児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者性交・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録記録被告事件弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 hp@okumura-tanaka-law.com)

性犯罪・福祉犯(監護者性交罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

「本判決において、性的意図という行為意思は、超過的内心傾向であることは否定されたが、「わいせつな行為」という実行行為の判断において一定の役割を果たすことは肯定されており、それが、一定の場合における単なる判断要素か、あるいは、実行行為判断における不可欠な要件なのかという違いに過ぎず、本書は、後者の立場を採用するものである(その限度で、改説する)。」  高橋則夫刑法各論[第3版]

 大法廷判決が出ると改説する学者が出てきた。

(2)わいせつな行為
「わいせつな行為」とは、本罪の保護法益を性的自由と解する以上、被害者の性的自由を侵害するに足りる行為をいうことになろう7.前述のように、性的感情それ自体は保護法益に含まれないことから、性的に未熟な幼児に対しても本罪は成立する。もっとも、判例は性的蓋恥心の存否を間題にしている。たとえば、新潟地判昭和63.8.26判時1299号152頁は、7歳の女児の乳部を撫でまわし、さらにスカートの中に手を差し入れて、パンツの上から臂部を撫でた事案につき、「性的に未熟で乳房も未発達であって男児のそれと異なるところはないとはいえ、同児は、女性としての自己を意識しており、被告人から乳部や臂部を触られて蓋恥心と嫌悪感を抱」いているとして、本罪の成立を認めた。
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その他、判例において「わいせつな行為」とされた事例として、たとえば、被害者の体に直接触れない場合として、婦女を無理矢理裸にして写真撮影をする行為(東京地判昭和62.9. 16判タ670号254頁:女性下着販売業の従業員として稼動させるという目的のために、婦女の全裸写真を強制的に撮影しようとした事案)、男女に性交を強要する行為(釧路地北見支判昭和53. 10.6判タ374号162頁:内縁関係にある男女を脅迫して裸体にさせ性交の姿態および動作をとらせた事案)などがある。

