児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者性交・不同意性交・不同意わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録・性的姿態撮影罪弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

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児童福祉法60条4項の沿革からの考察

 法律(児童福祉法)では、関係が薄く一回性の淫行については、年齢を知らない場合を処罰しないのだから、青少年条例でも同様だろうということで、青少年条例の年齢知情条項は破れないか。

児童福祉法
第60条
第三十四条第一項第六号の規定に違反した者は、十年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
?第三十四条第一項第一号から第五号まで又は第七号から第九号までの規定に違反した者は、三年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
?第三十四条第二項の規定に違反した者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
?児童を使用する者は、児童の年齢を知らないことを理由として、前三項の規定による処罰を免れることができない。ただし、過失のないときは、この限りでない。
?第二項(第三十四条第一項第七号及び第九号の規定に違反した者に係る部分に限る。)の罪は、刑法第四条の二の例に従う。

川口政明「児童福祉法六〇条三項の「児童を使用する者」に当たるとされた事例」
最高裁判例解説刑事篇平成5年度72頁
児童福祉法違反被告事件
最決平成5年10月26日

児童福祉法六O条三項の沿革
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 児童福祉法六〇条三項は、児童虐待防止法(昭和八年法律四O号。以下、旧法ともいう。)一〇条二項の規定の流れを汲むものといわれている。
旧法では
七条
「地方長官ハ軽業、曲馬又ハ戸戸ニ就キ若ハ道路ニ於テ行フ諸芸ノ演出若ハ物品ノ販売其ノ他ノ業務及ビ行為ニシテ児童ノ虐待ニ渉リ又ハ之ヲ誘発スル虞アルモノニ付必要アリト認ムルトキハ児童ヲ用フルコトヲ禁止シ又ハ制限スルコトヲ得
前項ノ業務又ハ行為ノ種類ハ主務大臣之ヲ定ム」
一〇条
「第七条第一項ノ規定ニ依ル禁止又ハ制限ニ違反シタル者ハ一年以下ノ懲役又ハ千円以下ノ罰金一一処ス
児童ヲ使用スル者ハ児童ノ年齢ヲ知ラザルノ故ヲ以テ前項ノ処罰ヲ免ルルコトヲ得ズ但シ過失ナカリシ場合ハ此ノ限ニ在ラズ」
と規定されていた。
 すなわち、旧法下において処罰の対象とされたのは、児童を虐待したり又は虐待を誘発するおそれのある一定の業務又は行為(注二)に児童を用いる行為であり、処罰の対象となる者は、児童を虐待し易い特殊な事業又は営業を行う者であった。
 そして、旧法一〇条二項にいう「児童ヲ使用スル」とは、七条一項に規定する禁止・制限行為、すなわち、「業務及ビ行為(に)児童ヲ用フル」ことを指すものであり、結局、「児童ヲ使用スル者」とは、「業務及行為。。。(に)。。。児童ヲ用フル者」=禁止・制限行為を現実にした者(全て)を指すものである。そして、その趣旨は、これらの業者に対する実効ある取締りを期そうということにあったと思われる。
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右のように旧法の目的が一定の事業又は営業に児童を使用する者が児童を虐待するのを防止しようとする消極的なものであったのに対し、現行法は、より積極的に児童の福祉を増進しようとする目的に変わった。そこで、児童を虐待し易い特殊な事業又は営業との関連が希薄になり一般人に対する禁止の規定形式を採用した。一号から五号は、性質上業態的に行われることが予想される行為を取上げるか、あるいは、業務としてさせることを要件としており、旧法とその狙いはほぼ同じであるともいえるが、これらについても、規定形式としては、あくまで般人に対する禁止の形式になっている。また、六号(淫行をさせる行為)や七号(児童に有害行為をするおそれがある者に児童を引き渡す行為)は一回的行為を処罰することが明らかであるから、事業又は営業を営む者ではない一般人もその主体になり得ることが明らかである
3 ところが、現行法六〇条三項は、右のようにその適用の前提たる禁止行為の規定の仕方が変わったにもかかわらず、旧法一〇条二項の規定をそのまま継受した(注四)。現行法の立法過程をみると、「児童を使用する者」について、政府の答弁資料は、「民法上の契約関係にある者だけでなく、現実に、第三三条に規定する行為を児童にさせる者である」(注五)とされており、立法後も、当初の行政解釈はこれと同様のものであった(注六)。これは、旧法下での「児童ヲ使用スル者」日「禁止・制限行、為をした者」との図式をそのまま現行法に持ち込んだものといえる。
しかしこの解釈では、六号(淫行をさせる行為)や七号(他人に児童を引き渡す行為)については、一般人の、一回的行為についても、六〇条三項が適用きれることになり、場合によって被告人に酷な結果が生ずる。また、現行法制定後の昭和二四年、法改正により三四条一項に八号(児童の養育をあっ旋する行為)及ぴ九号(有害な行為をさせる目的で児童を自己の支配下に置く行為)が追加されたが、八号の児童の養育をあっ旋する行為についても右と同様の問題が生ずる。
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また、その後の判例は、六号について、「淫行させる行為Lには、児童の自発的意思による要求に応じて売春の相手方を周旋するといった態様の助長促進行為も含むことを明らかにしたが(注七)、一般人がしたこのような支配従属性のない行為についてまで、禁止行為をした者=「児童を使用する者」として、六〇条一二項を適用するのは相当とは思われない。
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以上述べたところに照らすと、後述のように、学説・裁判例が、当初は、「児童を使用する者」=禁止行為をした者としていたのを、その後は、これを否定するに至ったこと、また、裁判例において「児童を使用する者」に当たらないとされたのが、六号、七号の事案についてであったことは、いずれも、十分に理由のあるところと思われる。もっとも、現行法の体系に即した「児童を使用する者」の概念を再構成するとして、その際、禁止行為とは完全に切り離された行為者定型を指すものとして再構成することには無理があり、何らかの形で禁止行為と関連させながら、再構成するのが相当と思われる。

