翻訳はここにあります
http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20120702#1341054012
外国の立法 255(2013. 3)
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8111654_po_02550012.pdf?contentNo=1
スウェーデン最高裁における非実在児童ポルノ所持無罪判決
海外立法情報課 井樋 三枝子
【目次】
はじめに
Ⅰ スウェーデンの児童ポルノ関係規定
1 本件に適用される法規定
2 児童ポルノ罪の現行規定
3 本件で問題となる児童ポルノ規定の検察側の解釈
Ⅱ 事件の経緯及び最高裁判決
1 事件並びに下級審判決の概要
2 上告趣旨及び理由並びに論点及び見解
3 最高裁判決おわりに翻訳:児童ポルノ的内容を含むが実在の者のようでない図画であるマンガイラストの所持が、統治法の定める表現の自由及び情報の自由に照らし、処罰すべきものに当たらないとする
2012年 6月 15日スウェーデン最高裁判所判決
はじめに
自身の所持するコンピュータのハードディスクに、日本のマンガイラストを保存していたことが、刑法で処罰対象となる児童ポルノの所持に当たるとして、日本のマンガの翻訳等を行うスウェーデンの日本文化研究者が児童ポルノ罪で起訴され、 2010年 6月 30日、ウプサラ地方裁判所(以下「地裁」という)で、有罪判決を受けた .。
被告人は控訴したが、スヴェア高等裁判所(以下「高裁」という)でも、 2011年 1月 28日の判決により、有罪となった。
しかし、最終的に、 2012年 6月 15日、最高裁判所(以下「最高裁」という)は、本件につき、無罪の判決を下した。
第 1審、控訴審とも、問題とされたマンガイラストは、刑法上の児童ポルノ図画に該当し、それらのコンピュータでの保存は、刑法で処罰される児童ポルノの所持に当たるとしていたが、最高裁は、マンガイラストは、スウェーデンの憲法的法律である統治法 .が認める、法律に基づく人権の制限を行うほど、刑法上の違法性を有しないと判断した。
本稿では、第 1審及び控訴審と上告審との相違点を関係法律を含めて概説し、最高裁判決の全文を訳出する。
Ⅰ スウェーデンの児童ポルノ関係規定
1 本件に適用される法規定
スウェーデンでは、刑法典 .第 16章第 10 a条.以下で、児童ポルノ罪が規定されている。
1979年にまず、児童ポルノの頒布が罪とされ、1994年には児童ポルノの所持も禁止された .。
直近の改正は、 2010年に行われ( 2010年 7月1日施行。一部は、 2011年 1月 1日施行)、インターネット上の児童ポルノへのアクセスを明確に禁止するとともに、児童ポルノの定義の整備等もなされた。
本件の地裁判決は、 2010年 6月 30日に下されており、本件は、現行規定ではなく、 2010年改正前の規定に基づき、審理された。
以下に、 2010年改正前の児童ポルノ罪の規定を概説する .。
刑法上の児童ポルノとは、ポルノ的な図画において児童を描写したものである(刑法典旧第16章第 10 a条第 1項)。
児童の定義は 2010年に改正されており、改正前は、「思春期の成長が未完了である者又は図画及びそれに関する状況から 18歳未満であることが明らかである者」とされていた。
この場合、 18歳未満であるにもかかわらず、とても児童には見えない者を用いたポルノであれば、児童ポルノとならない可能性もあった(同旧第 10 a条第 3項)。
児童ポルノの所持には、図画を物理的に所有することと同様、図画のデータを記録媒体に保存し、保持することも含む(同旧第 10 a条第 1項)。
児童ポルノの作成又は所持が処罰されない場合は、本人が手作業により描いた図画を、頒布又は移転を目的とせず、かつ、頒布又は移転をすることなく所持する場合とされていた(同旧第 10 a条第 6項)。
