殿様を守って番頭が東奔西走という感じですね。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060725i409.htm
一連の事故で、パロマ側幹部が犠牲者の実家を訪れて謝罪したのは、1996年2月の事故で亡くなった(当時21歳)に続き2度目。
弁護士的には、「損害賠償債務があることを認める」という確認書を会社と結びたいところですが、そう易々と責任を認めないようです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060725i201.htm
パロマ側は2001年10月、解決金4250万円を支払うことで和解に応じたが、「(パロマは)損害賠償の責任を負うものではない」と和解条項に盛り込まれた。