児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

プロバイダー・掲示板管理者の刑事責任は不真正不作為犯か?

 学者は不真正不作為犯で論じようとしていますが、裁判例では作為犯で処理されています。
 不真正不作為犯はいろいろやっかいだから、違法な作為があれば、作為に飛びつくわけでしょうね。学者じゃないんで裁判所は。事件を適正迅速に処理しないと滞留するわけで。その辺に作為犯説を採る動機があると観測しています。
 こんなこと書くと、刑法学会で馬鹿にされるので、不作為犯論者の大先生を刺激しないように工夫しています。
 まあ、実務家は説にこだわりが薄いので、攻撃して論破してもらえればいいとも思っています。

 しかし、翻って考えると、不作為犯の典型例における行為者には、自然的に観察すると、違法な結果に対する積極的な行為はないのに対して、プロバイダーの情報伝達作用は、違法合法・故意過失の問題はさておいて、日常の通信設備の維持管理活動を通じて、違法状態の維持・拡散を行っているという意味では積極的な行為(「作為」)が認められる。
 後に紹介する公然わいせつ幇助事件(福岡高裁S27.9.17)の事例のように、劇場の維持管理・運営という「作為」に伴う違法行為の放置(不作為)を幇助と評価するならば、プロバイダーの場合には、電気通信設備の維持・管理・運営という「作為」が必ず伴うから、名誉毀損情報の放置という純粋な「不作為」について、不真正不作為犯として名誉毀損罪の成否を論じる必要性は乏しいとも考えられるのである(但し、後に述べるように、不作為を評価対象とすることは必要である)。
 しかも、刑法において評価の対象となる「行為」は必ずしも作為か不作為かに厳格に二分されるものではなく作為と不作為との複合体も許容されることを考えると、プロバイダーの刑事責任については、むしろ、基本には、電気通信設備の維持管理運営という「作為」を評価対象として、違法行為の放置という「不作為」をも加味して評価できるのである。
 実はこのような考え方が、裁判例の共通点である。確かに不作為犯的な要素は認められるが、純粋な不作為犯が問われることはないのである。違法情報の放置という不作為は、それだけでは実行行為性の判断を逃れて、「作為による実行行為」についての実行行為性の判断において「作為」を色付ける要素として考慮されているのである。従来の不真正不作為犯としての議論は、体系的にはここに位置付けられている。

(2)作為犯か不作為犯か?
 前述したように、源発信者から発信された違法情報が維持・拡散されるのは、プロバイダーが提供する情報伝達作用によるのであり、プロバイダーは情報伝達作用を維持するために積極的に活動しているのであるから、その刑事責任を問うとすれば基本的には「作為犯」を論じるべきである。


 これを不真正不作為犯の設例としてよく挙げられる「警備員が石油ストーブから発生した小規模な火災を放置して帰宅した」という放火の事例になぞらえると、行為を自然的に観察すると、行為者は火災現場から離れてただ通常の生活をしているだけあって、現場を離れてからは違法状態との関係では積極的な行為は皆無である(実は、それゆえにそれが行為なのか犯罪なのかという不真正不作為犯の議論が始まるのである。)のに対して、他人が発信した違法な情報に対するプロバイダーの関与は、自然的に観察すると、違法情報の存在を知らないにせよ、積極的活動により違法な情報を維持・拡散しているのである。放火の例に例えれば、ストーブから火災が発生しているのを知ってか知らずか火災が発生しているストーブに燃料を補充し続けているようなものである。
 もっとも、その犯罪性は、違法情報を認識しながら故意に削除せず、さらに拡散した点に求められるから、その意味では、不作為犯的な要素も考慮され、作為義務の議論は欠かせない。

 なお、既に見た裁判例ではいずれも「作為犯」として処理されているが、これは、不作為犯の構成を取ろうとすると、作為義務・作為可能性の存否という微妙な事実認定が必要となるから、違法な結果に向けられた何らかの作為が認められる場合には、全体として作為犯として処理して、なるべく不作為犯としての構成を回避するしようとするという裁判所の慎重な「習性」という側面もあるから、その意味でも、今後もできるだけ「作為犯」として処理されていく傾向は続くと考える。