このような処罰されない場合については、 2010年の改正で、更に明確化された。
スウェーデンでは表現の自由等については、憲法的法律である統治法、出版の自由に関する法律 .及び表現の自由に関する基本法 .で規定されている。
まず、統治法第 2章第 1条において、表現の自由及び情報の自由が包括的に保障されている。
その中の、印刷メディアにおける表現の自由・情報の自由(出版の自由)に関しては、出版の自由に関する法律において、ラジオ・テレビ・映画・インターネットにおける一定の情報通信等における表現の自由・情報の自由に関しては、表現の自由に関する基本法において、それぞれ権利の保障及び規制の詳細が定められている .。
出版の自由に関する法律第 1章第 10条及び表現の自由に関する基本法第 1章第 13条において、児童ポルノには、これらの法律が適用されないことが規定されているため、児童ポルノの定義にかかわる法改正が生じる場合には、これらの憲法的法律の改正を伴う場合がある。
このように表現の自由は、統治法、出版の自由に関する法律及び表現の自由に関する基本法において規定されているが、スウェーデンは欧州人権条約 .を批准しているため、スウェーデン国内法は、この条約にも拘束される。
2 児童ポルノ罪の現行規定 2010年改正では、主に、次の点が改正された。
児童の定義を、「思春期の成長が未完了である者又は 18歳未満の者」と、「思春期の成長が完了している場合、図画及びそれに関する状況から 18歳未満であることが明らかであると判断される者」と変更した。
実際に、当該「児童」が 18歳以上であったとしても、思春期の成長が完了していない者であれば、その者を描写したポルノは「児童ポルノ」となりうる。
また、身体の状態にかかわらず、その者が明らかに 18歳未満と分かる状況であれば、その者を描写したポルノも「児童ポルノ」となる(刑法典第 10 a条第 1項)。
児童ポルノの所持とあわせて、インターネット上のポルノの閲覧(例えば、金銭を支払った閲覧や、児童ポルノが掲載されているような電子フォーラム(有料・無料を問わない)へのアクセス等、明確に閲覧の目的を有するもの等で、偶然にアクセスすることを含まない。)も、新たに処罰の対象とした(同上)。
また、児童ポルノの作成又は所持が処罰されない場合については、次のとおり規定を明確化した。
①本人が手作業により描いた図画を、頒布又は移転を目的とせず、かつ、頒布又は移転をすることなく所持する場合、 ②被害者と加害者の年齢に差がない当事者のポルノ的な図画を、当事者が作成し、所持する場合であって、周囲の状況等にかんがみ、責任を負わせることが要求されないと判断されるとき .(刑法典第 10b条)。
・・・・
3 最高裁判決
最高裁は、高裁判決を破棄して、上告人を無罪とした 。
本件の論点については、(別表)「事件の論点についての当事者の解釈と最高裁判決」において、上告人、検事総長及び最高裁の解釈を9 項目を表にまとめた。
以下に、判決理由を、簡単に紹介する。
マンガイラストであっても刑法上の児童ポルノ図画に含まれること、さらに、児童ポルノ罪の保護法益は児童一般の尊厳であること、図画が児童を性的な行為に誘惑するため用いられることを防ぐ目的であること等は、刑法典旧第16 章10a 条(児童ポルノ罪)及び同条に関するこれまでの立法理由書等の解釈から導かれる。
問題の図画は、ポルノ的であり、想像上の人物とはいえ、描かれているのは人間で、思春期の成長が完了していない「児童」である。
また、問題とされている39 点のイラストのうち1 点は実在の者のように見える。
しかし、実際の児童への性的虐待を表現するイラストと、想像上の児童を性的に描写した場合とで、処罰に何らかの差異を設けるか否かについての議論は、これまでの立法における議論で行われていない。
これまでの法制定・改正における議論から、明らかに実在する児童を表現している場合(写真等)には、裸の児童又は生殖器の露出がなされているものはすべて児童ポルノとして処罰するのではなく、見る者の性欲を刺激しうるような図画である場合のみに注意深く限られるべきであるという結論が導かれている。
