児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

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売買春が処罰されない理由

 妥協だそうです。

勝尾 鐐三 売春防止法逐条解説s32
第三条(売春の禁止)何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない。
(説明)第三条は、売春をし、叉はその相手となる行為の禁止を宣言したものである。すなわち売春をし、又はその相手方となる行為は、社会道徳上好ましくないものであるだけでなく、法律上も違法な行為であることを明らかにしたものである。ただ.この規定に違反した場合の罰則は定めていない。この点は売春対策審議会でも、だいぶ意見の分れたところであり(注1)売春行為そのものを罰しないことが、この法律の大きな盲点だとする意見もあるところである(注2)。
しかし、売春問題の複雑さ、その根強さというものを考え、これを現実問題としてその対策を考える掲合、理論のみをもってこれを割切ることは、果して妥当であるかどうか、疑問なしとしないと思う。「立法は妥協である」という言葉があるが、この売春行為そのものを処罰すべきかどうかという問題の論議に終始して、より重要な「売春婦を喰い物にしている連中の処罰」迄がのびのびになるというような結果を来すことは果して妥当なことではないと思う。売春行為そのものも処刑すべきであるとする見解にも一応の理由はあると思うが、第六条から第十五条までにおいて売春を助長する行為を厳重に処罰することとし、他方第三章において保護更生の措置を講ずることとしたので、この両者が車の両輪として円滑適切に実行されるならば.売春をするものの総数は相当減少するものと予想しても大きな渦誤はない筈である。しかも第五条の適切な活用を図ることによって『売春をし、又はその相手方となる行為』それ自体を処罰することによって達成しようとする目的は相当程度迄達成することも出来ると思うのである。更に、売春をし、叉はその相手方となる行為のように、現行刑事訴訟法の下にあって、立証が極度に困難なことは「死法」のそしりを免れんがために、徹底的な立証をしようということになれば.人権侵害の非難の生ずることも容易に想像し得るところであるから、むしろ当面の立法政策上はこれを除外するのが賢明であるということになる(注3)

性風俗と法秩序
宮川基 買春不処罰の立法史
?買春処罰規定を設けることができなかった原因
売春防止法が成立した当時,確かに,売春は不処罰とする一方で,買春は処罰するという考え方はあらわれていた。しかし,買春処罰と売春処罰は一体のものであるとの認識が支配的であった。買春を処罰する前提条件として,売春の処罰が必要であると考えられていた。したがって,売春を処罰していた売春等処罰法案では,買春の処罰規定が置かれていたのに対して,売春の処罰規定を置かなかった売春防止法では,買春の処罰規定が置かれなかった。
買春の処罰規定を設けていた売春等処罰法案の成立に積極的であった者は,男性の教育,男性の不道徳の抑制という観点から,買春の処罰を主張していたにもかかわらず,売春は不処罰とする一方で,買春は処罰するという主張にまでは至らなかった29)。売春等処罰法案の成立に積極的であった者においても,売春処罰と買春処罰は一体のものと考えられていた。売春対策審議会が昭和31年(1956年)3月7日に総理府に設置されたが, 同審議会は,昭和31年4月9日に, 内閣総理大臣に対して答申第1号を提出した。その答申第1号は,売春行為自体は刑事処分の対象としないとする立場であった。ところで, この答申第1号には,売春行為自体を刑事処分の対象とする反対意見がついていた。この反対意見においても, 「売春を処罰しない場合は,売春を買う男性も処罰を免れることとなって,性道徳は無視せられ,社会の常識に相反することとなる。」
という考え方にとどまっており,売春処罰と買春処罰は一体のものと考えられていた。
これは,買春をした男性こそが,売春をした女性の尊厳を侵害し,女性の人権を侵害しているという認識に至らなかったためであると推測きれる。買春をした男性こそが加害者であるという観点を打ち出すことができたならば,売春を不処罰にする一方で, 買春を処罰するという考え方が主張されたはずである。
なお,売春防止法成立後に,第38回国会に提出された「売春防止法の一部を改正する法律案」においても,売春処罰とともに, 買春処罰が提案されており,買春のみを処罰するという提案には至らなかった。