児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者性交・不同意性交・不同意わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録・性的姿態撮影罪弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

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長野県条例が大阪府条例に接近していく流れ

 大阪府の検挙件数が少ないのは、みんなお利口さんだからと思うかな。

第3回子どもを性被害から守るための条例のモデル検討会
日 時:平成27年5月8日(金)
午後2時〜午後4時50分
場 所:長野県庁議会棟 405号会議室
http://www.pref.nagano.lg.jp/jisedai/documents/3gijiroku.pdf
○安部座長
1号目に関してはその例示の仕方を千葉県・三重県同様に大阪・山口も採っています。ただ明らかに違いがあるところは、2号目のところをあえて書き込んでいないということですね。
それによって客観性を持たせるという趣旨がここに理解できると思うんです。そういう理解でよろしいですか、伊藤委員、何かございますか。
長野県としては、このaかbかではおそらくないわけでありまして、ただ段々とですね、いわゆる淫行処罰の規定の運用においても、ここで最高裁判例を軸にして絞り込んでいく、それを前提とした条例の書き方、書きぶりになって変わっていくという部分は、時系列的に溯ってみるとわかってくるということなんです。
さらに長野県で、もうちょっとそれをより明確化できるのではないか、あるいは、すべきではないかということで、そういう検討をしようということになります。
率直に言って、大阪の条例の規定の仕方というのは、かなり絞り込まれていると思うんです。むしろ、先ほどの過不足なくのところで、不足なく対応できるか、この規定で対応できるかというところが課題になるのかなというところもありますが、その点、県警からもお話し伺えればと思っています。
大阪のような条例がもし長野県で規定されたとすると、使いにくいというようなことになるでしょうか、どうでしょうか。
長野県警
すみません、あくまで感覚的ですが。
まず、専ら性的欲望を満足させる目的、かつ威迫、欺罔、困惑ということになりますと、なかなか立証の面におきましてハードルは相当、高いものになると思われます。
○安部座長
主観的要素を立証しなければいけない。
主観面の立証というのはなかなか大変だろうというのが、これは警察の仕事の中でも実感されていることだと思うんです。
その点はいかがでしょうか、伊藤委員のほうから
○伊藤委員
大阪などは非常に限定的にしている。構成要件の明確化を目指しているという意味では、刑罰を考える以上、構成要件の明確化は、できるだけ明確にするということはやはり必要なことだとは思いますので、大阪でこれでやっているというところは参考にはなるのかなと思っています。
特段の不都合があって困っているのかどうか、私は知らないのでわかりませんけれど、一つ、そういった条例があるというのは参考にはなると思っています。
○安部座長
参考になるというのは、こういう規定の仕方であれば、あるいは許容範囲に入るという意味でしょうか。
○伊藤委員
許容範囲かどうかというのは、解釈指針を作るまではいかなくても、例えば威迫というのはどういうことか、解釈指針みたいなところがここで議論できればいいとは思いますし、困惑させる、欺罔、は、こういうことなのだというようなところがもう少し議論できれば、可能性としてはあると思います。
ここで最終的に決まるわけではなくて、あくまで案を示すというところが目的ですから、それぞれの個別の文言については、こういう規定は、こういうふうに考えられるのでどうですかというように案を出したときに、県民の皆様がそれをどう受けとめられるかということにはなると思います。漠然と最高裁でこう言っていて、福岡県でこうなっているので、これどうですかということだと、内容が心配だとかという話になってくると思うので、それぞれの構成要件の中身というものについて、こういう場面を想定していますなど、ある程度あわせて説明というか、できればそういうことができればと、個人的な感想としてはそのように思っています。
○安部座長
私から少しお話しさせていただきますと、最高裁の限定解釈の基準として示されたものは、実はこれはまさに淫行なんです。
aの部分、1号目は、これはかなり客観的な要素でもって、個別具体的な被害状況というものを明示できるような内容になっていて、これだけでは淫行とはなっていかないと思います。
その当時の社会的な保護法益とされる、健全育成条例の中で、子どもにやってはいけないこととして大人が専らその自らの性欲を満たすためにのみ行うような行為という、それが社会的な非難を浴びる対象になる行為ですという規定の仕方になって、解釈の基準の仕方になるんですけれども、それがあることで淫行ということに至らせる。
つまりそういう行為が淫らな行為なんだという、ちょっと倫理的な非難ですね、そういうところが出てきていると思うんですが。
ただ、その規定を置いていわゆる淫行罪と、淫行規定という条例、各自治体の条例も整理されてきたと思います。
山口・大阪の場合は、ある意味ではそこから一歩飛び出してというところがあって、そもそも淫行罪をやめて、性被害をきちんと補足できるような規定にしましょうという趣旨が、その今、立法趣旨の中に見てとれると、私は思っています。
その意味でも、そこには淫ら性とか、淫らな行為という文言は一切使われていないんですね。
そういう価値的な評価の問題ですから、もうそれは使われていない。長野県でもしこれを規定するとすれば、一つモデルとして淫ら性というものが示されるような表記の仕方はやはり避けるべきではないかと思います。つまり淫行罪ではないということですね。
それは社会一般の人がいわゆる淫行罪と捉えるのかもしれませんが、ただ、そこは違うんだという、一線を画すような、それは説明の中では必要だろうと思っています。

