裁判年月日 平成30年 3月14日 裁判所名 広島高裁岡山支部
事件名 傷害被告事件
裁判結果 破棄自判 文献番号 2018WLJPCA03149004
主文原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由第1 弁護人の控訴理由
1 事実誤認
被告人には盗犯等の防止及び処分に関する法律(以下「盗犯法」という)1条1項の正当防衛又は同条2項の誤想防衛が成立するのに,これらが成立しないとして被告人を有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。
2 法令適用の誤り
原判決は盗犯法1条1項2号,3号又は同条2項の解釈を誤り,盗犯法上の正当防衛又は誤想防衛が成立しないとしているから,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある。
第2 控訴理由に対する判断
1 事実誤認の主張について
(1) 本件公訴事実の要旨は,被告人が,平成29年3月17日,岡山市内のホテル(以下「本件ホテル」という。)の客室(以下「本件客室」という。)において,被害者に対し,その顔面を拳骨で数回殴った上,灰皿で数回殴るなどの暴行を加え,加療約36日間を要する右眼窩底骨折等の傷害を負わせたというものであり,原判決が認定した犯罪事実も同旨である。そして,原判決は,本件客室は被告人の住居に当たるが,被害者が本件客室に立ち入ったことは不法なものではないと認定して,本件は盗犯法1条1項3号の場合には該当しないと判断し,加えて,被害者が被告人の身体に対して急迫不正の侵害を加えたことはなく,被告人がそのように誤信したこともないと認定して,被告人には正当防衛も誤想防衛も成立しないと判断している(原判決は,本件客室が被告人の住居に当たると明示していないが,原判決を全体として読めばそのように認定していると解される。)。
(2) 盗犯法1条1項3号該当性について
原判決は,本件客室が被告人の住居に当たるとしながら,ホテルにおいては安全上の必要等からホテル側がその判断に基づいて利用者の承諾がなくとも客室を解錠できる場合があるところ,本件客室は,いわゆるラブホテルの一室であり,フロントにおいて各客室の施錠及び解錠が一括管理されており客室への立入りを最終的に許諾するのはホテル側であることから,ホテル側の判断で解錠できる場合はより広いとした上,被害者は,自らが勤めるデリバリーヘルス店(デリヘル店)の女性従業員が被告人に強姦されたとの連絡を受け,同従業員を救出するとともに被告人に謝罪を求め慰謝料を請求するため本件客室に立ち入ったものであること,本件ホテルの従業員に事情を説明して本件客室の解錠を依頼して入室しており,立入りの態様自体は穏当なものであること,被告人も女性従業員から迎えが来ると告げられてデリヘル店の者が来訪する可能性を認識していたこと等の事情からすると,被害者の本件客室への立入りが不法なものであったとはいえないとしている。
しかし,以下のとおり,原判決の上記認定は不合理であるといわざるをえない。
まず,ホテルにおいては安全上の必要等からホテル側がその判断で客室を解錠できる場合があることは原判決指摘のとおりであるが,フロントにおいて各客室の施錠及び解錠が一括管理されているからといって,ホテル側の判断で解錠できる場合が広くなると解する理由はない。本件ホテルにおいても,安全上の必要等から利用客の意思に反する客室への立入りが許される場合はあるが,それは一般のホテルと変わるものではない。そして,後述のとおり,被告人は終始平穏に本件客室内にいたのであるから,ホテル側において被告人の意思に反する本件客室への立入りが許される事情があったとは認めることができない。
