児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

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わいせつの定義を「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。(最判昭26・5・10刑集5-6-1026)」としているからわいせつ行為に性的意図が必要なのか、わいせつ行為に性的意図が必要だから、わいせつの定義を「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。(最判昭26・5・10刑集5-6-1026)」となっているのか

刊行年 筆者 出典 保護法益 わいせつ定義 性的意図について言及 性的意図の要否
1909 大場茂男 刑法各論 上巻 大正7年 252ページ - 「猥褻ノ行為トハ客観的ニ之ヲ言へハ淫事ニ関シ風紀ヲ紊ル行為、即チ差恥ノ感覚ヲ惹起スル行為ヲ謂ヒ、主観的ニ之ヲ言へハ行為者カ淫慾ヲ起シ若クハ之ヲ満足セシムル為メニ行フ行為ヲ謂フ 行為者カ淫慾ヲ起シ若クハ之ヲ満足セシムル為メニ行フ行為 必要説
1914 大判大正三・七・二一 大審院刑事判決録第20号1541頁 - 刑法176条の暴行脅迫を手段とする猥褻罪と刑法177条の強姦罪とはその罪質を異にすると雖も行為の態様と犯人所求の心理観念は二者共に一なり。即ち前者は春情の満足を目的とする異性の狎眤にして後者も亦た同様の目的に出でたる異性の狎眤結合なり 春情の満足を目的とする異性の狎眤 必要説
1924 泉二新熊 「日本刑法論 下巻(各論)第35版」(大正13年 有斐閣)p396 - 猥褻行為トハ淫欲ヲ興奮シ又ハ之ヲ満足セシムル目的ニ出デタル行為ニシテ覚知者ニ羞恥ノ観念ヲ生セシムルモノヲ謂ヒ 猥褻行為トハ淫欲ヲ興奮シ又ハ之ヲ満足セシムル目的ニ出デタル行為ニシテ覚知者ニ羞恥ノ観念ヲ生セシムルモノヲ謂ヒ 必要説
1927 新保勘解人 日本刑法要論p232 - 猥褻ノ行爲トハ性的意異欲望ヲ表現スル行爲即チ性的行爲ニシテ客観的ニ社会公衆ノ性ニ関スル道義感情ヲ侵害スルニ適スルモノヲ言フ 猥褻行為の概念については公然猥褻罪に於いて説明したる所を参照すべし。故に、必ずしも性欲を達する意思あることを要せず。 不要説
1930 徳岡一男 大衆法律講座刑法各論 - - この2つの犯罪の違ってゐる所は、強制わいせつ罪が不自然な方法で情慾の満足を図ることを目的としてゐるのに、強姦罪が不法な性交関係を強要するところにある。強姦は勿論廣い意味では情欲の満足を図ることを目的とする行爲のなかに含まれるが、刑法はこれを分けて規定してゐるから、強制わいせつ行爲のなかに姦淫は含まれないものと解繰せねばならぬ。 必要説
1932 小野清一郎 刑法講義各論初版 此等の法條に規定する犯罪の或るものは、其の善良の風俗に反するのみならず.個人の私権乃至法益を侵害すること明かなるものである 猥褻の行爲とは、性慾の興奮叉は満足を目的とする行爲にして、善良の風俗に反し、人をして差恥嫌悪を感ぜしむべきものをいふ 性慾の興奮叉は満足を目的とする 必要説
1933 佐伯千仭 「タートベスタント序論(1・2完)所謂構成要件の理論のために」京都大学法学論叢 第29巻2・3号 - - 註二 これはメツガー(Ger Saal BD. 89 S.261 ff.(vom Sinn. S. 16a))により始めて指摘された違法要素である。ヘーグラーもこれをメツガーの功績であるとしてゐる(Franksfestgabe. BD. I S. S. 297)。彼等は尚猥褻行為の如きも主観的に性欲の満足又は挑發を目的とせねばならぬと解し、此中に入れようとする(Megger, vom Sinn S. 18. Lehrbuch S. 17.2 Hegler S. 309)。我刑法の解釋としては客観的に斯る傾向ある行爲で足り、目的を必要としないであらう。尚この點につきベーリンク(Lehre vom Tatbestand S. 13)は獨法上メツガー等に反對して客観的立場を主張してゐる。   不要説
