「胸に触れた行為については,争点〔2〕で検討したとおり,左胸を複数回わしづかみにして揉むという態様のものであったとまでは認められず,性的な意図をもってなされたものとも認められない」ということで、傾向犯説なんでしょうな
大阪地方裁判所堺支部
平成29年5月25日第1刑事部判決
上記の者に対する強制わいせつ致傷(予備的訴因:大阪府公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例違反,傷害)被告事件について,当裁判所は,検察官川上岳及び同清瀬伸悟並びに国選弁護人川上博之(主任)及び同高橋早苗各出席の上審理し,次のとおり判決する。
理 由
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1 平成28年8月16日午後11時50分頃,堺市α区β×丁×番×号aビル西側歩道上において,徒歩で通行中のB(当時24歳。以下「被害者」という。)に対し,右手でその臀部を着衣の上から押し当てて触り,もって公共の場所において,人を著しくしゅう恥させ,かつ,人に不安を覚えさせるような方法で,衣服等の上から人の身体に触れた。
第2 被害者から前記第1の行為をとがめられたため同所から逃走し,同日午後11時55分頃,同区γ×丁×番堺市立C駐輪場(以下「本件駐輪場」という。)内において,被告人を追尾しその逃走を阻止しようとして被告人の押し出そうとする自転車のフレームをつかみ自転車後輪スポーク内に左足を差し入れた被害者を,同所から同区γ×丁×番△号EショップF店西側歩道上まで自転車を押して進行させることにより引きずり,よって,同人に加療約13日間を要する左下腿打撲皮下血腫の傷害を負わせた。
(証拠の標目)《略》
(強制わいせつ致傷罪の成立を認めなかった理由等について)
第1 当事者の主張及び本件の争点
本件の主位的訴因に係る公訴事実の要旨は,「被告人は,徒歩で通行中の被害者に強いてわいせつな行為をしようと考え,平成28年8月16日午後11時50分頃,堺市α区内の歩道上において,同人に対し,手でその臀部を着衣の上から揉み,同人からこのことをとがめられたため同所から逃走し,同日午後11時55分頃,本件駐輪場内において,被告人を追尾してきた被害者が,被告人の押し出そうとする自転車をつかむと即座に,被害者に対し,右手で同人の着衣の上からその左胸を複数回わしづかみにして揉み,強いてわいせつな行為をした上,被告人の逃走を阻止しようとして,前記自転車後輪スポーク内に左足を差し入れた被害者を,同所から同区内のEショップF店西側歩道上まで引きずり,同所において,前記自転車を突き放し,前記自転車を掴んでいた被害者もろとも転倒させ,よって,同人に加療約13日間を要する両下腿打撲皮下血腫,右上腕打撲皮下血腫,頸部打撲の傷害を負わせた。」というものである。
これに対し,弁護人は,〔1〕被告人は被害者の臀部を揉んではおらず,手を被害者の臀部に当てたにすぎないから,強制わいせつ罪の成立要件である「暴行」も「わいせつな行為」もない,〔2〕被告人が逃走目的で被害者の鎖骨辺りを目がけて手を押した際に,手が被害者の胸に当たった可能性はあるが,性的な意図を持って被害者の左胸をわしづかみにしたものではない,〔3〕被告人は,自転車の後輪スポーク内に足を差し入れた状態の被害者を引きずった上,自転車を突き放し,自転車もろとも被害者を転倒させるという暴行は行っておらず,被害者の傷害もその暴行によって生じたものではないと主張している。
本件の事実認定上の主な争点は,〔1〕「手で被害者の臀部を着衣の上から揉む行為」があったのか,その行為が性的な意図でなされたものか,〔2〕「右手で被害者の左胸を着衣の上から複数回わしづかみにして揉む行為」があったのか,その行為が性的な意図でなされたものか,〔3〕「自転車の後輪スポーク内に足を差し入れた状態の被害者を引きずった上,自転車を突き放し,自転車もろとも被害者を転倒させる暴行」があったのか,被害者の傷害がその暴行によって生じたものかである。
第2 争点〔1〕について
本件に至るまでの経緯について,関係証拠によれば,被告人は,事件当日の夜,δ付近で飲酒した後,帰宅するため電車でD駅まで戻ってきたこと,被告人は,D駅前の歩道上を一人で歩いていた被害者に対し,わざと肩をぶつけて声をかけたが,被害者は被告人を相手にすることなく,被告人から離れていったこと,その後,被害者が判示第1記載のaビル西側歩道上を北に向かって歩いていたところ,被告人が被害者の後方から近づき,追い抜きざまに,被害者の着衣の上から右手でその左臀部を触ったこと,以上の各事実が認められる。