よって、線画や絵画のような表現の場合も同様に、児童ポルノとして処罰する際には、それが実在の児童を参照していないかどうかを注視する必要がある。
しかし、実際の児童を参照しているとは考えられない想像上の人物が描かれている図画の場合、そのような図画が、児童ポルノとして処罰されるべきなのか否かの、明確な線引きは困難である。
欧州連合の法との関係については、2011 年に欧州議会及び理事会で採択された児童の搾取及び児童ポルノに関する指令(2011/93/EU)において、非実在の児童を描いた図画が児童ポルノの定義に含まれるかは明確となっておらず、現実に近い形で描かれている図画を犯罪とすることのみが明確に読み取れる。
このことから、スウェーデン法でも、実在の者のようなイラストの場合であれば、児童ポルノ罪に該当する。
本件で問題とされた図画の中で、実在の者のように見えるものが1点あり、これは児童ポルノに該当する。
しかし、この図画の所持は、研究のために多数のマンガイラストを有する上告人が、ただ1 点のみを所持していたという状況から、処罰阻却事由が存在していると認められる。
これらを踏まえると、実在の者に見えず、かつ、実在しない想像上の児童を描いた38 点のイラストを児童ポルノ図画として処罰の対象とすべきか否は、刑法典からは明確とはならないため、このような処罰が、スウェーデンの憲法的法律で保護されている表現の自由及び情報の自由を権限なく制限することになるか否かにつき、判断する必要がある。
表現の自由及び情報の自由の制限は、次の3点を満たす場合にのみ許される。
①法律による制限である、②民主的社会において受け入れられる目的を満たしている、③民主的社会の基礎の1 つとしての自由な意見形成に対する脅威となるほど長期間でない。
①については、刑法典の児童ポルノ罪規定を通じた制限であるために満たしている。
②については、児童ポルノを処罰する目的は、児童一般の尊厳の保護であり、これは表現の自由及び情報の自由の制限を認めるに足る重大な理由と考えられる。
しかし、③については、本件で上告人を児童ポルノ罪で罰するならば、表現の自由及び情報の自由の制限が、目的に対して必要な範囲を超えるものとなる。
児童ポルノを犯罪とする目的は、立法過程の議論から判断できるように、背後に隠された虐待の可能性からの児童の保護、児童を性的な行為に勧誘するために用いられる可能性の排除及び児童一般の尊厳の保護である。
問題となったマンガイラストでは、これらすべてに関して、実在の児童を撮影又は描写したポルノよりも侵害の程度やおそれは、相当に低い。
とりわけ、実在の児童に対する実際の侵害は、存在しない。
児童一般の尊厳の侵害についても、実在の者のようにも見えず、かつ、実在しない児童を描いたポルノを犯罪とすることは、自由な意見形成に対する脅威となるほど長期間の表現の自由及び情報の自由に対する制限となる。
以上のことから、最高裁は、刑法典の解釈としては、問題のマンガイラストが児童ポルノに該当する可能性を認め、立法準備資料等から解釈される児童ポルノ罪の保護法益や処罰の目的が、実際の侵害からの(又はそのおそれからの)児童の保護、児童一般の尊厳の保護であり、表現の自由及び情報の自由の制限を認めるに値するものであることについては、異論を唱えていない。
しかし、想像上の、非実在の児童を描写したマンガイラストが侵害しうる法益は、その他の児童ポルノよりも、程度が低く、表現の自由及び情報の自由の制限が認められるほどではないため、想像上の児童を描写したマンガイラストの所持は、児童ポルノ罪として処罰できないというのが、最高裁の判断である。
おわりに この訴訟の上告人が、第1 審で有罪判決を受けた直後の2010 年夏には、前述のとおり、児童ポルノ罪規定を強化する法改正が施行された。