次に,原判決は,被害者が本件客室に立ち入った目的として女性従業員の救出を挙げるが,そのような目的は認められない。記録によれば,上記女性従業員は,被告人の依頼により本件客室に赴いて性的サービスを行い,その際,被告人に性交をされたが,被告人に暴力を振るわれてはおらず,無理にされたものではないこと,その後,女性従業員はデリヘル店に電話をかけて性交をされたと告げたが,暴力を振るわれたとも無理にされたとも言っていないことが認められ,救出を要するような状況はなく,デリヘル店の従業員が救出を要すると誤解するような状況も存在しなかった。また,救出を要すると考えていたのであれば,本件ホテルの従業員に依頼して室内の状況を確認してもらうなどするのが自然であるのに,そのような依頼が行われた形跡はなく,かえって,記録によれば,デリヘル店から本件ホテルの従業員に対し,本件客室のドアの鍵を開けないでくれとの電話連絡があったことが認められ,デリヘル店の従業員らが救出を要するような状況ではないと認識していたことがうかがわれる。もっとも,被害者は,デリヘル店のスタッフから「女の子が客から本番行為を強要された」という不正確な情報を得ていたが,これだけで救出を要する状況であると誤解するとは考え難い。被害者は,女性従業員の救出が立入りの目的であり,これに加えて,被告人に謝罪を求め,金銭の支払を求めることも目的としていたと述べるが,上記の事情に照らして信用できない。そして,謝罪と金銭の支払を求めるだけであれば,これらの目的に緊急性があるとはいえないから,被告人の承諾を得ることなく本件客室に立ち入る必要はなく,これを正当化できるものではない。
さらに,原判決は,立入りの態様は穏当なものであるというが,記録によれば,被害者は,被告人の承諾を得ることなく,本件客室にいきなり立ち入り,被告人に歩み寄って大声で一方的に怒鳴りつけて性交に及んだことを責めたて,顔を近づけるなどしたことが認められ,到底穏当なものではない。また,上記のとおり女性従業員の救出を要するような状況ではなかったことからすれば,被害者のみならず本件ホテルの従業員も本件客室に被告人の承諾なく立ち入ることは許されなかったと考えられるから,本件ホテルの従業員に解錠を依頼して入室したことを理由に立入りの態様が穏当であるとはいえない。そして,原判決は,被告人がデリヘル店の者が女性従業員を迎えに来ると認識していたことも指摘するが,迎えの者が被告人の承諾を得ることなく本件客室に立ち入ることまで予期していたとは考えられないから,これも被害者の行動を正当化する理由にはならない。
そうすると,被告人の承諾を得ることなく本件客室に立ち入った被害者の行為が不法なものではないという原判決の認定は,不合理であるといわざるをえない。
なお,原判決は,本件客室内にいた女性従業員が被害者の立入りを黙示的に承諾していたともいうが,ホテル側と契約して本件客室を利用していたのは被告人であり,女性従業員は被告人の承諾の下に一時的に在室していたにすぎないから,女性従業員の承諾により被害者の立入りが正当化されることもない。
(3) 身体に対する急迫不正の侵害の誤信について
原判決は,被告人の身体に対する急迫不正の侵害について,被害者が被告人に顔を近づけて怒鳴るなどしたのに対し,被告人が電話をするなどと言って立ち上がった後,いきなり被害者の顔面を殴打したという事実関係に照らすと,被告人の身体に対する急迫不正の侵害はなかったし,被告人がこのような事実関係を認識していたことからすると,急迫不正の侵害があると誤信したこともないとしている。
しかし,以下のとおり,原判決の上記認定も不合理であるといわざるをえない。
前記(2)のとおり,被害者は,本件客室にいきなり立ち入り,被告人に歩み寄って顔を近づけ,大声で一方的に怒鳴りつけるなどしたものであるが,これは,被告人に対して女性従業員に性交をしたことの謝罪を求め,金銭の支払を求めるための行為である。そして,被害者は,警察沙汰になるとデリヘル店や女性従業員に迷惑をかけるので,自分からは絶対に手を出さないようにしていたと述べており,この供述は信用できるから,客観的には被告人の身体に対する急迫不正の侵害はなかったものと認められる。しかし,そのような被害者の内心の意思は被告人に分かるはずがなく,他方,被害者の上記行為は,慰謝料の名目で金銭を支払わせるためのものであり,その金額も100万円という多額を想定していたこと,これを一部目撃した上記女性従業員が「ものすごい勢いで一方的に怒鳴っていた。」