被害者は,臀部への接触の具体的態様について,被告人が指先を下にした手をお尻にぐっと押し当ててきたと証言しており,接触時に臀部をつかまれたり握られたりしたような感触があったとの証言はしていない。なお,被害者は,接触の時間について,秒レベルで10秒まではいかないと証言するが,触られたと感じてすぐに振り返ったがその時には被告人の手が遠ざかっていたとも証言しており,これらからすれば,接触はごく短時間のものであったと考えられる。被害者は,この接触について,「揉まれた」とも表現するが,前記の証言による接触態様を前提とする限り,「揉む」と呼ぶにふさわしい行為があったとは評価できない。
被告人は,臀部への接触について,指先を下にした状態でぽんと当てるような形で手の平で触ったと供述しているが,これは被害者の説明する態様とほぼ同旨のものと理解でき,その内容に格別不自然な点はない。
このように,被告人の行為は,手を被害者の臀部に押し当てるというものであり,指を曲げて臀部をつかんだり握ったりする態様のものではなく,また,ごく短時間のものであることから,これを,強制わいせつ罪の成立要件である「暴行」と評価することはできない。
第3 争点〔2〕について
1 被告人が臀部を触る行為をした後の事実経過について,関係証拠によれば,以下の事実が認められる。
(1)被害者は,被告人に臀部を触られた後,被告人に対して,警察を呼ぶなどと言って抗議したところ,被告人は警察を呼ぶなら呼べばよいなどと答え,そのまま立ち去ろうとした。そこで,被害者は,すぐに所持していたスマートフォンで110番通報をした。
(2)被告人は,歩道をそのまま北の方に向かって速足で逃げていき,歩道の東側に隣接する本件駐輪場に入り,そこに止めてあった自己の自転車を解錠した上,自転車を押しながら本件駐輪場の外に出ようとした。
被害者は,スマートフォンで110番通報を受理した警察官との通話を続けながら被告人を追いかけていき,本件駐輪場内に入ったところ,自転車を押しながら外に出ようとしていた被告人に追いついた。その際,被告人は,自転車の進行方向に向かって左側に立ち、両手でハンドルを握っていたが,被害者は,自転車の進行方向に向かって右側に立ち,自転車を制止するため,自転車のフレームを左手でつかむなどした。
なお,被害者が110番通報をした際の通話記録によれば,通話の録音開始の約35秒後に被害者の「Dのすぐそばの駐輪場です,今」との発言があり,その後,被害者の「今逃げようとしてます」等の発言が何度か繰り返された後,録音開始から約1分後に被害者の「今,ちょっと,おっ,胸を触られてます」との発言があったことが認められる。
(3)被告人は,被害者が自転車のフレームをつかむなどして逃走を阻止しようとしている状態で,自転車を押しながら本件駐輪場を出て,歩道を北に向かって自転車を進めていったが,被害者はなおも自転車を離さないでいたところ,被告人は,自転車の止めてあった場所から30メートルほど離れた判示第2記載のEショップF店西側歩道上付近で,自転車に乗って逃走することをあきらめ,自転車をその場に残して北の方向に逃走した。
なお,前記通話記録によれば,録音開始の約1分15秒後から,被害者の「Dのそばの駐輪場です」との発言に続いて,被害者の悲鳴らしき音声が記録されており,さらに,「Dの駐輪場です」,「横にEショップがあります」,「ちょっと今,逃げようとしてます」等の被害者の発言の後,録音開始の約1分45秒後から約1分55秒後までにかけて,「逃げました,今逃げた」,「今逃げた。今逃げた。今逃げた」,「逃げた」との被害者の発言が立て続けにあり,さらに,被害者の「ちょっと早く来てください」,「早く来てください」,「早く来てください」との発言が続いていることが認められる。
2 ところで,被害者は,胸を揉まれたとされる状況について,次のように証言している。すなわち,被告人が駐輪場から自転車で逃走しようとする際に,左手で自転車のフレームをつかむとともに,自転車の後輪付近の金具に履いていたサンダルの左かかと部分を載せ,そのかかとがスポークに引っかかるような体勢で食い止めようとしたが,自転車はそのまま前に進んでいたところ,急に,その状態にもかかわらず被告人が左胸を着衣の上から揉んできた,揉んでいた手はそのときは見えていなかったが,フレームを握っている自分の左手の上を被告人の右腕が通っていった記憶があるので,揉んだのは右手だったはずである,揉まれたときの感触は,わしわしという感じで,指を開いたり閉じたりという動作を,左胸を中心に回しながら,四,五回してきた,押すとか押しのけるといった動きは一切なかった,とのことである。
