児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者性交・不同意性交・不同意わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録・性的姿態撮影罪弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

「一連の行為」論について

 さわる・なめるというわいせつ行為をしながら児童ポルノ製造する場合の罪数を考えています。

http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0009370933
「一連の行為」論について
――全体的考察の意義と限界――
深町晋也

? 問題の所在
わが国の判例・裁判例において,結果発生との関係で複数の行為1)が問題となる場合に,そうした複数の行為を「一連の行為」と把握しつつ,全体的な考察を行うという議論手法は古くから存在していた2)が,こうした議論手法について学説が積極的に検討を加えるようになったのは,むしろ比較的最近になってからである。こうした積極的な検討を促したのは,ベランダ転落事件3),クロロホルム事件4)などの一連の判例・裁判例であり,また,いわゆる量的過剰・質的過剰をめぐる一連の判例・裁判例5)もまた,こうした検討の対象とされている。しかし,学説においては,判例・裁判例の議論手法それ自体を緻密に分析するというよりは,専ら学説の関心に基づいて批判的に検討を加えるものが多いように思われる。もちろん,学説による判例の批判的検討の重要性6)を否定するものではないが,その前提として,判例・裁判例がいかなる意図に基づいて「一連の行為」論に依拠しているのかを,問題となる局面ごとに緻密に分析し,そうした議論手法の意義及び限界を示すことが,まずもって学説には要求されているように思われる7)。



1) そもそも,複数の行為として把握すべきか否かが問題となるが,ここでは取り敢えず,自然的な観察によれば個の行為とは見られない場合を指すことにする。但し,判例・裁判例においては,「一連の行為」となるか否かが判断されるべき第1暴行,第2暴行につき,そもそも第1暴行あるいは第2暴行それ自体が複数の行為から成り立っているような場合もあり(例えば,東京地判平成・・15 判タ891 号264 頁),実際には行為記述の問題はより複雑である