「原田國男君」に博士号が授与されたので、肩書きが「東京高等裁判所判事・博士(法学・慶應義塾大学)」になっています。
併合されなきゃ量刑できないよということで、児童ポルノと児童淫行罪の泣き別れ事件(東京高裁H17.12.26)が紹介されています。
原田判事は量刑で解決しようとするのですが、奥村は、量刑の前提として、量刑の場としての土俵(係属部)を一個にすべきだと考えています。複数部がある高裁では別れて、一箇部の高裁では別れないというのは、おかしい。
そりゃ、児童淫行・児童ポルノ・児童買春野郎にとっては、量刑が問題ですけど、前提として、淫行も買春もポルノも似たような行為なので、訴訟手続を一箇にまとめてから、一気に量刑してやって下さい.
って、いってたら、札幌高裁H19.3.8が、まとめてやってくれて、量刑面ではいいんですが、これまた、法令適用と手続上おかしい。
追記
原田さんは、まだ、観念的競合(児童淫行罪-児童ポルノ製造罪)って言っていますね。___φ( ̄^ ̄ )メモメモ
原田國男「量刑をめぐる諸問題−裁判員裁判の実施を迎えて−」判例タイムズ 第1242号
例えば,前科という量刑事情について,これを責任に還元できないとすれば,特別予防として責任枠の中で考慮することになるが,前科のある者が複数の犯罪を犯した場合に前科を複数回考慮することはあり得ないのである。さらに言えば,併合審理がなされ,同一の裁判官が同じ被告人について量刑をするのに,これらの一般情状を二重に評価するはずはないから,重複しないのはむしろ当然というべきである。そうすると,この併合の利益の考慮の必要性は,むしろ各事実が併合審理されないような例外的な場合に顕在化するように思われる。併合の利益というものは,実体法上のものではなく,手続上の併合審理の利益ともいえよう。
このような場合には,それぞれの裁判所で一般予防・特別予防に関する一般情状が重複して考慮されるおそれがあるから,控訴審でこの二重評価をできるだけ解消する必要が生じる。控訴審における客観的併合については現在のところ一般に行われていない。家庭裁判所管轄事件と地方裁判所管轄事件(例えば,児童福祉法違反の罪と児童買春等処罰法違反の罪)がそれぞれ控訴された場合,それぞれ各部に配点されるので,偶然同一の部にでも配点されない限り,各部で各別に審理がなされるため,弁護人から併合の請求が出されることがある。例えば,児童買春等処罰法違反の罪について,地方裁判所で執行猶予付きの懲役刑の判決を得ても,児童福祉法違反の罪について,家庭裁判所で実刑の判決を受けていると,その確定により執行猶予も取り消されるために,結果的には合計刑期が重めになることもあるから,同一の部で審理・判決をしてはしいというのである。(注72)
しかし,このような場合に,客観的併合をした例は今のところ聞かない。それは,事実上の調整も可能であることなどによるものであろう。しかしながら,裁判員裁判において前記のように非対象事件と対象事件との非併合処理が多くなってくるとすれば,単なる事実上の調整では不十分で,控訴審における客観的併合の必要性も高まることも予想される。この場合には,各原判決を破棄して,併合罪処理をして一つの統一刑を定めることが可能かなどの理論的検討が必要であろう。
(注72)
児童淫行罪と児童ポルノ製造罪こついて,合計の量刑が重くなるので・これを調整するために・二重評価禁止の原則を適用して,管轄を異にするため法律上併合審理が認められない場合について・併合による利益を実際上考慮すべきことを判示した判例がある(東京高裁平成17年12月26日判例時報1918号122頁)。この事例はいわゆるかすがい現象で全体が-罪になる場合でも,検察官による「かすがい」に当たる犯罪の不起訴裁量を認めるが・そのために併合審理ができないことの不利益を量刑上考慮すべきであるとするものである。なお,この判例の指摘する問題は・むしろ・将来・児童淫行罪等の家庭裁判所専属管轄の成人の刑事事件を地方裁判所に移管することによって根本的に解決すべきであろう。