一方,被告人は,被害者に自転車を押さえられて動かせなくなったので,とっさに被害者を自転車から引き離そうと被害者の肩から鎖骨の辺りを押した,そのときに手が被害者の胸に当たったかもしれない,そのとき被害者は警察に通報している最中だったので,早く逃げないとまずいという気持ちであった,あえて胸を触りにいけるような状況ではなかったと供述している。
そこで,被害者の証言及び被告人の供述の信用性について検討する。
この点,被害者の証言には相当の具体性がある上,被害者の胸への接触があったことは通話記録によって認められる被害者の「胸を触られてます」との発言によって裏付けられているともいえることから,その信用性には問題がないかにも見える。
しかしながら,後記第4の2で検討するとおり,被害者の証言のうち,被告人が自転車を突き放し,これによって被害者が路上に転倒したとの部分については,通話記録の音声と整合せず,信用できないものといわざるを得ないところ,このような証言が単なる勘違いや記憶違いによってなされたとは考え難いことから,この点は,単に当該部分の証言の信用性を損なわせるだけでなく,被害者の証言全体について,被害状況を過大に供述しているのではないかなどの疑念を生じさせるものであって,胸を揉まれたとの証言部分についても,その信用性を慎重に吟味する必要がある。このような点も踏まえて検討すると,被害者の「胸を触られてます」との発言は,被害者の証言と整合してはいるものの,手が被害者の胸に当たったかもしれないという被告人の供述とも矛盾するものではない。臀部を触られ,その犯人である被告人を追跡し,その逃走を必死に食い止めようとしていた被害者にとって,被告人の手が自己の胸に当たることは極めて不快なことであったと考えられるから,これがたとえ偶発的な接触であっても,被害者がこれを更なる性的被害と受け止め,触られた旨の発言をすることは十分に考えられる。そうすると,被害者の「胸を触られてます」との発言があるからといって,これを被害者の証言の信用性を肯定する決め手とすることはできない。また,胸を揉む行為があったとされている前後に,被告人は逃走するための行動を一貫して取っている上,被害者が110番通報をして警察と通話中であることは被告人も認識していたところであるから,このような状況で性的衝動に基づく行動に出たというのもやや唐突であり不自然との感があることは否めない。
これに対して,被告人のこの点に関する供述それ自体には格別不自然な点もなく,通話記録その他の客観証拠との矛盾は見られない。検察官は,被害者の肩の辺りを狙ったにもかかわらず,被害者の胸に触れるのは不自然であると指摘するが,被告人と被害者の位置関係や体勢次第では,必ずしも不自然であるとはいえない。被告人は,被害者が110番通報を既にしている状況であえて胸を触りにいけるような心境ではなかったともいうが,当時の状況からいって,この点も自然である。検察官は,被告人が110番通報後も歩いて逃走していたことなどを指摘し,被告人は当時慌てて逃げるような状況ではなく,余裕で対応していたと主張するが,被告人は,胸への接触の約50秒後には自らの自転車をその場に残して逃走しているのであって(しかも,通話記録から第三者の介入が音声で最初に確認できるのは録音開始から約2分5秒後であり,被告人が自転車を残して逃走を始めたと考えられる時点から20秒近く経っていることから,第三者の介入がきっかけで被告人が逃走を急いだとも一概にはいえない。),検察官が主張するように余裕があったなどといい切ることはできない。
3 そうすると,胸を揉まれたとする被害者の前記証言は,被告人の供述を排斥し切れるほどにその信用性が高いとはいえず,被害者の左胸を複数回わしづかみにして揉む行為があったとまでは認められない。被告人の手が何らかの形で胸に接触した事実があったとしても,性的な意図でなされたものであると認めるには合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
第4 争点〔3〕について
1 自転車の後輪スポーク内に足を差入れた状態の被害者を引きずった行為の有無について
被害者は,本件駐輪場内で自転車のフレームをつかんだ際,自転車の後輪スポーク内に足を差し入れて被告人の逃走を食い止めようとしたが,被告人が自転車を押して前記EショップF店西側歩道上まで自転車を進めていったため,左足が後輪に巻き込まれ,引きずられていったと証言している。