と述べていることからすると,相当激しいものであったと認められる。加えて,被告人は,被害者への暴行に及ぶ前に自らの携帯電話で110番通報しようと試みたことも認められる。そうすると,被告人が,女性従業員と性交に及んだことへの報復やこれについての金銭的な解決を求めるための手段として,被害者からの身体に対する攻撃が差し迫っているものと誤信した可能性は否定できない。むしろ,そのような誤信がなく,単に謝罪と金銭の支払を求められているだけであると認識していたとすれば,話し合いに応じるか要求を拒否してその場を立ち去るか,いずれかの行動を採れば足りるのであって,被害者に暴行を加える理由が想定し難い。原判決は,誤信がないと判断した理由をほとんど説明していないが,被害者が被告人に対する直接的な暴行には及んでいないことだけを根拠にしているとすれば,被害者が被告人の承諾を得ることなく本件客室にいきなり立ち入り,被告人に歩み寄って顔を近づけて大声で一方的に怒鳴るなどして性交に及んだことを責めていたという事実経過を不当に軽視するものであって,不合理であるといわざるをえない。
(4) 盗犯法1条2項の誤想防衛の成否について
以上によれば,原判決には2つの事実誤認があり,本件は盗犯法1条1項3号の場合に該当し,かつ,被告人が自己の身体に対する現在の危険があるものと誤信した可能性は否定できない。また,被害者の本件客室への立入りやその後の行為の態様からすると,被告人の誤信は驚愕によるものであり,被告人の暴行は防衛の意思によるものであるといえる。
そして,盗犯法1条2項の誤想防衛が成立するためには,さらに,現在の危険を排除する手段として相当なものであることが必要であるが,刑法36条1項にいう「やむを得ずにした行為」であることは必要でないと解されるところ,被告人による一連の暴行は,上記相当性を逸脱しているとはいえない。
すなわち,被告人は,当初の素手による暴行によって被害者に大きなダメージを与えており,これに続く灰皿による殴打行為は,客観的には必要性の乏しい行為であったといえるが,これらは一連一体の攻撃であるところ,混乱した状況の中で被害者の受けたダメージを正確に評価して行動するように求めることは困難である。加えて,暴行時点における本件客室の施錠の状態は明らかでないものの,被告人からするとホテル側によって施錠されていると考えるのが自然な状況であり,本件客室は外部から遮断された空間であって,被害者が凶器を持ち出す,仲間を呼ぶなどした場合には,誰かに助けを求めたり,逃げたりするのが困難な状況であった。そうすると,被害者が現実には被告人の身体への攻撃には及んでいないこと,灰皿での殴打行為の時点では被害者は鼻から出血し,ベッドに腰を下ろした状態であったこと等を踏まえても,被告人による一連の暴行は,被害者による攻撃を排するために必要な限度を大幅に超えているとはいえず,上記相当性を逸脱しているとはいえない。
2 結論
以上のとおり,原判決の事実認定は,被害者の本件客室への立入りは不法なものではないとした点及び被告人に自己の身体に対する急迫不正の侵害があるとの誤信はなかったとした点で事実の誤認があって,被告人に盗犯法1条2項の誤想防衛が成立することは否定できないから,上記の事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。弁護人の主張には理由がある。
よって,その他の弁護人が主張する控訴理由について判断するまでもなく,刑事訴訟法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書を適用して当裁判所において更に判決する。
第3 自判
本件公訴事実の要旨は上記のとおりであるところ,既に述べたとおり,被告人には,盗犯法1条2項の誤想防衛が成立するとの合理的な疑いが残るので,本件公訴事実について犯罪の証明がないことになるから,刑事訴訟法336条により無罪の言渡しをする。
広島高等裁判所岡山支部第1部
(裁判長裁判官 長井秀典 裁判官 村川主和 裁判官 藤井秀樹)