四 裁判例
阪高判昭三一年六月二八日高裁刑事裁判特報三巻二二号六五四頁(右?と同一合議体)
〔事案の内容〕
偶然知人から頼まれ児童を貸席業者(接客婦を住み込ませて売淫させる営業)に雇うよう斡旋紹介して引き渡したというもの(三四条一項七号違反)。
〔判決要旨〕
「「児童を使用する者』とは、児童と民法労働基準法の一用契約関係にある者のみに限らないが、少なくとも児童との身分的若しくは組織的関係において児童の行為を利用し得る地位にある者を指称する。被告人は偶然知人から頼まれ児童を貸席業者に雇うよう斡旋紹介して引き渡したにすぎなく、児童と右説示のような特殊な関係がなかったものであるから、『児童を使用する者』に当たらない。」

東京高判昭四O年一月一九日高刑集一八巻一号一頁。
〔事案の内容)
偶々川崎市内で知り合った面識の浅い児童に対して撮影のモデルになることを勧誘し、その報酬として一五〇〇〇円を与えることとして同女の承諾を得、よって同女をして通称シー坊なる男性と共に被告人の指示するままに約二時間にわたって各種の性交姿態を実演せしめたというもの(三四条一項六号違反)。
〔判決要旨〕
「児童と継続的雇用関係にある者のみに限定すべきではないけれども、少なくとも、児童の年齢の確認を義務づけることが社会通念上相当と認められる程度の密接な結びつきを当該児童との聞に有する者に限定すべきであり、これを広く児童の行為を利用し得る地位にある者一般殊に児童との社会的関係が比較的薄い者にまで拡張することは相当でない」(注

