児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

起訴状へのクレーム・質問は起訴検事に言ってください。

 訴因特定について、裁判所から疑問が出て、弁護人からは特定のアイデアを出しているのに対して、公判立会検事の台詞。
 起訴状書いた検察官なんて、法廷に出てこないじゃん。
 有罪にしたければ、証拠見て、できるところまで特定すればいいんじゃないか。


追記051223
 外付けHDDの製造・販売の事案。
事案

被告人USB接続
コピー開始(全300ファイル)
・・・
違法画像「ロリータわいせつ」コピー(150番目のファイル)
・・・
捜索開始(180ファイルくらい完了)
HDDにつき警察が支配(200ファイル完了)
逮捕(210ファイル完了)
(コピー完了予想時刻)
警察がコピー完了させた(300ファイル完了)
警察が完了確認(300ファイル)
警察がUSB取り外し
警察が押収
提供目的所持罪で起訴(逮捕時刻での所持)

裁判所の疑問は、おそらく(逮捕された時には、犯人にHDDに対する支配がないから)
  所持の時刻を遡らせるとか、HDDの内容を再検討した方がいいんじゃないですか?

弁護人の疑問は、
  警察が支配してコピー完了させたのだから
  警察の支配と被告人の支配がややこしいから、有罪にしたいのなら
  捜索開始(180ファイルくらい完了)に遡らせた時点で、所持罪を論じたほうがいい。
  「捜索開始時刻において『ロリータわいせつ』など180ファイルを記録したHDDを所持した」とか。 

弁護人の主張
  記録媒体の製造については、媒体ごとに製造罪が成立し、有体物1個の製造で1罪(高裁判例)。
  とすると、公訴事実記載の行為は、製造罪の実行行為(製造に付随・密着する所持)であるから、所持罪には当たらない。
  所持罪と製造罪は併合罪(高裁判例)であるから、訴因変更で逃れることも許されない。
  
 そもそも、「製造罪」の事実を書いて、「所持罪」ですっていわれても、公訴事実が違うから、訴因の単一性も問題になりますね

 判決書いてくれるのは裁判所ですから、そちらの指示には従った方が、いいんじゃないですか?
できあがったHDDが1個なら、製造罪は1個。

参考判例
 児童ポルノ製造行為は、媒体基準で考える。

名古屋高裁金沢支部平成17年6月9日(被告人上告)
1所論は,原判示第2の2の児童ポルノ製造罪について,
児童ポルノであるミニディスク3本,メモリースティック3本,ハードディスクの製造は,それぞれ別罪を構成し,併合罪であるが,公訴事実では一罪とされており,訴因の単一性を欠く,
・・・
2しかしながら,まず,所論①の点は,法2条3項において,電磁的記録に係る記録媒体が児童ポルノであると規定されていることからすると,記録媒体毎に児童ポルノ製造罪が成立すると考えるべきである(なお,所論は,メモリースティック3本を用いてハードディスクを製造する場合には3罪が成立するとするが,罪数判断に当たっては,製造行為を基準にすべきではなく,製造された記録媒体を基準に考えるべきであるから,ハードディスクの製造1罪が成立するにすぎない。)。しかし,一個の機会に児童に姿態をとらせそれを撮影等したものを元にして,その後,複数の記録媒体の製造を行った場合には,被告人の犯意が継続していると解される以上,包括して一罪と解すべきであり,これと同旨の考えに基づく公訴事実は訴因不特定であるとはいえないし,これと同旨の罪数処理をした原判決に違法はない。

 児童ポルノ性は媒体ごとで論じる。

阪高裁平成14年9月12日判決
論旨は,(1原判決は,児童ポルノ販売罪(以下「本罪」という。)の保護法益が個人的法益であるとの立場に立っているから,①人相等の特徴で個々の被撮影者を特定しなければならない,②被撮影者が販売時に実在していなければならない,③本罪は被撮影者ごとに成立する,④被撮影者の承諾があれば,本罪は成立しない,⑤被撮影者の数,その承諾,被害の程度等が量刑の重要な要素になるとの結論にならなければならないのに,これらをいずれも否定したり,また,個々の被撮影者を特定する必要はないとしながら,その一方で,犯情の軽重を判断する際には被撮影者数を考慮したりしている,さらに,(2)原判示別紙一覧表番号4の事実について,児童ポルノに当たると問われているのは全被撮影者の写真であると考えられるところ,原判決は,訴因として個々の被撮影者を特定する必要はないとしながら,その一方で,清岡純子や制服を着用している者の写真は児童ポルノに当たらない旨判示している,したがって,これらの点で原判決には理由にそごがある,というのである。
しかしながら,(1)の点については,原判決は上記⑤の結論を否定していない上,児童ポルノが本件のように複数の写真が掲載された写真集である場合には,そのうちの1枚の写真が児童ポルノ法2条3項3号の要件を満たしてさえいれば,その余の写真がその要件を満たしているか否かを問わず,その写真集は児童ポルノに当たると解すべきである(なお,所論は,写真集も児童ポルノに当たると解すれば,表現の自由を不当に侵害するし,複数の写真が一冊にまとめられることによって児童の保護も後退すると主張する。しかしながら,1冊にまとめられた複数の写真は,販売等の際には同じ運命をたどるから,これを一体のものとしてみることはその実態に適っている上,所論がいうように個々の被撮影者を特定しなければならないとすれば,そのために多大な時間と労力を要し,ひいては写真集を児童ポルノ法による規制から逃れさせることになり,かえって,児童の保護に適わず,不合理である。)から,本罪の保護法益が個人的法益であるからといって,上記①ないし④の各結論が当然に帰結されるものではないし,また,写真集が児童ポルノに当たり得るからといって,犯情の軽重を判断したり,刑を量定したりする際に,その要件を満たす写真や被撮影者の数を考慮することができないと考える根拠もない。したがって,原判決には所論のような理由のそごはない。なお,上記②の結論については,被撮影者が写真撮影時に実在していれば足りると解されるし,上記④の結論についても,原判決が説示するとおりである。また,(2)の点については,その前提が失当であることは既に説示したとおりである。この論旨も理由がない。