児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者性交・不同意性交・不同意わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録・性的姿態撮影罪弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

男児わいせつ画像配信の男逮捕 西宮署

http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou05/0208ke76840.html

 事件としては重いのは強制わいせつですよね。
 撮影行為を製造罪、送信行為を提供罪として、併合されて、どれくらいの量刑になるかという点。
 写真を撮るのがわいせつ行為だとすると、製造罪とわいせつ行為はかなり重なります。罪数処理に悩むところです。

 7歳男児の写真は、1号児童ポルノならあきらめるとしても、2号・3号の性欲刺激要件はどうなんだという点に注目しています。
 そんなもの見て、一般人が興奮するのかということです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/news/20050208ddlk26040663000c.html
 調べでは、容疑者は昨年8月、自宅で小学1年の男児(7)の下着を脱がすなどしたほか、自らとのわいせつな行為を携帯電話のカメラで記録・・・、画像を取り込んだコンパクトディスクを製造した疑い。

児童と犯人が絡んでいるので、1号か2号ポルノ。
当初、提供目的がなかったとの前提では、携帯電話を児童ポルノとする3項製造罪(単純製造罪)。
そこからCDROMに焼くのは、「姿態を取らせる」がないので不可罰になります。

まあ、現実に提供しているので、未必的にでも提供目的があったとの供述を得れば、
携帯電話にもCDROMにも提供目的製造を適用できます。


 なお、このような行為は児童ポルノ法ができる前から、重く処罰されています。

静岡地方裁判所浜松支部判決平成11年12月1日
判例タイムズ1041号293頁
第二、右多数の卑わいな写真やビデオテープなどの存在は、被告人の異常な性的嗜好であるロリータ・コンプレックスを証明して余りあるものであり、被告人は、仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)な世界に飽きたらず、現実の世界に自己の性的欲求を拡大させ、下着を付けたままの少女たちの淫猥な写真を撮ることを手始めとして、なおもこれが欲求が高じて、さらに下着をとらせて全裸で卑わいな写真を撮るということに発展したものというべく、このことは心理学的に充分に説明が可能なのである。
第三、なお、弁護人は、捜査当局は、恣意的に児童ポルノ関係の資料を収集した、と弁解するようである。
 しかしながら、犯罪とは構成要件に該当する違法有責な行為であるところ、強制わいせつ罪については、刑法第一七六条後段に該当する要件が捜査の目標となる。したがって、捜査とは、数多くある被告人の物の中から右目標に照らして関連性や必要性、重要性の程度から直接間接の証拠物を収集する目的合理的な行動であるといえる。
 本件の捜査は、春子や夏子の母親の告訴から始まったものであり、告訴状の内容からそれが未成年者に対する強制わいせつ事案であることは一見して明かであるから、捜査は児童ポルノ関係に向けられること、ならびにこれに関連する近隣の少女たちの下着姿に眼をやることは当然である。
Ⅲ 性の問題
性(セックス)に関するタブーが崩れたことは、あるいは神秘な性に関する様々の社会的意味つけを取り崩し、性にまつわる男尊女卑などのいわれない差別を取り払い、ありのままの性の事実を人々が知ったということは、ある意味では社会の進歩であったかも知れない。
 しかしながら、性には快感が伴うものであるから、これを利用した輓近の性に関する拝金主義や家庭生活を破壊する不倫等、性に関する無節操は眼を覆うばかりである。
 人の行う行動はすべて人生に意味のあることがらであり、このことを深く考える傾向を人々が忘れてきているようである。
 性は、すべての生き物にとっては、本来本能として種の保存繁栄という役割を担い、それは人間にとってはさらに社会の基底的集団である家庭(それは人間が必然的に依存するゲマインシャフトの典型である)の維持形成にとってはなくてはならない機能なのである。
すなわち、人がある目的で一面的につきあう利益社会(ケゼルシャフト)と異なり、典型的には夫婦と未成年の子によって構成される家庭なるものは、人々が家族として全人格的に全面的につきあうものであり、そこには深い愛情と信頼とによって永続的に生活が維持形成されることが望まれるのであり、殊に性は夫婦の絆を培い愛情を形成維持させるに必要な役割を演じ、このことが子供の情緒的な安定した成長に役立ち、つぎの世代に完熟した成人に仕立てて社会人として送り出す機能を有しているからには、決して性というものは安売りをすべき性質のものではないのである。
 性をおろそかに扱う風潮は、ひいては家庭の持つ社会の基底的集団であるという重要な意義を考慮しない世代を産み、これがつぎの世代にともすれば伝搬する畏れさえあるのである。
 殊に、年端もいかない幼い少女たちにとって、性はこのような人生についての生涯を左右する大事な機能であることを深く弁えるには未だ達していないことに思いを寛らせ、幼少期のこのような体験が春子や夏子の将来の性格形成や人間関係に大きな影響を及ぼしかねないことを考えると、ただ自己の性的欲望の満足のみに眼を走らせ、他人の人権を配慮しない被告人の責任はまことに重大であるといわなければならない。