六 考察

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思うに、すでに検討したように、児童福祉法六O条コ一項の規定は、児童虐待防止一O条二項の流れを汲むものであり、この児童虐待防上法では、「児童ヲ使用スル者」の「児童ヲ使用スル」とは「児童ヲ用フル」に対応するもの、すなわち、「児童ヲ使用スル」= 「児童ヲ用フル」であった。そして、「児童ヲ用フル」というのは、児童を利用するというほどのものであって、行為の支配従属性とか利用する関係の継続性までを含意するものではなかったと思われる。ただ、児童が「用いられる」のは、児童を虐待し易い特殊な事業ないし営業についてであることが規定されていたため、児童を用いる主体は、そのような事業等を行う者ということになり、その関係で、結果的に、「児童を使用する者」とは、そのような事業等を行う者をいうこととなっていたのである。そして、児童であるとは思わなかった旨の弁解を許すときは、取締りの実効性が上がらないということにもなりかねないところ、行為主体が児童を虐待し易い特殊な事業ないし営業を行う者、すなわち、業者に限られているのであってみれば、行政的な取締り目的を優先させることにもそれなりの合理性があり、したがって、児童でないと思っていたとしても原則的には処罰されるものとし、ただ、児童であることを知らなかったことに過失がないときだけは免責されるとしていたのである。
しかるに、児童福祉法は、児童の福祉を増進する目的から、児童虐待防止法の立法目的をさらに一歩前進させ、行為主体が一般人であるときも処罰し得るような規定形式をとった。そこで、ここにおいては、行政刑法的原理の適用を妥当とする前提は失われた。もっとも、「児童を用いるときはその福祉を害するおそれのある業務を行う者」に限りさえすれば、そのような者については、児童虐待防止法の下におけるのと同様に、行政的な取締り目的を優先させ、したがって、児童でないと思っていたとしても原則的に処罰されるものとしても不都合はない。しかし、前述したように、「児童を使用する者」とは「児童を用いるときはその福祉を害するおそれのある業務を行う者」をいう、と解釈することは文理解釈としてそもそも無理がある。
そこで、右以外に、禁止行為の客観的構成要件に該当する行為をした者のうち、その者については、それ以外の者と区別して、児童でないと思っていたとしても原則として処罰を相当とすることの合理性を説明することができ、かつ、「児童を使用する者」との文理からも無理のないものとして、「児童を使用する者」の意義を明らかにすることができないかが問題となる。
そして、結論からいえば、「児童を使用する者」とは、「禁止行為の客観的構成要件に該当する行為をしている際、児童を従属的立場に置いていると認められる者」(現実に児童の意思を抑制することがなくともよい)をいうと解するのが相当ではないかと思われる(前記学説のうちの?説に近い)。この解釈は、児童を従属的立場に置いていると認められない場合であっても禁止行為の客観的構成要件には該当することのあることを前提とする。実際、下級審の裁判例は、三四条七号(「他人に児童を引き渡す行為」)に関して、偶然知人から頼まれ児童を貸席業者に雇うよう斡旋紹介して引き渡した場合には「児童を使用する者」に当たらない(前記裁判例?)、としているところ、これは、右のような場合であっても、七号の「他人に児童を引き渡す行為」に該当することを当然の前提としているものと思われるし、六号については、自ら児童の淫行の相手方となるなどして知り合った児童に対し、児童の依頼を受けるなどして更に淫行の相手方を紹介して引き合わせる場合も「児童に淫行をさせる行為」に当たるとされ、右行為に当たるとするには、児童をして淫行行為をすることを容易ならしめてこれを助長し促進する事実上の影響力のある行為があれば足りるとされているのである。また、八号の「児童の養育をあっ旋する行為」については、「あっ旋する」
との文言自体から、児童を従属的立場に置くことを要しないことは明らかであると思われる。
そして、児童福祉法六〇条三項の規定の趣旨については、禁止行為の客観的構成要件に該当する行為をしている際、「児童を従属的立場に置いていると認められる場合については、児童でないと思っていたとしても、児童と対等の関係にあると認められるにすぎない場合とは異なり、なお犯罪として相当の可罰性が認められるから、児童であることの認識は故意の内容とはならないとし、ただ、児童でないと思っていたことについて過失がない場合には責任が阻却されるとしたもの(前述の法的性格についての三説のうちの?説)、と解することができるのではないかと思われる。
なお、児童を従属的立場に置いていると認められるかどうかの判断は、児童に対する禁止行為自体の本来の性質・態様のほか、児童との聞のこれまでの関係や今後に予定されている関係すべてを考慮すべきであり
たとえば、三四条一項六号の「児童に淫行をさせる行為」のうち、淫行の相手方を周旋するという態様の行為について考えるに、行為者が児童の単なる顔見知りにすぎない場合は格別(ただし、この場合でも児重であることを知っていれば処罰される)、行為者が児童の雇い主(労務の性質が児童の福祉を害するものであるか否かを間わない) である場合等には、禁止行為自体の本来の性質・態様は同じく周旋であり、相手を紹介するだけのことであっても、日頃の雇用等の関係が影響し、周旋行為も児童に対する支配の要素を帯びてきて、行為者は「児童を使用する者」に当たることになる