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しかし、最大判平成29. 11 .29刑集71巻9号467頁は、「行為者の性的意図を同罪の成立要件とする昭和45年判例の解釈は、……もはや維持しがたい。」として、判例変更を行った。
本判決は、甲が、インターネットを通じて知り合ったAから金を借りようとしたところ、金を貸すための条件として被害女児とわいせつな行為をしてこれを撮影し、その画像データを送信するように要求されたので、被害者(当時7歳)が13歳未満の女子であることを知りながら、被害者X女に対し、甲の陰部を触らせたり、口にくわえさせたり、X女の陰部を触ったりする等のわいせつな行為をした事案につき、性的意図を要件とする法律上の根拠がないこと、性的意図の有無で強要罪と強制わいせつ罪の法定刑の違いを説明できないこと、強制性交等罪には主観的事情を要しないことの整合性がないこと、ドイツやわが国の刑法改正から社会の意識の変化や被害の実態に対する社会の受け止め方が変化したことなどを踏まえて、性的意図を成立要件とする解釈を否定しつつ、他方で、次のように判示した。
すなわち、「もっとも、刑法176条にいうわいせつな行為と評価されるべき行為の中には、強姦罪に連なる行為のように、行為そのものが持つ性的性質が明確で、当該行為が行われた際の具体的状況等如何にかかわらず当然に性的な意味があると認められるため、直ちにわいせつな行為と評価できる行為がある一方、行為そのものが持つ性的性質が不明確で、当該行為が行われた際の具体的状況等をも考慮に入れなければ当該行為に性的な意味があるかどうかが評価し難いような行為もある。その上、同条の法定刑の重さに照らすと、性的な意味を帯びているとみられる行為の全てが同条にいうわいせつな行為として処罰に値すると評価すべきものではない。そして、いかなる行為に性的な意味があり、同条による処罰に値する行為とみるべきかは、規範的評価として、その時代の性的な被害に係る犯罪に対する社会の一般的な受け止め方を考慮しつつ客観的に判断されるべき事柄であると考えられる。[改行]そうすると、刑法176条にいうわいせつな行為に当たるか否かの判断を行うためには、行為そのものが持つ性的性質の有無及び程度を十分に踏まえた上で、事案によっては、当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考慮し、社会通念に照らし、その行為に性的な意味があるといえるか否かや、その性的な意味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断せざるを得ないことになる。したがって、そのような個別具体的な事情の一つとして、行為者の目的等の主観的事情を判断要素として考慮すべき場合があり得ることは否定し難い。しかし、そのような場合があるとしても、故意以外の行為者の性的意図を一律に強制わいせつ罪の成立要件とすることは相当でなく、昭和45年判例の解釈は変更されるべきである。[改行]そこで、本件についてみると、. .…・当該行為そのものが持つ性的性質が明確な行為であるから、その他の事情を考慮するまでもなく、性的な意味の強い行為として、客観的にわいせつな行為であることが明らかであり、強制わいせつ罪の成立を認めた第1審判決を是認した原判決の結論は相当である。
」と。
要するに、本判決は、性的意図を強制わいせつ罪の故意とは別個の主観的要件とすることを否定しただけで、「わいせつな行為」(実行行為)を判断する際の考盧要素であることを否定したわけではない。
本判決の判断構造は、3段階構造(A・B.C)になっている。
すなわち、A=行為に性的性質があるか否か(有無の問題)→B=行為に性的意味があるか否か(a=性的性質が明確な場合→性的な意味あり、b=性的性質が不明確な場合→具体的状況等を考慮して判断(性的意図も一つの判断資料)) (程度の問題)→C=行為に可罰的違法性があるか否か、という判断構造である。
これによれば、たとえば、女性が嘔吐する姿に性的興奮を覚える者が、女性の口に指を入れて嘔吐させる行為(青森地判平成18.3.l6LEX/DB28115159は暴行罪とした)については、Aがないとして不成立か、Bbとして性的意図があるので成立かが問題となろう。
学説の状況として、古くから、性的意図必要説と性的意図不要説が対立してきた。
以前は、強制わいせつ罪が傾向犯(あるいは目的犯)であることを根拠に必要説が通説であったが、本罪の保護法益は、公然わいせつ罪やわいせつ物頒布罪とは異なり、個人の性的自由であることから、被害者の性的自由を侵害し、そのことの認識があれば、強制わいせつ罪は成立するという不要説が通説となってきた'6.従来は、故意とは別個に性的意図が必要か否かという問題、すなわち、強制わいせつ罪は傾向犯(あるいは目的犯)であるか否かという、主観的違法要素をめぐる行為無価値論と結果無価値論の論争の一場面という基本問題が争われたのである。
しかし、近時は、強制わいせつ罪の構成要件の解釈および保護法益論の帰結として、性的意図という故意とは別個の主観的要素が必要か否かという論争に移行し、「わいせつな行為」は客観的に判断されるべきであるという根拠から、不要説が通説化してきた。
ここでは、「わいせつ」概念の定義(徒らに性慾を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的差恥心を害し善良な性的道義観念に反する)を前提に、これを行為者の性的意図として主観的構成要件要素に位置づけるか、「わいせつな行為」それ自体の性格づけとして客観的構成要件要素に位置づけるかという論争に変わったように思われる。
本書は、従来、強制わいせつ罪を傾向犯と位置づけ、性的意図を故意とは別個の主観的要件と位置づけていたが、この考え方は本判決によって完全に否定された。
しかし、本判決は、傾向犯「性」を依然として認めているように思われる。
すなわち、客観的要件自体の中に、その傾向が実現されるものであるということを完全には排除していないのである。
本書によれば、行為意思と実行行為・故意との関係が問題となり、行為意思が、実行行為を基礎づける場合と、故意の内容を基礎づける場合とがあり、本判決において、性的意図という行為意思は、超過的内心傾向であることは否定されたが、「わいせつな行為」という実行行為の判断において一定の役割を果たすことは肯定されており、それが、一定の場合における単なる判断要素か、あるいは、実行行為判断における不可欠な要件なのかという違いに過ぎず、本書は、後者の立場を採用するものである(その限度で、改説する)。