児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

嘆願書

 不同意にされたら、終わりなんですが、最初からあきらめるんじゃなくて、一応証拠として請求しておいて、不同意になっても被告人質問で示すなどして、その存在を立証することはできますよ。
 採用されることもあります。

原田國男「量刑判断の実際」 増補版P29
(2) 嘆願書
被害者からの嘆願書については,示談書等と同様な扱いが一般的である。不同意となれば,採用しないのか普通であろう。これに対して,第三者からの嘆願書については,検察官が不同意にした場合に,自由な証明であるとしてこれを採用し,取り調べる裁判官もいるが,他方,その場合には,事実上内容を見る程度にとどめる裁判官も多いと思われる。事実上見た嘆願書については,雑書類に綴るか弁護人に返還するかであるが,雑書類に綴ると,記録には,綴り込まれないから, 上訴に当たっても,上訴審に送付されることはない。事実上見るという場合でも,被告人にこれこれの嘆願書が提出されているがどう思うかなどと聞き,記録に残す工夫をした上で,量刑の理由にも記載するほうがせっかく嘆願書を書いてくれた人たちの善意に報いるためにも良かろう。もっとも,嘆願書自体が偽造であった例もあるというし,町内会の嘆願書の類は,断り切れないで署名をすることもあるから余り意味がないという指摘もある。