1934 島田武夫 刑法概論/総論,各論 - 猥褻の行為とは、淫事に関する醜行で、覺知者に醜恥の感を催しめるものをいふのである。異性問の性交はもとより、同性間の鶏姦その他獣姦口淫局部の露出など性欲を刺激し、又は満足せしめる行為がこれに属する。 - 必要説
1937 佐伯千仭 法学論叢三七巻一・ニ号に「主観的違法要素」 - - 傾向犯(Tendenzdelikte)とは 要求される「外部的態度の意味ある意欲」が「或る主観的傾向の實現」たる場合である。この例は猥褻罪(獨刑第一七四條・第一七六條・第一七五條)である。それでは行爲は主観的な「猥褻の目的」に出でたことを要し、外形は全く同一であっても、若し醫者の診察や治療の目的に出でた時は違法ではない。この外「利己的に」・「貧慾に」・「營業として」・「慣習として」・「悪意に」といふやうな概念を使ってある犯罪も傾向犯である。これ等は上述の動機犯に似てゐるが、?では附随せる主観的傾向が意欲に特有の意味を與へるのであって、或動機から単純な意欲が生ずるのではない。尚最後に團結犯(Verbindungsdelikte)も、それ等が他の違法行爲を爲す目的を以て陰謀を爲し・叉は数人結合する事(客槻的行爲)を内容とする以上傾向犯である。但しこれは同時に次に述べる目的犯に近い(註四)。 必要説
1937 吉田常次郎 日本刑法第5版P369 強制猥褻及上強姦ノ罪 此二種ノ犯罪ハ軌レモ暴行脅迫ヲ用ヒ又は心神喪失抗拒不能ニ乗シ若クハ斯ノ如キ状態ヲ惹起シテ十三歳以上ノ者ニ對シ肉慾ヲ満足セシムル行爲ナリ 強制猥褻及上強姦ノ罪 此二種ノ犯罪ハ軌レモ暴行脅迫ヲ用ヒ又は心神喪失抗拒不能ニ乗シ若クハ斯ノ如キ状態ヲ惹起シテ十三歳以上ノ者ニ對シ肉慾ヲ満足セシムル行爲ナリ 肉慾ヲ満足セシムル行爲ナリ 必要説
1939 坂本英雄 刑法基本論総論各論 - 猥褻行爲とは性慾を刺戟興奮叉は滿足せしむる一切の行為である 性慾の興奮叉は満足を目的とする 必要説
1940 久礼田 益喜 刑法学概説8版 - 性慾を滿足せしむるへき行爲を爲すことを以て其の共通な実質とす 性慾を滿足せしむるへき行爲を爲 必要説
1943 泉二新熊 「日本刑法総論各論s18」 p368 - 猥褻行為トハ淫欲ヲ興奮シ又ハ之ヲ満足セシムル行為ニシテ 猥褻行為トハ淫欲ヲ興奮シ又ハ之ヲ満足セシムル行為ニシテ 必要説
1944 大竹武七郎 刑法綱要増補版s19 p456 - 猥褻ノ行爲トハ性慾ヲ昂奮、満足セシムル行為ニシテ人ヲシテ羞恥ノ感ヲ起サシムル行爲ヲイフ。異性間同性間男性叉ハ女性単独ニテ之ヲ為スコトアルベシ。其行爲ノ狼藝ナリャ否ヤハ其時二於ケル普通一般ノ思想感情ヲ標準トシテ決スベキモノナリ。 猥褻ノ行爲トハ性慾ヲ昂奮、満足セシムル行為ニシテ人ヲシテ羞恥ノ感ヲ起サシムル行爲ヲイフ。異性間同性間男性叉ハ女性単独ニテ之ヲ為スコトアルベシ。其行爲ノ狼藝ナリャ否ヤハ其時二於ケル普通一般ノ思想感情ヲ標準トシテ決スベキモノナリ。 必要説
1946 小野清一郎 刑法講義再版 - 猥褻の行爲とは、性慾の興奮叉は満足を目的とする行爲にして、善良の風俗に反し、人をして差恥嫌悪を感ぜしむべきものをいふ - 必要説
1950 宮内裕 滝川ら法律学体系刑法 - この場合の「猥褻ノ行爲」とは、客観的には性的關係における道徳的感情を侵害し、主観的には性欲的意図をもってなされねばならぬ。 性慾的意図とは、行爲者或いは客体又は第三者の性的本能が興奮するか満足する意図である。たとえ自己或いは他人の生殖器を扱っても、下品な冗談とか虐待の目的なら、本條の行為ではない。客観的に行爲が、性的關係における道徳感情の侵害の性格をもたねばならぬ(例えば、性慾的意図で婦人の胸に触れることなど)。性的關係における道徳的感情とは、客体個人の感情ではなく、一般的に正常な道徳感情で足りる。 必要説
