園田先生が見たという「幼児の頭部に精液がかけられた写真」は、お見せできませんが高松高裁で児童ポルノでないとされています。
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児童虐待の記録という観点からの批判
園田寿教授は、現行児童ポルノ禁止法のいわゆる三号ポルノ要件(「性欲を興奮させ又は刺激するもの」)が一般人を基準とするものである点は基本的に妥当としつつも、いわゆる小児性欲者(ベドファイル)でない限り半裸の児童の写真等を見ても性欲を興奮させ又は刺激するものとは感じられず、児童に対する性的虐待が疑われるものであっても児童ポルノに当たらない場合が出てくるほか、幼児の頭部に精液がかけられた写真なども余りにも細かく限定された定義の下では児童ポルノに当たらず不適切だとし、児童ポルノを「性的虐待記録物」としての方向で純化すべきであると主張されるが、全く同感である。以下に述べるフランス刑法は、正にそのような方向で規定されていると考えられる。
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じたがって、児童ポルノ禁止法を児童に対する多角的保護という観点からより実効的・網羅的なものへ改善するためには、同時に日本人(男性)を不必要に委縮させる原因となっている刑法一七五条を廃止し、フランスのように、より女性差別防止児童虐待防止に焦点を当てた規定へと変えてゆく必要があると考える。
児童ポルノの不明確性を回避するために、二条三項三号の定義中に「児童の性的部位の露出又は強調」かつ「殊更に性欲を興奮させ又は刺激する」という条件を追加する民主党の改正案は保護範囲が限定され過ぎ、十分な児童保護に欠けるきらいがある。同様の定義明確化に加え、単純所持を禁止するのみで処罰には反対する日弁連の怠見書にも同様の難点がある。そもそも、表現の自由を守りつつ児童の保護を実現するためには、まず刑法一七五条の改廃に取り組むべきではないか。
繰り返しになるが、思想・表現の自由の侵害や捜査権の濫用による処罰範囲の不当な拡大懸念などは「大人側の事情」であり、それが格段に弱い立場にある児童の保護を犠牲にする埋山とはなりえないという毅然とした態度が、フランス立法府にはみてとれる。それは、その他の場面では思想・表現の自由や捜査権濫用への抵抗権が最大限保障される社会におけるフランス国民の統治三権に対する信頼にも裏打ちされている。
日本の政治家や法律家も、思想・表現の自由の侵害や捜査権の濫用による処罰範囲の不当な拡大懸念には正面から立ち向かい、障害を取り除く努力を第一にすべきであり、それができないしわ寄せを弱者である児童に被らせる、べきではないことをフランスの動向から学ぶべきであろう。