結局、総当たりの組み合わせで「A罪とB罪は観念的競合か併合罪か?」について判例で決めていかないと決まらないんですよ。
町野朔・安村勉「特別刑法と罪数」上智法学論集 第39巻1号
(2)観念的競合と「一個の行為」
(a)観念的競合にいう「一個の行為Lとは'「法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものと評価をうける場合をいう」というのが判例の立場である。ここには、ー行為」として何を対象とするかという「判断の基盤」の問題と'「一個」といかに判断するかという「判断の基準」の問題が含まれている。前者については、「l個の行為が数個の罪名に触れる」場合が観念的競合であるから、その「行為」とは、構成要件的評価の対象となる行為であって、構成要件的評価を受けた行為ではない。この意味で判例の立場は正当である。構成要件該当行為が全部重なるか部分的に重なるかは関係がない。状態犯か継続犯かも無関係である。
だが、このことからさらに、「一個の行為」が「自然的観察」、「法的評価をはなれた社会的見解」によって判断されなければならない、ということにはならない
「自然的観察」、「社会的見解」という基準は、観念的競合の成否の判断を最高裁の有権的解釈に委ねるものであり行為の個数の判断基準としては無内容である。
まあ、そうも言ってられないので、判事さんが裁判例を分類してくれています。そうやって「社会見解」を探るわけです。
控訴趣意書から
(1)刑法54条1項の「一個の行為」の意味(林正彦判事の分析)
刑法54条1項の「一個の行為」の意味については、最高裁S49.5.29が「しかしながら、刑法五四条一項前段の規定は、一個の行為が同時に数個の犯罪構成要件に該当して数個の犯罪が競合する場合において、これを処断上の一罪として刑を科する趣旨のものであるところ、右規定にいう一個の行為とは、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合をいうと解すべきである。」と判示しているところから、裁判例においては、「社会見解上一個だから観念的競合」「社会見解上一個だとはいえないから併合罪」(まさに本件原判決)などと判示されて、場当たり的に判断されている感が否めない。弁護人から言えば、観念的競合と主張すれば、「社会見解上一個だとはいえないから併合罪」と判断され、併合罪だと主張すれば、「社会見解上一個だから観念的競合」とただ裏返して返答されるようにも思われる。
そこで、手堅く裁判例を分析された林正彦判事の最近の論稿
林正彦 観念的競合における「一個の行為」について
小林充先生 佐藤文哉先生古稀祝賀刑事裁判論集 上巻
に従って、観念的競合となる場合を検討する。
林判事の結論は、最高裁s49は「必ずしも構成要件的行為が重なることを要しない」との理解すべきであり、構成要件的重なり合いがあれば、観念的競合となるが、構成要件的行為の重なり合いが無くても、「密輸入」「ひき逃げ」という一個の社会的事象であれば、観念的競合となりうるということである。