1950 安平政吉 改正刑法各論下巻 社会の風俗及び羞恥の感覚に対する行為並びに性欲生活の非合法的な遂行を取り締まろうとするもの - - -
1952 尾後貫荘太郎 刑法各論 - 「猥褻の行盆」性慾の興奮又は滴足を目的とする行為であって、一般に人をして羞恥嫌悪の念を生ぜしめるものを云う - 必要説
1954 小野慶二 刑法各論 親告罪とされているのは(一八○)、この罪が個人的法益を侵す行爲であり、かつその訴追がかえって被害者の名譽その他に不利益を及ぼすことがあることを考慮したものである。 猥褻ということの意義について、判例ば、「徒らに性慾を興奮叉は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的差恥心を害し善良な性的道義観念に反するもの」をいう - -
1954 福田 新法学全集 刑法各論 本罪は、性生活に關する風俗を害するものとして風俗に對する罪の一種であるが、同時に個人の人格的自由の一種としての性的自由を害するものである 猥褻の行爲とは、徒らに性欲を興奮または刺戟せしめ且つ普通人の正常な性的差恥心を害し善良な性的道徳観念に反する行爲をいう( - -
1957 井上正治 刑法各論 性的自由に対する罪 猥褻とは、性慾を刺戟し、またはこれを満足せしむべき行為であって、人をして差恥・嫌悪の情を生ぜしめる程度のものをいう。言語によると動作によるとを問わない(木村一三九頁 - -
1957 団藤重光 刑法綱要総論 - - たとえば表現犯傾向犯目的犯はそれぞれ知・情・意に対応するであろう 必要説
1957 宮内裕 刑法各論講義 - 「猥褻なる行為」とは、性的意図をもってなされる、性的関係における道徳感情を害すべき行為である。 第一に、性的意図とは、行為者、被害者あるいは第三者の性欲を興奮させるか、これを満足させる目的である。したがってたとえば、他人の性器を取扱っても、単なる暴行の目的にすぎぬ時は、猥褻行為ではない。第二に行為は客観的に、性的関係における道徳感情を害すべきものである。。行為に、かかる客観的性質がない限り、性的意図のみでは不十分である 必要説
1958 植松正 刑法概論?各論 社会的風俗 p546「猥褻行為」ということを抽象的に定義すれば、性欲を強く刺激し、その他露骨な表現によって、健全な常識ある一般人に差恥感を懐かせる行為であるp551「猥褻ノ行為」の意義が公然猥褻罪におけると大体同様であるのは、当然のことである - 必要説
1959 木村亀二 法律学全集刑法総論 - - 主観的違法要素として特に重要なのは「故意」、目的犯の「目的」及び、その他、「傾向」又は「情操」等であって、構成要件の主観的・行為者的要素をいい、故意は一般的主観的違法要素であるのに対し、目的、傾向又は情操は特殊的主観的違法要素である。 必要説
1960 夏目文雄 刑法提要各論 1960 - 猥褻の行為とは「「猥褻なる行為」とは、性的意図をもってなされる、性的関係における道徳感情を害すべき行為である。 猥褻の行為とは「「猥褻なる行為」とは、性的意図をもってなされる、性的関係における道徳感情を害すべき行為である。 必要説
