児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

強制わいせつ罪で起訴されたら「わいせつ」の定義を問え

 性的意図不要にすると「わいせつ=いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。(最判昭26・5・10刑集5-6-1026)」という定義も変わるのに、大法廷が示せなかったので、こういうことになります。
 東京高裁とかも聞いたことがない定義を唱えだしている。
 乳房もむとか陰部弄ぶとか陰部に手指を挿入しとか接吻するとか伝統的なわいせつ行為についても、精液投げつける・用便中の姿態見つめる・脅迫して裸写真送らせるという新進のわいせつ行為にしても、わいせつの定義もできないのに「とりあえずわいせつだ」とされて懲役刑を宣告されちゃ納得できないだろう。

公訴事実第○について
(1) まず「わいせつ」の定義を示す必要がある。
 強制わいせつ罪におけるわいせつの定義は「徒に性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」とするのがおなじみの判例最判昭26・5・10刑集5-6-1026)であるところ、わいせつの定義自体に性欲要件が含まれている。犯人の性欲である。
 ところが、最高裁大法廷判決h29.11.29は、性的な行為を

①刑法176条にいうわいせつな行為と評価されるべき行為の中には,強姦罪に連なる行為のように,行為そのものが持つ性的性質が明確で,当該行為が行われた際の具体的状況等如何にかかわらず当然に性的な意味があると認められるため,直ちにわいせつな行為と評価できる行為(絶対的わいせつ行為)
②行為そのものが持つ性的性質が不明確で,当該行為が行われた際の具体的状況等をも考慮に入れなければ当該行為に性的な意味があるかどうかが評価し難いような行為(相対的わいせつ行為)

に二分して、①については性的意図不要、②については「性的な意味を帯びているとみられる行為の全てが同条にいうわいせつな行為として処罰に値すると評価すべきものではない。」「当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考慮し,社会通念に照らし,その行為に性的な意味があるといえるか否かや,その性的な意味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断せざるを得ない」「行為者の目的等の主観的事情を判断要素として考慮すべき場合があり得る」とした。大法廷事件の原判決(大阪高裁H28.10.27*1)が「わいせつ=被害者の性的自由を侵害する行為」としたのを修正したことは確かである。

 本件のように陰部さわるといういう行為は①に分類にされ、性的意図不要となる。それゆえ、本件の公訴事実第○にも性的意図を示す「わいせつ行為しようと企て」が記されていない。
 しかし、これでは従前の定義の犯人の「徒に性欲を興奮または刺激させ、」を満たさないから、わいせつ行為と評価できないことになる。
 さらには、大法廷判決は強制わいせつ罪の保護法益を専ら個人的法益(性的自由とか性的羞恥心)と理解するのであろうが、そうであれば、一般人基準による前記の定義は不適切であり、個人的法益からの定義が必要となる。(②の類型のわいせつ行為も包含するように工夫する必要がある)
 「わいせつ」とは強制わいせつ罪の構成要件であるから、わいせつ行為の定義は存在するはずであって、裁判所が定義を示せないと強制わいせつ罪は成立しないことになりうるので、判示を求める。

 参考までに、最新の東京高裁H30.1.30*2も強制わいせつ罪について「一般人が性的な意味があると評価するような行為を意思に反してされたならば,性的自由が侵害されたものと解すべきである。」という定義を試みているが、これまで聞いたことが無い説明となってる。
 さらに、馬渡(モウタイ)調査官の論稿*3によれば定義できないことを棚に上げて「わいせつの定義は困難」「行為の集積で判る」などと開き直っているが、それは罪刑法定主義に反するので、裁判所は定義を明確にする必要がある。
 被告人の行為は結果的には、わいせつ行為と評価されるかもしれない、前提として定義を明らかにする必要がある。