そういう理解の仕方をした上で個別の、ここで山口県のところで書かれていることで言えば、(2)のところになるんですけれど、条文で見たほうがわかりやすいですね。
山口県条例でいえば、その12条の(2)ですね、2号になります。
性行為としか書いてないんです。
ただ、大阪府の場合は、その最高裁が言うところの淫ら性を前に置いてこれで限定していく、主観的部分を含めて限定していくという規定の仕方になっています。
専ら性が問われるということになるんですけれども、主観的というよりも、むしろ、そういう専ら性を客観的な事実として積み重ねることで立証していくしかないと思うんです。
そういう形で行われた性行為ということでありまして、それが淫らかどうかということについては、書かれてありません。
その点には一切触れていないということになろうかと思います。
そう私は理解しておりますけれども、峰委員、いかがでしょうか、そういう理解でよろしいでしょうか。
○峰委員特にはございません。
○安部座長轟委員、いかがでしょうか。
○轟委員特に異議ございません。
○安部座長ありがとうございます。
今、伊藤委員は、威迫だとか、困惑ということをもう少し具体的に説明できるような、それを条文の中に残すことはなかなか難しいとしても、その言葉の趣旨、それを少し具体的な事例を想定して例示できるようなことが必要なのではないかと指摘されましたが、そういう理解でよろしいでしょうか。
○伊藤委員その例示というか、そのやはり趣旨ですね。
そこは、やはりはっきり、できればしておいたほうが、明確性という点ではよろしいんじゃないかなと思います。
淫ら性が示される表記を避けるというお話しは、言ってもらってよろしいかと思います。
性被害というところを捉えるのであれば、淫らとか、そういう話ではないと思いますので。
○安部座長ありがとうございます。
そうすると、ここでの議論としては、大阪・山口の条例を参考にして、それを少し長野県の性被害ということをきちんと説明できるような趣旨の文言をそこに表記していくということでモデルを設定するということになりますでしょうか。
轟委員、どうぞ。
○轟委員
1点、安部先生には、先ほどのご解説にあった部分に関連して確認ですが。
大阪・山口の部分で、2号が、繰り返しになりますが、その目的、主観的、目的犯というか、実効- 19 -性を、要件要素というのをできれば外す方向で制定するという基本スタンスでよろしいでしょうか。
要は大阪の2号の問題とすると、専ら性的欲望を満足する目的という部分については、この部分、問題があって、県警からも先ほど、山口課長からご説明あったとおり、運用上も難しいという点を踏まえて、なるべくこういうことは外したほうが適切だという理解でよろしいでしょうか。
○安部座長
そこは確認しておりませんが、つまりこの専ら性がそこに書かれていることで、これを説明、立証するいうことになりますので、訴追する側としては多分、厳しいと感じますけれど、峰委員、いかがでしょうか。
○峰委員
処罰の対象を明確化するという趣旨で、大阪府がこの専ら何とかの目的でというのを加えたという、その趣旨は、それはそれで意義があることなんだろうと思いました。
ただやはり、あまり主観的要素を入れるというのはいかがなものかと思います。
しかも、主観的要素がかなり大きなウェイトを占めるというのは。
特にその処罰の対象になるか、ならないかというところが主観的要素にかかってくるとか、立証の観点で主観的要素が大きなウェイトを占めるということになりますと、やはり実際に活用が難しくなってくるのではないでしょうか。
そうなると、またわざわざ処罰規定を設ける意味が半減してしまうのではないかなと思います。
ですから、処罰の対象を明確化する、それから訴追、実証を容易にするという観点からは、なるべくは主観的な要素というのは外す方向で検討したほうがよろしいのではないかという気がいたしました。
確かに客観的な事実から、客観的証拠から推認させるというようなことで立証は可能ではあるかとは思いますけれども、特に「専ら」なのか、専らではなくて何分の1しかなかったのかというような、割合の問題で争われるというようなことになってきますと、立証等が非常に難しくなってくるというようなところもありますので、その点は、なるべくなら主観的要素は外す方向が、それが故意などは必要にはなるでしょうけれども、そうではなくて目的というような、なるべくわかりにくい要件は外す方向で検討したほうがよろしいのかなと思いました。
先ほど空文化したものが何かないかということで質問したところは、実はそのあたりに関連していまして、実際に条文を作ってみたけれども、使いづらくて使えないので空文化している、事実上、というようなものがもしあるのであれば、その点などは参考にして、改善するというようなことが必要なのかなと思ったので、先ほど質問をさせていただいた次第でした。
この点がちょっと、確かに問題にはなるところだという感想を持ちました。
○安部座長ありがとうございました。
したがって専ら性なり、主観的な目的というところは、ここでさらに取り上げる必要性はないということになりますでしょうか。
客観的な事実のみで威迫、欺き、困惑というところの絞り込みをするということですね。
こういった山口県のほうの条例に近い形になりますが、そういうものを参考にしていけばいいと、こういうことでしょうか。
はい、ありがとうございます。
もうちょっと議論を深めたいと思いますが、何か出口が見えてきたような気がしています