1960 熊倉武 日本刑法各論p269 1960 - ここで「猥褻な行為」といういみは、性欲を刺激.興奮させまたは満足させる意図をもってなされた行為でって、人に羞恥嫌悪の情を生ぜしめるような性質をもった行為をいうのである。 ここで「猥褻な行為」といういみは、性欲を刺激.興奮させまたは満足させる意図をもってなされた行為でって、人に羞恥嫌悪の情を生ぜしめるような性質をもった行為をいうのである。すなわち、猥褻な行為であるというためには、まず第一にその行為が、性欲を刺戟させるか、興奮させるか、または満足させるという主観的な意図をもってなされた行為でなければならない。もちろんそのばあい性欲の刺戟. 興奮. 満足が行為者みずからのためにする意図をもってなされたか、あるいは行為の客体たる相手方のためまたは第三者のためになされたかはとうところではない。したがって、かりに他人の性器にふれ、またはそれを対象としたような行為であったとしても、それが暴行または傷害の意図をもってなされた行為であるばあいは、ここにいわゆる猥褻の行為ということはできない。つぎに第二には、その行為が客観的にみて、人にたいして羞恥を感ぜしめ、嫌悪の情を生ぜしめるような性質と程度とをもった行為でなければならない。したがって、かりに身体にだきつく、臀部や乳房または陰部にさわるなどの行為であったとしても、それが性欲的意図にいでたものでなく、また客観的にみて羞恥嫌悪の情を生ぜしめるような性質もなく、そのような程度にも達しないばあいは、はいいえない。また、かりにそのような行為が客観的にみて羞恥嫌悪の情を生ぜしめるような性質や程度をもっていたとしても、主観的な性欲的意図を欠いていたばあい、逆に、主観的な性欲的意図はあったが、客観的な性質や程度を欠いていたようなばあいは、ともにここにいわゆる猥疫の行為ということはできない。判例が、猥疫とは「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反することをいう」(最高判.昭26.5.10.刑集五巻1026頁、同旨・同・昭二七.四・一.刑集六巻五七三頁)といっているのも、そのような意味である。 必要説
1961 名古屋高等裁判所金沢支部 昭和36年5月2日 下級裁判所刑事裁判例集3巻5〜6号399頁 - 刑法第百七十六条にいわゆる「猥せつ」とは徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反することをいう - 必要説
1961 吉田常次郎 「刑法各論」77頁 - - 猥褻姦淫及び重婚の罪 この二種の犯罪は何れも暴行脅迫を用い叉は心神喪失、抗拒不能に乗じ若しくはかような状態を惹起して十三歳以上の者に対し肉慾を満足させる行為である 必要説
1961 団藤重光 刑法各論 - わいせつの概念については第一七五条の関係で前述した()。ただ、ここでは相手の性的自由の侵害ということを主眼として考えなけ れぱならないので、重点が多少異るのは当然である - -
1963 青柳文雄 「刑法通論?各論」P383 - - (4)東京高判昭和二九年五月二九日・特報四O号一三八頁は、ヌード写真を撮るために海水着を剥ぎ取るのは暴行による強制猥褻になるとしている。このような傾向犯では犯人の性向が重要な要素をなす。その認定の困難の点をも考え身体的接触を原則として要件としないと主観的にも客観的にも限界を設け難いことになる。東京高判昭和二七年一二月一九日・特報三七号131頁が医師でない児童相談所員が女子児童を全裸にしたのを暴行による職権濫用としたのもその意味であろう。 必要説
1963 青柳文雄 傾向犯について」法学研究 第36巻4号 - - 要するに強制猥褻という構成要件に該当する行為が全部傾向犯なのではない。公然猥褻についても同様であって行為者の一定の傾向を考慮するまでもなく一般の蓋恥心を害すると考えられる行為もあれば、その者の平素の行状を考え合わせてはじめて公然猿褒罪主判断できるような行為もあろう 必要説
1963 井上正治 刑法学各則 性的自由に対する罪 猥褻とは、性慾を刺戟しまたはこれを満足せしむべき行為であって、人をして差恥・嫌悪の情を生ぜしめる程度のものをいう - -
