児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者性交・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録記録被告事件弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 hp@okumura-tanaka-law.com)

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わいせつな行為=客観的に「自己または他人の性欲を刺激興奮させまたは満足させる性的意味を有する」行為 松宮刑法各論講義第5版

「この点、客観的に相手方の性的差恥心を害する行為を要求する見解は、差恥心を感じない幼児等に対する本罪の成立を説明できないし、反対に、医学的に適切な処置であっても説明不足のために患者が性的差恥心を害された場合には、本罪ないし準強制わいせつ罪(178条)が成立することになりかねない。」ということで羞恥心説はだめ。
 現像不要なデジカメ等の普及で、低年齢に対する行為の客観証拠が出て来るようになって、乳幼児へのわいせつ行為の説明が求められるようになってきた。
 0歳4ヶ月に性的自由があるというには「性的自由」の説明も欲しいところだ。「性的自由を害されました」という供述は取れないからな

3「わいせつな行為」の意味-本罪は「傾向犯」か?
 本罪については、それは「傾向犯」か否か、 という問題がある。
「傾向犯」とは、行為者のもつ一定の主観的な傾向ないし性向が構成要件要素に付着しているか、あるいは、客観的要素とともにその意味を決定しているものをいう。
「わいせつな行為」の場合は、その行為は行為者のわいせつな傾向ないし性向の表現であることを要するのである。
というのも、 「わいせつ」 とは、一般に、 「徒に性欲を興奮または刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的差恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」からである(175条に関して、最判昭和26・5・10刑集5-6-1026)。
この場合に、 「徒に性欲を興奮または刺激」されるのは、行為者、被害者またはその他の関係者一共犯者を含む-である。
つまり、 「わいせつな行為」は、その定義上、その行為が自己または他人の性欲を刺激興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行われることを要することになる(最判昭和45・1・29刑集24-1-1頁、百選ⅡNo. 15は、これを「犯人の性欲」に限定していた)。
それゆえ、 「婦女を脅迫し裸にして撮影する行為であっても、 これが專らその婦女に報復し、 または、 これを侮辱し、虐待する目的に出たときは、強要罪その他の罪を構成するのは格別、強制わいせつの罪は成立しない」とされている。
しかし、その後最高裁は、 もっぱら金銭を得る目的で7歳の女児に男性器を触らせ口にくわえさせる等の行為をさせ、 これを撮影してその画像データを送信したという事案に関し、犯人の性欲を満足させるという性的意図を一律に要求することはできないと判示した(最大判平成29・11・29刑集71-9-467)。
 学説は、一般に、本罪にこのような特殊な主観的要素を要求することに批判的である(団藤・各論491頁、平野・概説180頁、大谷・各論lll頁以下、中森・各論58頁、西田・各論100頁、林・各論90頁、山口・各論108頁等)。
被害者の性的自由を侵害する点を主眼として考える以上、行為者の側の特殊な主観的要素を本罪の構成要件に含ませることは相当でないというのである(団藤・各論491頁注(三)参照。その結果として、客観的に相手方の性的差恥心を害する行為であれば足りるとする見解が多い)。
また、下級審でも、性欲を興奮または刺激せしめるという、 この性的「意図」を、 「自らを男性として制的に刺激、興奮させる性的意味を有した行為であること」の「認識」に還元したものがある(東京地判昭和62・9・16判時1294-143.その事案は、若い女性の弱みを掴んで下着ショップで働かせようとの目的で全裸を撮影しようとして未遂に終わったというものである)。
問題は、 自己または他人の性欲を刺激興奮させまたは満足させるという行為の客観的属性が一義的に明らかでない行為にある。
たとえば、一見すると親権者の懲戒行為のように思われたが、実際には、その親権者はサデイステイックな性的意図で未成年者に暴行を加えており、 したがってそれは、主としてあるいは同時に、 「自己の性欲を刺激興奮させまたは満足させる意図」のもとに行われていたという場合である。
本罪を「傾向犯」とする見解は、まさにこのような場合に犯罪の成否を分けるのは、行為者の性欲満足という意図でしかないと考えたのである。前掲最大判平成29・ll.29も、 このような場合に行為者の目的等を考慮する必要性を否定していない。
この点、客観的に相手方の性的差恥心を害する行為を要求する見解は、差恥心を感じない幼児等に対する本罪の成立を説明できないし、反対に、医学的に適切な処置であっても説明不足のために患者が性的差恥心を害された場合には、本罪ないし準強制わいせつ罪(178条)が成立することになりかねない。
なお、 7歳の幼児に対する本罪の成立を認めたものとして、新潟地判昭和63.8.26判時1299-152、患者が差恥を感じても臨床検査技師である被告人にわいせつ目的が認定されないとして178条の罪を否定したものに、京都地判平成18・12・18公刊物未登載がある)。
しかし、 「自己または他人の性欲を刺激興奮させまたは満足させる性的意味を有していた」ことが一義的に明らかであるような行為であれば、行為者の動機のいかんに関わらず、その行為は被害者の性的自由を害する客観的意味を持つであろうし、逆に、そのような意味を有する行為であることがほとんど明らかにならないのであれば、行為者の「意図」のみを理由に本罪の成立を認めるのは「客観主義」 「行為主義」に反するであろう。
その意味で、「わいせつな行為」とは、 まず、客観的に「自己または他人の性欲を刺激興奮させまたは満足させる性的意味を有する」行為であることが必要である。
ゆえに、二義的な行為の場合でも、行為の具体的な脈絡から客観的にこの意味が判明しない場合には、 「わいせつな行為」に当たらないと解するべきであろう。
その結果として、行為が「自己または他人の性欲を刺激興奮させまたは満足させる」意図という特殊な主観的要素は不要であると同時に、客観的にみて行為がそのような性的意味を有することは本罪の構成要件要素として、その認識は、本罪の故意そのものの内容として、必要であることになる。