き、当該ファイルが児童ポルノであることを認識した上で、性的好奇心を満たす目的を持って、これを積極的な利用の意思に基づいて自己のパソコンの個人用フォルダに保存し直すなどしたときは、その時点で新たに自己の意思に基づいて所持するに至った」とされており6、結局、所持罪の故意(=所持の認識)と重複する要件であって、他の法禁物の所持の要件と変わらないから処罰範囲を限定するとは言いがたい。
 「当該者であることが明らかに認められる」については「取得の時期などを含めて、自己の意思に基づいて所持するに至った時期とか経緯などについて、できる限り客観的、外形的な証拠によって確定するべきであるという趣旨を明確にするために加えたもの」7「立証の程度について規定している」8と説明されているが、この要件の法的性質が明らかではない上9、刑事訴訟における証明の程度については犯罪事実については合理的な疑いを容れない程度に証明がされなければならないととされ、自白の証明力には制限があること(刑訴法319条2項)からすれば、その程度の証明で「明らかに認められる」というのであれば、これも他の法禁物の所持罪の要件と変わらないことになる。
 結局、法文上は字句を加えて形式上は成立要件を絞り込んだように見えるが、リップサービスに過ぎず、実際には、従前の所持罪と同様に運用されると思われる。

追記 2015年1月3日
 その後の実務家の論稿をみても、「当該者であることが明らかに認められる」の立証は自白で足りるとされており、刑訴法の証明の程度には変わりないようです。要するに意味が無い法文。

江口寛章ら「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部改正」警察学論集第67巻第10号
「当該者であることが明らかに認められる」とは、どのような意味か。
(1)取得の時期などを含めて「自己の意思に基づいて所持するに至った」時期や経緯などについて、できるだけ客観的・外形的な証拠により確定するべきであるとの趣旨を明らかにするもの。
(2)現在でも、提供目的等の所持罪について実際の捜査・訴追実務では、取得の時期・経緯について自白が得られた場合には、必ず起訴前にその裏付け捜査をする取扱いがなされているところ。

坪井麻友美「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律について」H26_捜査研究 第63巻第9号(2014年9月号)
ウ後段
「当該者であることが明らかに認められる」の「当該者」とは,「自己の意思に基づいて所持(保管)するに至った者」のことであり,この後段部分は,「自己の意思に基づいて所持(保管)するに至った」時期や経緯などについて,できるだけ客観的・外形的な証拠により確定すべきであるとの趣旨を明らかにしたものであるとされている。
この背景には,捜査機関が自白偏重に陥るのではないかという懸念があると考えられるが,この文言は,一般に捜査機関において行われているとおり,客観証拠の収集に努め,自白がある場合にも,その自白の裏付けを取るなどして,自己の意思に基づいて所持等するに至ったことについて合理的な疑いを容れない立証を行うべきことを求めるものであって,もとより立証の程度と方法に関する刑事訴訟法の原則の例外を定めたものではなく,任意性・信用性のある自白によってこの括弧書の要件を認定することまでが排斥される趣旨ではないと考えられる。