1964 中義勝 刑法各論P86 性的自由中心 わいせつを一般的に定義すれば、「徒らに性慾を興奮または刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」ということになるであろう。 中義勝刑法各論p85 「わいせつ」行為は規範的構成要件要素のひとつで、わいせつを一般的に定義すれば、「徒らに性慾を興奮または刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」ということになるであろう。そこで、本罪にいうわいせつ行為の内容を定めるためには、右の定義を基準としながら、本罪が人の性的自由を侵害するものであるという視角によりつつ具体的に決定していかなければならないであろう。場合によれば、単純な接吻もわいせつとみられることがある(5)。また、性的自由の観点からわいせつ行為とみられるものは、性的風俗の見地からもわいせつとして支障ないであろう。したがって、本罪を公然行なえば公然猥褻罪との観念的競合となるものと解する。(8)p86(5)「性的の接吻をすべて反風俗的のものとし刑法にいわゆる猥褻の観念を以て律すべきでないのは所論のとおりであるが、それが行われたときの当事者の意思感情、行動環境等によって、それが一般の風俗道徳的感情に反するような場合には、猥褻な行為と認められることもあり得る」(東京高判昭三二・一・二二高刑集一〇・一・一〇)。右に「当事者の意思感情」とされている点はいわゆる主観的構成要件要素としての劣情を意味するものと解せられる (8)なお、右の定義のうち、行為が肉慾的意図をもとづいて、すなわち自己もしくは他人の性慾の刺戟ないし満足のためになされるということはわいせつの主観的要件だとされる。したがって、激怒にかられて被虐待者の恥部を曝露したうえ身体にせっかんを加え(RG.,JW.,1936,S.389)、冗談(RG.,DR,.1944,S.767)、迷信(RG.,Bd.57,S.239)もしくは好奇心からなし、または診断・治療、科学的・技術的目的等に資するためになすとき(Mezger,LK.Vorbem.26,β vor §174)には、いずれもわいせつ行為でないとされている(Schonke-Schroder,Vorbem.?,3 vor §173)。 必要説
1964 団藤重光 綱要各論 強姦を含む広義では一種の人格的自由としての自由を害する罪である わいせつの概念については第一七五条の関係で前述した()。ただ、ここでは相手の性的自由の侵害ということを主眼として考えなけ れぱならないので、重点が多少異るのは当然である - -
1965 福田平 木村亀二編体系刑法辞典p103 - - 傾向犯とは,行為が行為者の主観的傾向の表現として発現するもので, たとえば,公然猥褻罪(刑174条),強制猥褻罪(刑176条),侮辱罪(刑231条)などがこれにあたる.傾向犯においては, たとえば,強制猥褻罪において,純粋に客観的には同じ行為であっても,行為者の性的衝動を刺激し, または満足させる傾向のもとに行なわれたときにのみ違法性を取得し,診察や治療の目的で行なわれたときは違法でないのであって,主観的傾向は,この場合,行為の違法性に影響をあたえるものとして主観的違法要素である. 必要説
1965 所一彦 「団藤重光責任編集」注釈刑法4 各則2 風俗犯としての商をももっていることはたしかであるが,むしろ主として個人の性的自由ないし貞操を保護法益とするものといわなければならない。 174条注3参照。ただし本条では相手の性的自由の侵害ということを主眼として考えなければならないので重点が多少異なる〈団藤・綱要394頁〉。とくに相手の身体に触れる行為の場合にそうであろう。 (2) 性欲を刺激・興奮・満足させる目的に出たことを要するとする説がすくなくない。目的犯と見るべきか傾向犯と見るべきかはなお問題であるが,おおむね妥当というべきであろう。産科医が診察のため患者の膣内に指を挿入する行為は本条にいう「猥褻ノ行為」でない。この種の行為も公然おこなうときは事情により公然猥褻罪を構成するであろうが,それとは独立に考えてよい(前出?参照。ただし,泉ニ・各396頁は区別なく目的を要求する〉。 必要説