嘆願書 _実例法学全集
〔問題四五〕当事者以外の者の作成にかかるいわゆる嘆願書の取扱について
法廷で、情状の証拠として提出せられた場合
法廷で、正式の証拠とせずに単に参考のため一覧されたいとして提出された場合
裁判所宛郵送せられた場合
裁判官宛郵送せられた場合
一嘆願書の性質内容
通常の概念において嘆願書といえぽ、その作成者が被告人の処罰を寛大にして貰いたいという趣旨を請い願う意思を表明した書面であり、供述に代るものであるから刑訴法上供述書に該るが、嘆願書の名義で実際に裁判所に提出される書面の内容は一律ではない。
被告人の身分、性格、行状、環境、閲歴等に関し、被告人に対する量刑上利益な事情を述べて、寛大な処分を願うものが普通であるが、寛大な処分を願う理由として公訴にかかる犯罪事実に関して述べたものもあり、場合によっては犯罪事実を否定して無罪の裁判を願うという内容のものすらある。
二 法廷で情状の証拠として提出せられた場合
情状という言葉の意味も必ずしも明確ではない。
通常は被告人の身分、性格、素行、生活環境、犯罪後の事情等、もっぱら量刑の資料たる事情をいうが、ときには犯罪の動機や態様、さらに主要事実を推認させる間接事実等までも含め、犯罪事実自体に属しない事実を広く情状という場合もある。
本問の「情状の証拠として」という情状は、物が嘆願書であることからも、前者の意味に限定してよいであろう.右のような意味での情状の証明には厳格な証明は必要でなく、いわゆる自由な証明で足りるとすることは学説判例の殆ど一致しているところである。
ただ自由な証明の意義について見解が分れている。
多数と見られる見解が、自由な証明には厳格な証明において要求される証拠能力及び適式な証拠調を必要としないとするに対し、証拠能力は必要でないが証拠調は適式に行なわなければならないとする見解がある。
いずれの見解によっても、自由な証明の場合は証拠能力から解放され、刑訴法三二○条以下の適用のないことにおいては一致する。
本問の嘆願書は前述のように第三者作成の供述書であるが、情状証拠として提出されたものであるから、その証拠能力の制限を考える必要はなく、裁判所が適当と認める限り、証拠として採用してよい。
証拠調は必要であろうか。
刑訴法三○五条所定の朗読又は同規則二○三条の二所定の要旨の告知の方法による証拠調をすることは必要ではないが、なにらか適当と認める方法による証拠調はしなければならないであろう。
情状といえども刑の量定の基準になる事実であり、刑罰権の範囲を定める条件であるから、その事実を認定する資料が公判廷において証拠調されて当事者の攻撃防禦の対象とされることは、刑訴法の構造の基調をなす当事者主義・弁論主義の要請に応ずるものと考えられるからである。
前述のように嘆願書の名義で提出される書面の内容は区々であり、それが単に量刑の資料のみである場合には問題はないが、犯罪事実自体についての供述若しくは犯罪事実を推認させる間接事実についての供述を含んでいる塲合には、これを犯罪事実認定の資料に供することができるであろうか。
立証趣旨が証拠能力を限定するとして、立証趣旨に強い拘束力を認める立場からは問題にならないが、立証趣旨は証拠の採否を決定するについての参考に過ぎないとして、これに強い拘束力を認めない立場からは問題になりうる。
厳格な証明を要しないということは厳格な証明を排斥するものではないから、相手方が無条件に同意し、又は刑訴法三二条一項三号の要件を充たすことにより、嘆願書が証拠能力を具え且つ適式な証拠調をなされることも勿論差支えない。
この場合には嘆願書の内容を犯罪事実認定の資料とすることができる。
しかし、それは同意が無条件になされた場合に限り、立証趣旨に限定した同意である場合は、その限度においての承証拠能力を取得するに過ぎないから、犯罪事実認定の資料とすることはできないと解すべきである。
情状の証拠として取調の請求のあった書面に対し同意した場合には、特に反対の趣旨が表明されない限り、その同意は情状証拠としての取調に限定した同意と解するのが相当ではなかろうか。
従って情状の証拠として提出された嘆願書が相手方によって同意されても、これを無条件の同意と解しうる場合は少いであろうし、刑訴法三二一条一項三号の要件を充たす場合もまた稀であろうから、嘆願書を犯罪事実認定の資料に供しうることは実際上稀であろう。
三法廷で正式の証拠とせずに単に参考のため一覧されたいとして提出された場合「参考のため一覧されたい」という意味は、閲読したうえ、その記載内容を情状につき心証形成の資料にしてくれという要求であろう。
そうでなければ意味をなさない。
そして、そうだとすればやはり一種の証拠調の請求に外ならない(自由な証明においては一覧することも取調の方法となりうるであろう)。
また「正式の証拠とせずに」という意味が、
(1)証拠として提出するのであるが、厳格な証明におけるような証拠調を求めるのではないという意味なら、もともと情状の立証には厳格な証明を必要としないのであり、この場合と全く同じ問題となる。
(2)全然証拠の扱いをしないで欲しいという意味で、公判調書に取調請求のあったことも記載せず、嘆願書自体も記録に編綴しないことを求めるのであれば、訴訟記録上に全く現われない書面を心証形成の資料にすることを求めるものであって不当である。
釈明しても、その趣旨を固執するならば、裁判所はこれを受け取るべきでない。
最高裁判例が、「刑の量定に関する事項については記録上こ第四章公判期日の手続二八一れを認むくき証拠あるを以て足り……」といっているのも、このことを前提とするものと解せられる。
またこの塲合、裁判所には、提出された嘆願書を事実上受け取って一覧のうえ単に記録に編綴しておくに止める扱いが許されるであろうか。
訴訟のいかなる段階においていずれの当事者からいかなる趣旨で提出されたものであるかが公判調書上明らかにされていることが必要であろう。
事件が上訴審に移った場合を考えれば明らかである。
前掲判例が「記録上これを認むくき証拠があれば足りる」としているのも、証拠となるべきものが記録中に編綴してさえあれば、編綴されるに至った理由も経過も記録上明らかでなくてもよいとする意味ではあるまい。
四 裁判所宛郵送せられた場合
実際上の扱いとしては、当該事件の係属する部の書記課が受取り、所属の書記官が開封し、内容を閲読して係属事件に関する嘆願書であることが判明したときは、係裁判官又は裁判長の指示を受けて処理するのが通常である。
この塲合、(1)裁判官がその内容を閲読することはすべきでない。
それが直接間接犯罪事実に関しての供述を含む場合は勿論、そうでない塲合でも、心証に何らかの影響を受け、私に知り得た事実を心証形成の資料とする虞があり、不当だからである。
その嘆願書を記録に編綴したとしても、その不当は是正されるものではない。
(2)裁判官がその後の公判において職権により証拠調をすべきであろうか。
職権による証拠調は刑訴法の認めるところであり、当事者はいずれも意見を述べる機会を与えられるものの、当事者主義の著しく強化されている現行刑訴法の下ではやはり適当でないであろう。
(3)嘆願書であることが判明したときは、書記官を通じて弁護人に交付させ、これを証拠として利用するか否か、利用するならいかなる趣旨でいかなる段階において利用するかの判断を、弁護人に委ねる処置が妥当であろう。
前述のように嘆願書といってもその内容が必しも一様でない現実からしても、そうすることが最も当事者主義の建前に適当したものと思われる。
五裁判官宛郵送せられた場合これは裁判官としては一番困る場合である。
封筒の表面に例えば「嘆願書在中」などと明記されていて開披しないでも内容の判るときは、そのまま書記官を通じて前述四(3)の塲合と同様に取扱うことができるが、そうでないときは、名宛人の裁判官としては私信との区別がつかないから、自ら開披せざるをえない。
そこで中の書面に「嘆願書」あるいはそれと同義の標題でも書いてあれば、その段階で右の封筒に表示のある場合と同様に取扱うことが可能であるが、普通の信書と区別のないものは、その記載内容まで閲読して初めて嘆願書であることが判明する。
内容を閲読すれば、事実上心証に何らかの影響を受けることを免れない。
このことは結局あたかも裁判官が事件に関する新聞記事を読んで何らかの事情を知りえた場合と同様に、裁判官の心証形成に当っての内心的抑制に委ねられることであるが、裁判官の心構としては、信書の内容が嘆願書であることを知りえた可及的早期の段階において、前述四(3)の場合と同様に弁護人の手に委ねる処置を採ることが、最も公正を期する方法であろう。
(寺内冬樹)

http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20091211ddlk30070413000c.html
Q 嘆願書って裁判では扱いが難しいね。
A 京都地裁では証拠として認めましたが、1万4000人余りの署名が集まった佐賀地裁裁判員裁判では採用されておらず、扱いは分かれます。ただ、例えば和歌山地裁の判決は、証拠でない嘆願書について言及していました。どう判断するか、難しいですね

 国選事件で、行政書士にお金払って、嘆願書を作って集めてきた被告人がいましたが、不同意不採用になって、弁護人や行政書士にに文句言ったりしてました。