同年9 月の総選挙で、中道右派連立政権の継続が決まり、児童ポルノの規制に関し、同様の政策が進められる可能性もあって、当時から被告人やその支援者らは、規制の行過ぎのおそれがあると訴えていた。
2012 年8 月に、上告人が来日し、この事件に関する講演 を行ったが、その中で、児童ポルノ罪の処罰目的の1 つである「児童一般の尊厳の保護」自体、表現の自由及び情報の自由の制限に足る理由ではないこと、1999 年に児童ポルノの単純所時を禁止し、併せて、出版の自由に関する法律及び表現の自由に関する基本法の適用対象から、児童ポルノを除外する法改正が行われた際、スウェーデンの立法過程で特徴的な「レミス(remiss)」 において、関係団体の意見聴取手続が軽視されていたこと等を問題視した。
また、上告人は、本件で児童ポルノと判断された1点の図画と、残り38点との違いが、非常に不明確であったことを例として挙げ、ひとたび児童ポルノと判定されてしまうと、所持、展示等が禁止されてしまうため、最高裁が判断した児童ポルノがそうでないものとどのように異なっているのかについて、表現者や閲覧者が確認し、理解することができないことを問題視した。
そのため、表現の自由の制限を認めるとしても、場所と状況を考慮した場合のみ、(法律を通じて)行うべきであり、表現の種類を理由とした制限を設けるべきではないと主張した。
さらに、上告人は、今回の一連の裁判に関して、世論、特にマスメディア、出版業界等は、マンガイラストにより児童に対する何らの侵害も起こりうる可能性はないとして、一貫して上告人支持であったこと、最高裁の審理開始前日に、スウェーデン警察における児童の性的虐待及び児童ポルノの捜査の責任者が、「実際の児童虐待及び実在の児童を用いたポルノに関する犯罪が多発している現在、マンガイラストの所持を取り締まる人員的余裕が、警察にはない」という趣旨の意見を新聞に掲載し、事実上、上告人支援の立場を明らかにしたことなど、児童ポルノ規制の行過ぎを問題視する傾向が強まっていると述べ、法規制の大幅な見直しを主張した。
現行の統治法第11章第14条では、裁判所により、憲法的法律や他の優越する法に抵触すると判断された規定は、適用されてはならないと定められている。
しかし、今回の判決では、非実在の児童を描写したイラストの場合は、児童ポルノとして処罰しないという内容であったため、今後どのような対応がとられるのかについて、例えば、児童ポルノ罪における児童ポルノ図画の定義から、非実在・想像上の児童・青少年を描いたものを、明示的に除外する法改正が行われるのか、憲法的法律である出版の自由に関する法律及び表現の自由に関する基本法について、児童ポルノを法の保護対象外とする規定の改正も行われるのか、さらには、同じく憲法的法律である統治法の人権規制規定にまで踏み込む可能性があるのか、いずれも、現時点では定かではない。
スウェーデンはEU加盟国であり、児童に対する性的虐待、児童の性的搾取及び児童ポルノ防止に関する指令等、EU 法による児童ポルノ規制に従う必要もあるため、今後とも、スウェーデン世論の動向とあわせ、EU の動き等も注視していく必要があろう。
※『「非実在青少年」は児童ポルノ!? 海外のマンガ・アニメ表現規制についての講演を生中継(番組id:lv103253596)』(2012 年8 月13 日)ニコニコ生放送〈http://live.nicovideo.jp/watch/lv103253596〉(ただし、有料会員のみ視聴可能。) また、主催団体NGOうぐいすリボンウェブサイト〈 http://www.jfsribbon.org/2012/08/blog-post_30.html〉には、スヴェア高裁判決全訳〈https://docs.google.com/file/d/0B2oe5NKv_0gdWTdaM2hKZUFJTmM/edit〉及び最高裁判決全訳https://docs.google.com/file/d/0B2oe5NKv_0gdTXVJMXZzaDVTR1E/edit?pli=1〉が掲載されている。