1965 滝川 春雄,竹内 正 「刑法各論講義」S40 P91 - 「猥褻ノ行為」とは、一般的には、性慾を興奮又は満足せしめる意図をもってなされた行為であって、人に性的な蓋恥嫌悪の情を生ぜしめるに足る行為をいう。 「猥褻ノ行為」とは、一般的には、性慾を興奮又は満足せしめる意図をもってなされた行為であって、人に性的な蓋恥嫌悪の情を生ぜしめるに足る行為をいう。すなわち一般に、狼褒行為であるというためには、第一に、その行為が性慾を興奮又は満足せしめるという主観的な性的意図をもってなされねばならない。この場合、性慾の興奮−満足という性的意図が行為者自らのためであるか、行為の客体たる相手方のため又は第三者のためであるかは問わない。第二に、その行為が客観的にみて人に性的な蓋恥嫌悪の情を生ぜしめるに足るものでなければならない。従って、例えば、他人の身体に抱きつくとか臀部・乳房・陰部にさわるなどの行為であっても、客観的にみて性的な蓋恥嫌悪の情を生ぜしめるに足るものでない限り、猥褻行為ではない。要するにこれら主観的・客観的の要件のいずれかを欠く場合には猥褻行為とはいえないのである。判例が狼察とは「徒らに性慾を興奮又は刺戟せしめ且つ普通人の正常な性的蓋恥心を害し善良な性的道義観念に反するものをいう」といっているのもこのような意味である。強制猥褻罪における猥褻の概念は、一般的には右の如くであるが,強制猥褻罪の猥褻行為は相手の性的自由の侵害ということを主眼として考えなければならないので、性的風俗の侵害を主眼として考えなければならない公然猥褻罪におけるわいせつ行為とは、重点が多少異なるのは当然である。例えば、婦女の意思に反して指を陰部に挿入する行為はもちろん、被害者を裸にする行為も、それが性的意図に出たものである限り、猥褻行為というに充分であるし、また、いわゆる男色行為も狼繋行為であることはいうをまたない。そのほか、公然行っても猥褻行為とはいえない程度のペッティングであっても、暴行・脅迫によってこれを行えば、本罪の猥褻行為にはなりうる場合がある(2)(3)・・・(3〉なお、青柳・三八三頁は、このような傾向犯では犯人の性向が重要な要素をなす・その認定の困難の点をも考え身体的接触を原則として要件としないと主観的にも客観的にも限界を設け難いことになるとされる. 必要説
1966 福田平 「主観的違法要素」木村亀二編体系刑法辞典P103 - - この理論の発展に大きな貢献をしたメツガーは,行為の違法性(法益侵害性)の存否・強弱に影響をあたえる主観的要素が違法要素であるとして, 目的犯における目的,傾向犯における主観的傾向,表現犯における心理的過程がこれにあたるとしているが, これらが主観的違法要素であるということは今日の通説の認めるところである.。。。傾向犯とは,行為が行為者の主観的傾向の表現として発現するもので, たとえば,公然猥褻罪(刑174条),強制猥褻(刑176条),侮辱罪(刑231条)などがこれにあたる.傾向犯においては, たとえば,強制猥褻罪において,純粋に客観的には同じ行為であっても,行為者の性的衝動を刺激し, または満足させる傾向のもとに行なわれたときにのみ違法性を取得し,診察や治療の目的で行なわれたときは違法でないのであって,主観的傾向は,この場合,行為の違法性に影響をあたえるものとして主観的違法要素である. 必要説
