結局、最高裁では事件ごとに観念的競合説と併合罪説の両方を唱えているのですが、後付で、判例のいう「社会見解上一個の行為」を分析しています。
只木先生の本によれば、一罪になるというのは東洋の思想とか武士道に遡るそうです。西洋ではローマ法とかゲルマン法。
今度、書面で
観念的競合の本質は侍魂である。
と書いてみましょう。それで結論が変わることはないと思いますが、弁護人はそこまで勉強したという証拠に。
只木誠「罪数論の研究 補訂版」P15
このように西洋における罪数論・競合論の歴史は古くローマ法にまで遡ることができる。そこでは、集権的支配と統一的な法秩序の確立への過程において、フェーデの禁止や、公的秩序を維持するために刑事罰が科されるようになり、私法的・賠償的な刑法・刑罰から公法的な刑法・刑罰への移行という現象がみられる。すなわち、併科主義から吸収主義、そしてその折衷的性格を有する加重主義への推移の歴史である。「所謂罪数論というのは、併科主義または併科主義を原理とする加重主義の法制の下において観念的競合または連続犯をその併科または加重より救わんとする意図の下に発展せしめられた理論である(41)」、といわれる所以である。また、当初は、刑の併科の事実上の困難さや科刑の実際上の不都合さが吸収主義を生み出したのであったが、後には、犯罪や刑罰の本質についての理解に関連づけた競合論の自覚的な展開がなされ、これに基礎づけられた吸収主義、加重主義が登場したのであり、実在的競合に対して観念的競合を区別して、これを宥恕して扱うという観念的競合の一罪性の思想は、その現れであるといえよう。(41)小野・前掲註(5)三四一頁。西洋の刑法は併科主義から出発し、そこでは私法的・賠償的刑法観、威嚇的・保安的刑法観が背景をなしているのに対して、東洋の刑法は、古来一貫して「一の重きに従う」とする吸収主義に出発し、数罪において責任判断を総合して統一的に科刑する統一刑主義をもって一貫しており、これは公法的・道義的刑法観念に基づいていることを指摘する。唐律以来の東洋の競合論、わが国の武家社会の競合論及び明治維新後の競合論については、小野・前掲註(5)三四五頁。