この点,被害者の左足外側に線状痕を伴う打撲皮下血腫が多数箇所生じていることが認められ,線状痕はその形状から見て自転車のスポークによる圧迫によって生じたと考えて矛盾がない反面,他にそのような形状の線状痕が生じ得る原因は見当たらないから,この部分の被害者の証言は負傷状況と整合するものであって,信用性を肯定することができる。
したがって,被害者は,前記のような引きずり行為によって左下腿打撲皮下血腫の傷害を負ったものと認められる。そして,少なくとも被害者が被告人の自転車をつかんで自転車の進行を止めようとしていることを被告人が認識していたことは優に認定でき,そのような認識があるのにあえて強引に自転車を押し進めたものであるから,被害者に対する暴行の故意についても優に認定できる。
2 自転車を突き放して被害者を転倒させた行為の有無について
被害者は,被告人がEショップF店西側歩道上において,自転車をつかんでいる自分の側に自転車をぱあんと突き放して逃げたため,右腕を下にして歩道上に転倒し,自転車が自分の上にかぶってきた,このときに右の二の腕にけがをしたなどと証言している。
ところで,被告人が自転車を残して逃走を開始したのは,通話記録中の「ちょっと今,逃げようとしています」との発言の後の「逃げました,今逃げた」との発言の時点(録音開始の約1分45秒後)あるいはその直前又は直後であると考えるのが合理的であるが,通話記録中の音声を精査しても,その直後の10秒ほどの間に被害者はその前後と何ら変わりなく通報受理者との間で通話を続けており,転倒したことをうかがわせるような声の乱れなどは全く認められない。仮に,被害者が証言するとおり,右手にスマートフォンを持って通話状態を維持したまま,右腕を下にして歩道上に転倒し,被害者の体の上に自転車が覆いかぶさってきたのであれば,被害者自身の声の乱れだけでなく,転倒や自転車とぶつかったことによる衝撃音など,何らかの音声上の証跡が通話記録に残るものと思われるが,そういったものもうかがえない。そうすると,被害者の前記証言は,110番通報の通話記録と整合しないものといわざるを得ず,信用性を肯定することはできない。
したがって,自転車を突き放して被害者を転倒させた行為を認定することはできない。
3 なお,捜査報告書(甲36)によって認められる被害者の右膝打撲擦過傷,右上腕打撲皮下血腫及び頸部打撲は本件の一連の過程で生じたものであると推察されるが,これらがどのような原因で生じたかは証拠上は不明であるといわざるを得ない。そこで,前判示のとおり,左下腿打撲皮下血腫の傷害を負わせたという限度で傷害罪の成立を認めることとした。
第5 結論
以上のとおりであって,争点〔1〕,〔2〕の検討結果から,強制わいせつ致傷罪の基本犯である強制わいせつ罪の成立要件を欠くため,強制わいせつ致傷罪は成立せず,主位的訴因は認められないと判断した。
ただ,被害者の左臀部に手を押し当てて触った行為については,大阪府公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(平成29年大阪府条例第58号による改正前のもの)6条1号違反の罪に当たることは明らかである。
一方,胸に触れた行為については,争点〔2〕で検討したとおり,左胸を複数回わしづかみにして揉むという態様のものであったとまでは認められず,性的な意図をもってなされたものとも認められないことから,人を著しくしゅう恥させるような行為であること及びそのような行為であることについての被告人の認識のいずれについても,これを認めるには合理的な疑いが残るというべきであり,同条例6条1号違反の罪の成立を認めることはできない。
そこで,予備的訴因については,前記「罪となるべき事実」で記した限度でこれを認めた次第である。
(法令の適用)
罰条
判示第1の所為 平成29年大阪府条例第58号附則2項により同条例による改正前の大阪府公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例16条1項2号,6条1号
判示第2の所為 刑法204条
刑種の選択 いずれも懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法45条前段,47条本文,10条(重い判示第2の罪の刑に同法47条ただし書の制限内で法定の加重)
未決勾留日数の算入 刑法21条
刑の執行猶予 刑法25条1項
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法181条1項ただし書
(量刑の理由)
(求刑 主位的訴因:懲役4年,予備的訴因:懲役1年6月)
平成29年5月26日
大阪地方裁判所堺支部第1刑事部
裁判長裁判官 渡部市郎 裁判官 松本英男 裁判官 沼田晃一