1966 柏木千秋 「刑法各論」p307 - 『猥褻』とは健全な性的道徳観念に反して徒らに性欲を刺戟、興奮させ、また、正常な性的差恥心を害するような態度・状態をいう(最判s26.5.10)。 『猥褻』とは健全な性的道徳観念に反して徒らに性欲を刺戟、興奮させ、また、正常な性的差恥心を害するような態度・状態をいう(最判s26.5.10)。もっともこれは他人に対する心理的効果の方面から把えたものであるから、本罪や第一七五条についてはこのまま妥当するが、第一七六条や第一七八条の「猥褻ノ行為」という場合には、むしろ主体的に、「・…・性欲を刺激、興奮(満足)し、また・・」ということになるであろう。果して猥褻であるかどうかは社会通念によって定まることであるから、時代や環境などによっても異なるが、最判昭二五・二・二一集四・三一五五は明かるい舞台の上で観客の方向に向って約一分三○秒あるポIズをとって立っているのは公然猥褻であるとしている 必要説
1966 法務総合研究所 研修教材刑法各論 初版 - - - -
1967 滝川ら 刑法概説2 各論 個人の身体ないし身体的自由に対する罪であるともいえる 行為について判例は、人の差恥心を害し、性慾を刺戟し、善良な性的道義観念に反するものという三つの要素を掲げてい - -
1967 澤登俊雄 刑法概論 性的自由 「猥褻の行為」と言えるかどうかは、性的自由の侵害を主眼として考えるべきである。たんなる抱擁・接吻はそれ自体としては猥褻行為でないが、本罪の未遂になることはある - -
1968 宮内裕 新訂刑法各論講義S43P213 - 「猥褻なる行為」とは、性的意図をもってなされる、性的関係における道徳感情を害すべき行為である。 「猥褻なる行為」とは、性的意図をもってなされる、性的関係における道徳感情を害すべき行為である。第一に、性的意図とは、行為者、被害者あるいは第三者の性欲を興奮させるか、これを満足させる目的である。したがってたとえば、他人の性器を取扱っても、単なる暴行の目的にすぎぬ時は、猥褻行為ではない。第二に、行為は客観的に、性的関係における道徳感情を害すべきものである。この場合、強姦罪との関係上、性交は除外される。 行為に、かかる客観的性質がない限り、性的意図のみでは不十分である。たとえば、臀部をなでる、子供を単純にだきかかえるなど、性欲を満足させる手段として、被告者の身体が利用されることが必要であるが、かならずしも、それに手をふれる必要はない。 必要説
1968 大塚仁 現代法律学全集刑法各論上巻 、その本質は、むしろ個人の人格的自由の一種としての性的自由の侵害を第一義とするのであって、単に風俗的犯罪としてとらえるべきではない わいせつの行為とは、「徒らに性欲を興奮または刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的差恥心を害し、善良な性的道徳観念に反すること」をいう 、客観的には、性欲を興奮・刺戟させ、一般人の正常な性的差恥心を害し、善良な性的道徳観念に反する程度の行為がなされることを要する(瀧川竹内p91) 必要説
1968 植松正 全訂刑法概論?6版 - p200「猥褻行為」ということを抽象的に定義すれば、性欲を強く刺激し、その他露骨な表現によって、健全な常識ある一般人に差恥感を懐かせる行為p207「猥褻ノ行為」の意義が公然猥褻罪におけると同様であるのは、当然のことである - 必要説
1970 最判s45.1.29 最判s45.1.29 - - 強制わいせつ罪が成立するためには、その行為が犯人の性欲を刺激興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し、婦女を脅迫し裸にして、その立つているところを撮影する行為であつても、これが専らその婦女に報復し、または、これを侮辱し虐待する目的に出たときは、強制わいせつ罪は成立しない。 必要説
