児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

ブログ市長書類送検 どうなる「ネットと公選法」

 公選法のような頻繁に改正されている特別刑法で、ネット時代にも改正されていて、明確な処罰規定がないわけなので、不可罰というのも有力だと思います。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090927-00000517-san-soci
選挙期間中のブログ更新に限らない。8月の衆院選では、当選した候補者が自身のホームページで当選を報告したことが問題になった。公選法では自筆の手紙などを除き、選挙後のあいさつ文書の配布や掲示を禁止しているためで、地元選管が「公選法に抵触する可能性がある」とし、候補者側も「公選法に対する認識が不足していた」として、記述を削除している。
 こうした事例は公選法の理解不足から生じているケースも少なくないが、中には「ネットを利用した方が安上がりになるから」(選挙関係者)という本音も聞かれ、ネットと公選法の関係について議論の高まりを期待する声は多い。検察当局が、竹原氏の公選法違反について、どのような判断を下すかも注目される。

 憲法的には選挙活動の自由の限界と、類推適用の禁止の問題。
 限定列挙だという結論にして、ネットは規制されていない。

 刑法的には「ブログの更新」が「文書図画」の「頒布」に当たるかと言う論点になるとおもいます。

第142条(文書図画の頒布)
衆議院比例代表選出)議員の選挙以外の選挙においては、選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号に規定する通常葉書並びに第一号から第三号まで及び第五号から第七号までに規定するビラのほかは、頒布することができない。この場合において、ビラについては、散布することができない。

 葉書・頒布・散布というのは有体物を前提にした概念ですよね。
 電話やスピーカーで広報するというのは


 憲法上の論点は、判例を探せば出てきます。

最高裁判所第3小法廷判決昭和57年3月23日
【判示事項】公職選挙法(昭和50年法律第63号による改正前のもの)142条1項
【参考文献】最高裁判所刑事判例集36巻3号339頁
      最高裁判所裁判集刑事225号951頁
      裁判所時報836号4頁
      判例タイムズ468号103頁
      判例時報1040号101頁
【評釈論文】警察研究56巻4号84頁
      法曹時報37巻9号334頁
      法律時報54巻7号145頁
裁判官伊藤正己の補足意見は次のとおりである。
それではこのような文書図画による選挙運動の制限が憲法に違反しないとする論拠をどこに求めるべきであるか。法廷意見の引用する当裁判所の判決によれば、公職の選挙について文書図画の無制限の頒布や掲示を許すときは、選挙運動に不当の競争を招き、そのために選挙の自由公正を害し、その公明を保持し難い結果を来たすおそれがあると認められるのであり、したがつて法の定める程度の規制は、公共の福祉のため憲法上許された必要にして合理的な制限と解することができるとされている。
 この判示は、文書図画による選挙運動を広く認めることのもたらす弊害について、必ずしも具体的な指摘をしておらず、説得力が多少とも不十分であると思われる。私見によれば、判示のいう選挙運動に不当の競争を招くという弊害として考えられるのは、具体的には、文書図画による選挙運動が有効であるだけに、候補者がこれに多額の費用を投ずることとなり、いわゆる金権選挙を生むおそれのあること、候補者にとつて煩に堪えない選挙運動であるとともに、ときには選挙人にとつて迷惑を感ずるものであること、他の候補者を中傷したり、虚偽の内容を含む文書の頒布されるおそれが大きいことである。
 たしかに、これらの弊害は、文書図画による選挙運動の規制の合理性を示す根拠として理解できないものではないが、それらの根拠のみをもつてしては、きびしい制限を合憲とするには十分でないように思われる。選挙費用の多額化を防止するための補完的な手段として、文書図画に対する規制が役立つことは否定できず、これを根拠とすることに一応の合理性を認めることができなくはないが、それは、本来法定費用の制限をもつて抑止すべき事柄であり、その範囲内で文書図画による選挙運動を利用しようとする候補者の選択は尊重されてよいであろう。候補者にとつて煩に堪えない選挙運動となりうることも考えられるが、それは候補者にとつての利便の問題にすぎず、この点を重視することは適当ではない。また選挙人の受ける迷惑もなくはないが、文書図画による選挙運動の場合はそれ程大きいものとは考えられず、むしろ有益な判断資料の提供を受けるという点での選挙人の利益も少なくなく、かりに迷惑の度の大きい場合があれば、必要な限度で、それに対応する規制を行うことが可能である。中場文書や虚偽文書の頒布の防止も重要であるが、そのこと自体に対して適切な規制を加える方法で対処することが適当であつて、そのおそれがあるからといつて、広く文書図画による選挙運動をきびしく制約する十分の理由があるとはいえないと思われる。
 このように考えると、文書図画による選挙運動を制限する根拠について一応の理由があり、その制限は合理性を欠くものではないといえるかもしれないが、それが全面的な禁止でないことを考慮するとしても、選挙という政治的表現が最も強く要求されるところで、その伝達の手段としてすぐれた効用をもつ手段をきびまく制限することによつて失われる利益をみのがすことができない。そして、右にあげた弊害の多くが、文書図画による選挙運動から生ずるおそれがあるというにとどまるものであり、また、表現の自由を制約する程度の少ない他の手段によつて規制の目的を達成できるものも少なくないから、それだけの根拠によつて文書図画による選挙運動をきびしく制限することが憲法上許されるとすれば、その考え方が広く適用され、憲法二一条による表現の自由の保障がいちじるしく弱められることになると思われる。じたがつて、この制限に必要最小限度の制約のみが許されるという一般に表現の自由の制限が合憲であるための厳格基準が適用されるとすれば、文書図画による選挙運動へのきびしい制限は憲法に反する疑いが強くなるといえよう。
 しかしながら、私は、国会が選挙運動のルールを定める場合には、右のような厳格な基準は適用されず、そのルールが合理的と考えられないような特段の事情のない限り、国会の定めるところが尊重されなければならないと解する。このことは、文書図画による選挙運動の規制の場合も、戸別訪問の禁止の場合と同様である。この立場にたつと、文書図画による選挙運動に前記のような弊害の伴うことが考えられる以上、公職選挙法一四二条一項の規定による制限は、立法の裁量権の範囲を逸脱し憲法に違反するものとはいえないと考えられる。この考え方は、前記の私の補足意見の五の部分に説くとおりであるので、ここでは省略してい。もとより、現行法のようなきびしい制限が立法政策として妥当かどかは考慮の余地があろうが、これはその制限が憲法に違反するかどうかとは別問題である