児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

著作権侵害の表現行為にも表現の自由は及ぶ

送信可能化権侵害罪事前抑制説にこだわるわけですが、ある憲法学者は「著作権侵害の表現には、表現の自由は及ばない」っていうんですよ。著作権法>>憲法みたい。

児童ポルノも一応、表現の自由の保障の範囲内だから、憲法判断になる。
http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20040609#p1

 著作権侵害であっても、一応、表現の自由は及ぶとした上で、表現の自由の限界を論じて下さい。

東京高等裁判所判決/平成5年(ネ)第3528号
平成6年10月27日

 したがって、控訴人の右主張は理由がない。
5 控訴人は、控訴人の主張7記載の理由により、原判決が控訴人文書の発行事前差止仮処分を認めたことは憲法違反である旨主張する。
 出版物の頒布等の事前差止め、すなわち表現行為に対する事前抑制は、当該出版物がその自由市場に出る前に抑止して、その内容を読者の側に到達させる途を閉ざし、又はその到達を遅らせてその意義を失わせ、公の批判の機会を減少させるものであり、また、事前抑制たることの性質上、予測に基づくものとならざるを得ないことなどから、事後制裁の場合よりも広汎にわたり易く、濫用の虞があるうえ、実際上の抑止的効果が事後制裁の場合より大きいと考えられ、したがって、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し、検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容され得るものと解される(最高裁昭和六一年六月一一日判決・民集四〇巻四号八七二頁参照)。
 ところで、著作権侵害行為については、著作権法一一二条により事前差止めが認められているし、表現行為に対する事前抑制が許容されるために右のような要件が必要であるとされる前記理由に鑑みれば、事前差止めであっても、前記のような弊害が生じる危険性がほとんど存しない場合には、当該事前差止めは、実質的には、事前抑制に当たらないものと解するのが相当である。
る。
 また、憲法二一条二項前段にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定
の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきであると
ころ、仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合と異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであって検閲には当たらないものというべきであるから(前記最高裁判決、及び最高裁昭和五九年一二月一二日判決・民集三八巻一二号一三〇八頁参照)、原判決が控訴人文書に対する発行事前差止めの仮処分を認めたことが、憲法二一条二項前段が規定する検閲の禁止に違反するものということはできない。
 控訴人は、著作権を侵害する表現は、侵害される著作権者の利益を保護するために一定の制約が認められるが、著作権を侵害する表現といえども憲法二一条の保障する表現である以上、より制限的でない他のとり得る手段がないかどうか、事前抑制禁止の法理・検閲禁止に違反していないかどうかを、規制される表現の内容、表現によって侵害される著作権の侵害の程度・明白性、著作権の保護回復の可能性の有無などを総合的に衡量して、いかなる方法・程度の規制が適当であるかを判断しなければならない旨主張して、考慮されるべき事情を挙示する。
 しかし、控訴人文書の作成・頒布による被控訴人新聞の編集著作権に対する侵害行為は明白であり、しかも昭和六一年九月以降継続的に、侵害行為が行われてきたものであること、被控訴人新聞の編集著作権を保護するためには控訴人文書の発行差止めが有効かつ適切であること、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると、原判決が控訴人に対して、控訴人文書の発行事前差止仮処分を命じたことが、事前抑制又は検閲に当たるとは到底認められない。
 したがって、控訴人の主張7は理由がない。

東京高等裁判所判決/昭和47年(ネ)第2816号
昭和51年5月19日
ただ、問題は、本件モンタージユ写真の作成が本件写真のさきに認定のような改変を伴うので、その利用が著作者の有する同一性保持権(現著作権法第二〇条第一項参照)を侵害するとして、正当の範囲を逸脱するという議論の成否である。なるほど、その問題を原著作物とこれに依存する二次的著作物との対立として考えるならば、後者が前者の枠内に止まるべきことは著作物の同一性保持権の当然の要請であつて、原著作者の意に反する改変は許されないことになるであろうが、これと異なり、他人が自己の著作物において自己の思想、感情を自由に表現せんとして原著作物を利用する場合について考えるならば、その表現の自由が尊重さるべきことは憲法第二一条第一項の規定の要請するところであるから、原著作物の他人による自由利用を許諾するため著作権の公共的限界を設けるについては、他人が自己の著作物中において原著作物を引用し、これに対して抱く思想、感情を自由な形式で表現することの犠牲において、原著作物の同一性保持権を保障すべき合理的根拠を見出すことはできない。したがつて、他人が自己の著作物に原著作物を引用する程度、態様は、自己の著作の目的からみて必要かつ妥当であれば足り、その結果、原著作物の一部が改変されるに至つても、原著作者において受忍すべきものと考えるのが相当であるから、本件モンタージユ写真における本件写真の引用がその同一性保持権を侵害するとして正当の範囲を逸脱するという考え方は成立しない。