1970 岡野光雄 「専ら報復または侮辱虐待の目的をもって婦女を脅迫し裸にして撮影する行為と強制わいせつの成否」1970早稲田大学社会科学研究第8号 - - 強制わいせつ罪においては、「純粋に客観的には同じ行為であっても、行為者の性的衝動を刺戟し、または滴足させる傾向のもとに行なわれたときにのみ違法性を取得し、診察や治療の目的で行なわれたときは違法でないのであって、主観的傾向は、この場合、行為の違法性に影響をあたえるものとして主親的違法要素である」(福田体系刑法辞典103頁)とされるのである。おもうに、暴行または脅迫を加えてわいせつ行為を行なうのは、それによって行為者の性欲を刺戟興奮または満足させるからであって、これらの主観的要素と切り離して強制わいせつ行為を理解することは、行為の本質を充分把握したものとはいえないであろう。したがって、かかる主観的要素のない行為は、たとえそれが客観的にはわいせつ行為であっても、強制わいせつ罪を構成するものでないといわなければならない。換言すれば、本罪が成立するためには、わいせつ行為に該当する事実の認識のほかに、さらに右に述べたような主艘的要索が必要とされるのである。ただ、これを明確に目的犯として性格づけるよりは、傾向犯の一種として把握する方がその実体に則しているものと思われる。もし一審・ニ審のように強制わいせつ罪を理解すると、たとえば、全く復讐の目的から女性が女性に対し暴行または脅迫を加えて裸にしこれを写真撮影した場合にも強制わいせつ罪が成立することになり、われわれの一般法感情にそぐわないというべきである。このような場合には、強要罪もしくは暴行罪または脅迫罪の成立を認めればたりるであろう 必要説
1970 植松正 植松正「報復・侮辱の目的による裸体撮影(最近の判例から)」法律のひろば 第23巻6号 - - 外形的には同様の行為であっても`行為の持つ意味が行為者の主観に依存せざるをえないものがある。そのような主観的要索は、客観的に猥褻か否かがすでに明白な場合には、考慮に値しないが、本件の場合のように、単なる裸体写真の撮影というような行為を評価する場合には、その撮影行為が猥褻か否かを決するのは、行為者の性的意図という主観的要索にかからざるをえないものと思われる, 必要説
1971 平野龍一 平野竜一「強制わいせつ罪とわいせつの意思」警察研究 第42巻6号 性的自由 - 判旨には費成できない。少数意見及び原判決が妥当だと考える。強制わいせつ罪がいわゆる傾回犯であるということは、メッガーなどのドイツの教科書に述ぺてあり、わが国にもこれに従つている者もある。しかしこれは適当でないと思う。 不要説
1971 大塚仁 注解刑法(初犯) 性的自由 a. 「猥褻ノ行為」とは, 「徒らに性欲を興奮または刺戟せしめ,且つ普通人の正常な性的差恥心を害し,善良な性的道徳観念に反する」行為をいう(名古屋高金沢支判昭36.5.2下集35=6.399. p798本罪における行為は,犯人の性欲を刺激させ又は満足させるという性的意図の下に行われたことを要する。従って婦女を脅迫して裸にして撮影したのであっても それが専らその婦女に報復する目的や侮辱虐待の目的に出た場合には、強要罪その他の罪を構成することはあっても本罪を構成するものではない(最判s45) 必要説
1972 吉川経夫 改訂刑法総論P79 - - (2)傾向犯 行為者が特定の主観的傾向をもってすることを要件とする犯罪。強制猥褻罪がその例である。たとえば、医師が診察。治療のために婦人の陰部に触れる行為は、もとより犯罪とはならないが、それが性欲的衝動にかられてなされたものであれば、外形的にはまったく同一の行為であっても強制猥褻罪となるものとされる3もつとも、最判昭和四五・一・二九(刑集二四・一・一)は、これを一種の目的犯と解するもののようである 必要説