児童福祉法60条4項につき、年齢の認識又はその不知についての過失の有無をいかなる資料により判断するかを論じるもの

宮沢浩一「児童の年齢不知に関する過失の有無」別冊ジュリスト第56巻 社会保障判例百選
六〇条三項の法意がどうであれ、年齢の認識又はその不知についての過失の有無をいかなる資料により判断するかが、本稿の中心主題である。「過失がない」とされるには、「年齢確認のための通常とりうるあらゆる方法を考え、そのすべてを尽したけれども、その者が法定年齢に逃していないことが見破れなかった場合」に認められようが、従来の判例においては、無過失の認定には厳しい姿勢がうかがえる(松田運雄・九〇頁以下)。
風俗営業などに応募し、そこで働こうと希望する児童やその保護者は、雇い入れられることを望むあまり年齢を詐称することが多い。又、しばしば住所・氏名をいつわる。これらの者には、心的・物的に不安定な者が多く、人生の陰を歩いた者が少なくない。雇用主は、経験上、この種の女性や周旋人が申し述べる事項、殊に年齢の点について確実に調査し、実際の年齢を確認しなければ、児童福祉法違反の罪に関われるおそれの多いことを熟知しているはずであり、従って、一般人よりも重い注意義務を負わされている。
殆どの判例において指摘されているのは、児童の年齢を知らないことにつき過失がないというためには、単に本人の陳述または身体の発達状況等の外観的事情により一八歳以上であると判断しただけ
では不十分であって、そのほかに、客観的資料として、戸籍抄本、食糧通帳もしくは父兄等について正確な調査を講じ、もって児童の年齢を確認する措置を採るべきものとするが、個別的には、さらに次のような点が問題とされている

新版注解福祉犯罪 判例中心P87
三過失のないときの解釈
法第六〇条第一、二項違反の罪を犯した者が、「児市一を使用する者」であった場合でも、その者が当該児童の年齢を知らなかったことについて「過失がないとき」には処罰されない(法六〇条三項但
書)。どのような場合が「過失のないとき」にあたるかは、結局は具体的な側々のケースについて判断せざるを得ない問題であるが、一般的にいえば「年齢確認のための通常とりうるあらゆる方法を考え、そのすべてを尽したけれども、その者が法定年齢に達していないことが見破れなかった場合」を指すものといえよう。したがって、このようなすべてが尽されていない場合には、いまだ「過失のないとき」とは解されないこととなる。
この「過失のないとき」にあたるか否かが争われた裁判例をみると次のとおりであるが、総じて無過失の認定には厳しい姿勢がうかがえるようである。

ア児童を接客婦として雇い入れるにあたり、その実家を訪問し、直接、本人及びその両親について調査はしたが、その際同人等の差し出した実は他人の戸籍抄本を、同人等の陳述のみによってたやすく児童本人のものであると軽信した場合には、いまだ過失がないとはいえないとした事例。
イ児童本人の供述や、その身体の外観的発育状況ないし他と夫婦生活をしていたという点から同女を満一八歳以上と判断した場合には、年齢を知らなかったことについて過失がないとはいえないとした事例。
ウ児童本人が実姉の氏名を詐称し、その氏名に基づいて市役所戸籍係に問い合わせたところ、それが実在の人であり、生年月日も符合していたため、本人の言を信じたような場合には、いまだ過失がないといえないとした事例〔判例六三〕。
エ児童本人や仲介人の申立て及び児童の身体の発育状況等のみによって、児童を満一八歳以上と軽信した場合は、過失がないときにあたらないとした事例〔判例六四〕。
オ児童の生母から提示された戸籍謄本記載の生年月日より二年前の出生である旨を記載した偽りの医師の出生証明書を信じ、これを作成した医師が比較的被告人住居の近くにおいて開業していることを熟知し、容易に同医師についてその真偽を確かめ得る立場にあったのにかかわらず、その挙に出ず漫然とこれを以って公文書たる戸籍簿の記載を覆えし得る証明資料と思意したことは、過失がなかったときに該当するとは認め得ないとした事例〔判例六五〕。
カ児童を雇い入れる際に提出された転出証明書が、年齢欄等の数字が改ざんされたものであったとしても、これを相当の注意をもってみれば看破し得る状態にあるから、当該児童の年齢を知らなかったことに過失がなかったとはいえないとした事例〔判例六六〕