1

阪高裁H28.10.27
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail3?id=86760
(2)ところで,強制わいせつ罪の保護法益は被害者の性的自由と解され,同罪は被害者の性的自由を侵害する行為を処罰するものであり,客観的に被害者の性的自由を侵害する行為がなされ,行為者がその旨認識していれば,強制わいせつ罪が成立し,行為者の性的意図の有無は同罪の成立に影響を及ぼすものではないと解すべきである。その理由は,原判決も指摘するとおり,犯人の性欲を刺激興奮させ,または満足させるという性的意図の有無によって,被害者の性的自由が侵害されたか否かが左右されるとは考えられないし,このような犯人の性的意図が強制わいせつ罪の成立要件であると定めた規定はなく,同罪の成立にこのような特別な主観的要件を要求する実質的な根拠は存在しないと考えられるからである。
 そうすると,本件において,被告人の目的がいかなるものであったにせよ,被告人の行為が被害女児の性的自由を侵害する行為であることは明らかであり,被告人も自己の行為がそういう行為であることは十分に認識していたと認められるから,強制わいせつ罪が成立することは明白である。
 以上によれば,強制わいせつ罪の成立について犯人が性的意図を有する必要はないから,被告人に性的意図が認められないにしても,被告人には強制わいせつ罪が成立するとした原判決の判断及び法令解釈は相当というべきである。当裁判所も,刑法176条について,原審と同様の解釈をとるものであり,最高裁判例(最高裁昭和45年1月29日第1小法廷判決・刑集24巻1号1頁)の判断基準を現時点において維持するのは相当ではないと考える。
(3)所論は,強制わいせつ罪の保護法益を純粋に個人の性的自由とみて,同罪の成立に犯人の性的意図を要しないと解釈した場合,①わいせつ行為の範囲は,被害者の性的意思決定の自由が害される行為として被害者個人によって主観的に定められることになり,極めて不明確となる,②性的自由を観念できない乳幼児に対する強制わいせつ罪が成立しないことになり,その保護に欠ける,などと主張する。
 しかしながら,前記のように解釈したとしても,強制わいせつ罪におけるわいせつな行為の該当性を検討するに当たっては,被害者の性的自由を侵害する行為であるか否かを客観的に判断すべきであるから,所論①のように処罰範囲が不明確になるとはいえない。また,性的な事柄についての判断能力を有しない乳幼児にも保護されるべき性的自由は当然認められるのであり,その点で既に所論②は失当である上,犯人の性的意図の要否と乳幼児に対する強制わいせつ罪の成否とは特段関連する問題とは考えられないから,保護法益を純粋に性的自由とみて性的意図を不要と解釈すると乳幼児の保護に欠ける事態になるとの批判は当たらない。
 その他,強制わいせつ罪の成立要件について縷々主張する所論は,いずれも失当であって採用することはできない。
 3 したがって,被告人に強制わいせつ罪が成立するとして当該法条を適用した原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがあるとはいえない。法令適用の誤りをいう論旨は理由がない。また,強制わいせつ罪の成立には犯人の性的意図があることを必要としないと解されるのであるから,原判示第1の1の犯罪事実(罪となるべき事実)に性的意図を記載しなかった原判決に理由不備の違法があるとはいえない。理由不備をいう論旨も理由がない。

2

裁判年月日  平成30年 1月30日  裁判所名  東京高裁  裁判区分  判決
事件番号  平28(う)1687号
事件名  保護責任者遺棄致傷、強制わいせつ、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律違反、強制わいせつ(変更後の訴因わいせつ誘拐、強制わいせつ)、殺人、強制わいせつ致傷被告事件
裁判結果  控訴棄却  文献番号  2018WLJPCA01306002
第3  弁護人の法令適用の誤りの主張について
 1  低年齢児に対する強制わいせつ罪,強制わいせつ致傷罪及びわいせつ目的誘拐罪(以下,単に「強制わいせつ罪等」ともいう。)の成否について
   (1)  論旨は,6歳未満の児童に対して強制わいせつ罪等は成立しないのに,強制わいせつ罪等の成立を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある,というのである。
   (2)  刑法は,強制わいせつ罪等の対象について年齢の下限を設けておらず,むしろ13歳未満の児童に対しては保護を厚くしており,法文上,6歳未満の児童も強制わいせつ罪の対象となることは明らかである。
 所論は,①低年齢児に対するわいせつ行為では一般人の性欲を興奮,刺激させない,②低年齢児には性的羞恥心がないので,法益侵害がないなどと主張する。
 しかし,①については,6歳未満の低年齢児でも殊更に全裸又は下半身を裸にさせて性器を露出させてこれを撮影するならば,一般人の性欲を興奮,刺激させるもの,言い換えれば,一般人が性的な意味のある行為であると評価するものと解されるから,強制わいせつ行為に該当する。また,②については,強制わいせつ罪の保護法益は,個人の性的自由であると解されるが,所論のように性的羞恥心のみを重視するのは相当ではなく,一般人が性的な意味があると評価するような行為を意思に反してされたならば,性的自由が侵害されたものと解すべきである。そして,ここで意思に反しないとは,その意味を理解して自由な選択によりその行為を拒否していない場合をいうものと解されるから,そのような意味を理解しない乳幼児については,そもそもそのような意思に反しない状況は想定できない。このことは,精神の障害により性的意味を理解できない者に対しても準強制わいせつ罪(刑法178条1項)が成立することによっても明らかである。本件では,生後4か月から5歳までの乳幼児に対し,性器を露出させるなどして,これを撮影したものであるから,同人らの性的自由を侵害したものと認められる。
 その余の主張を含め,所論は理由がなく,いずれも採用できない。

3

ジュリスト1517号
時の判例
強制わいせつ罪の成立と行為者の性的意図の要否
最高裁平成29年11月29日大法廷判決
最高裁判所調査官 馬渡香津子
V.「わいせつな行為」の定義,判断方法
1.「わいせつな行為」概念の重要性
 性的意図が強制わいせつ罪の成立要件でないとすれば,「わいせつな行為」に該当するか否かが強制わいせつ罪の成否を決する上で更に重要となり,「わいせつな行為」該当性の判断に際して,行為者の主観を一切考慮してはならないのかどうかを含め,これをどのように判断し,その処罰範囲を明確化するのかが問題となる。また,強制わいせつ致傷罪は,裁判員裁判対象事件であることも考えれば,「わいせつな行為」の判断基準が明確であることが望ましい。
2.定義
(1)判例,学説の状況
 強制わいせつ罪にいう「わいせつな行為」の定義を明らかにした最高裁判例はない。
 他方,「わいせつ」という用語は,刑法174条(公然わいせつ),175条(わいせつ物頒布罪等)にも使用されており,最一小判昭和26・5・10刑集5巻6号1026頁は,刑法175条所定のわいせつ文書に該当するかという点に関し,「徒に性慾を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的差恥心を害し善良な性的道義観念に反するものと認められる」との理由でわいせつ文書該当性を認めているところ(最大判昭和32・3・13刑集ll巻3号997頁〔チャタレー事件〕も,同条の解釈を示すに際して,その定義を採用している),名古屋高金沢支判昭和36・5・2下刑集3巻5=6号399頁が,強制わいせつ罪の「わいせつ」についても,これらの判例と同内容を判示したことから,多くの学説において,これが刑法176条のわいせつの定義を示したものとして引用されるようになった(大塚ほか編・前掲67頁等)。これに対し,学説の中には,刑法174条,175条にいう「わいせつ」と刑法176条の「わいせつ」とでは,保護法益を異にする以上,同一に解すべきではないとして,別の定義を試みているものも多くある(例えば,「姦淫以外の性的な行為」平野龍一・刑法概説〔第4版)180頁,「性的な意味を有する行為,すなわち,本人の性的差恥心の対象となるような行為」山口厚・刑法各論〔第2版]106頁,「被害者の性的自由を侵害するに足りる行為」高橋則夫・刑法各論〔第2版〕124頁,「性的性質を有する一定の重大な侵襲」佐藤・前掲62頁等)。
(2)検討
 そもそも,「わいせつな行為」という言葉は,一般常識的な言葉として通用していて,一般的な社会通念に照らせば,ある程度のイメージを具体的に持てる言葉といえる。そして,「わいせつな行為」を過不足なく別の言葉でわかりやすく表現することには困難を伴うだけでなく,別の言葉で定義づけた場合に,かえって誤解を生じさせるなどして解釈上の混乱を招きかねないおそれもある。また,「わいせつな行為」を定義したからといって,それによって,「わいせつな行為」に該当するか否かを直ちに判断できるものでもなく,結局,個々の事例の積み重ねを通じて判断されていくべき事柄といえ,これまでも実務上,多くの事例判断が積み重ねられ,それらの集積から,ある程度の外延がうかがわれるところでもある(具体的事例については,大塚ほか編・前掲67頁以下等参照)。
 そうであるとすると,いわゆる規範的構成要件である「わいせつな行為」該当性を安定的に解釈していくためには,これをどのように定義づけるかよりも,どのような判断要素をどのような判断基準で考慮していくべきなのかという判断方法こそが重要であると考えられる。
 本判決が,「わいせつな行為」の定義そのものには言及していないのは,このようなことが考えられたためと思われる。もっとも,本判決は,その判示内容からすれば,上記名古屋高金沢支判の示した定義を採用していないし,原判決の示す「性的自由を侵害する行為」という定義も採用していないことは明らかと思われる(なお,実務上,「わいせつな行為」該当性を判断する具体的場面においては,従来の判例・裁判例で示されてきた事例判断の積み重ねを踏まえて,「わいせつな行為」の外延をさぐりつつ判断していかなければならないこと自体は,本判決も当然の前提としているものと思われる)。