児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者性交・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録記録被告事件弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 hp@okumura-tanaka-law.com)

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控訴審における即決裁判の活用と妙味 横川敏雄「刑事控訴審の実際」1978日本評論社

 奥村の事件では即決判決は経験ありません。
 札幌でしかやってないというのは、無理があるんじゃないかな。

横川敏雄「刑事控訴審の実際」1978日本評論社
第5 控訴審における即決裁判の活用と妙味
第五章控訴審における即決裁判の活用と妙味
十数年来一審では、簡単な事件について即決で(つまり結審後直ちに、あるい
は暫くして)判決を言い渡すことは、ら珍らしいことではない。
しかし今なお控訴審では、即決裁判は、例外的なものとされているようである
(第一章一の統計によれば、三・五パーセントにも満たない)。
まして私が東京高裁の裁判長になった六年前には、即決裁判に対する控訴関係
者の関心は薄く、一部には「どうしてそんなに裁判を急ぐのか」という疑問さ
えあったような気がする。
ではなぜそのような状況のもとで、敢て即決裁判に踏み切り、今日までつづけ
てきたのか。
この理由および実施の結果を報告するのは、その口火を切った私の義務である
と思われる。
一即決裁判をするに至った動機と経緯。
私は高裁にきて間もなく、ある事件の記録を検討するうち、こんな事件につい
ては、手控えを作るひまに判決が書けるのではないかと思った。
というのは、被告人に前科が数犯あるほか、この事件は、全然事実に争いがな
く、他の共犯者二人は実刑を受けて確定している、趣意書には被告人の家庭の
事情などがるる記されているが、原判決はこれらの事情も踏まえたうえで量刑
したと認められるものだったからである。
そこで私は、何年か高裁の経験のある両陪席に、その事件に関連し高裁では即
決することはないのか」とたずねてみた。
これに対し二人は、即座に自分達にはそんな経験は全くないし、他の部でそん
なことが行なわれているときいたこともない」と答えた。
しかし私は、この答に満足できなかったので、そのとき考えていたことについ
てさらにあれこれ問いただした。
「するには、法廷で心証をとりながらその間に結論を出し判決の構想を練らな
ければならない。これにくらべると、あらかしめ資料を検討することができる
控訴審では、即決もはるかにやりやすいのではないか。」とか、「これまで控
訴審で即決しなたのは、一審で集中審理方式が実施される以前に確立された古
い慣行にかっ従っているだけのことではないか。」とか等。
すると、陪席の一人が苦笑しながら実は自分は、問題がないと思われる事件に
ついては、記録を読むさい同時に判決も書いてしまう。そしてその結論が合議
の結果に一致すれば二、三日たってから裁判長に差し出す。裁判長が即決しよ
うというのなら自分に異存はない。」といい出し、他の陪席も直ちに賛成し
た。
そこで、記録をよんだうえで誰がみても問題がないように思われる事件につい
ては、判決原案を準備してもらうことにした。
ここで「問題がない」という意味は、被告人に不利益な結論になる場合とは限
らない。
なぜなら窃盗、横領、詐欺などの財産犯で、被告人に前科がなく示談ができれ
ば執行猶予が相当と考えられるような事件について、原判決後に示談のできた
ことが趣意書に明記されているような場合もあるからである。
正直なところ数ある控訴事件の中には、単に刑の確定をおくらせるため控訴
たと思われるもの、原判決と趣意書をよんだだけでも控訴理由がないと判明す
るものなど、いわば上訴権を濫用したと考えられるものが稀れでない。
また趣意書をみると、いかにも事実誤認や量刑不当がありそうにみえるが、記
録をよむと、かような点がほとんど問題にならない事件もある。
通常裁判官は、記録をよむさいメモをとるが、判決を書くときには、メモだけ
ですまされないことが多い。
したがって普通の方法によれば、結局主任裁判官は二度記録をよむことになる
わけである。
この点だけを考えても、ある程度即決裁判の意義は理解されると思われる。
しかし、その真の価値は、後に説くとおり、別な点にあることを忘れてはなら
ない。
二 即決に欠くことのできない前提と即決裁判の方法。
総ての事件について事前合議が十分行なわれることによって初めて即決裁判も
可能になるといってもいいすぎではない。
一言でいえば、事前合議は、即決に欠くことのできない前提であり、即決裁判
の生みの親であるとも考えられるのである。
私の部で行なってきた即決をするまでの経過をやや具体的に説明すると、事前
合議のさい何ら問題のないことが判明し二人の意見が完全に一致したときは、
裁判長が主任裁判官に判決原案が準備されているかどうかを確める。
そのあと裁判長は、結審まぎわにもう一度秘かに両陪席の意見を徴し、即決に
異論がなければ結審のうえ、10分ないし15分休廷してから判決を言い渡す
旨告知する(ただし事案によっては、午前に結審し午後に言い渡すこともあ
る)、休廷中さらに正式に合議し、判決原案に適宜手を加えてから判決を言い
渡すという順序をとるわけである。
ただかような方法をとるについては、万一にも被告人の不利益にならないよう
に、また関係者に無用な不安を与えないように特に配慮することとした。
その一は、判決原案ができていてもこれに捉われず、いつでも必要に応じて書
き改めるという柔軟な態度で法廷にのぞみ、予想外の事態が発生したときは、
むりに即決などしないこと、
その二は、慎重審議を忘れた片づけ主義などと誤解されないように配慮するこ
とである。
このため当初のうちは、即決は、刹当事者に異議がないかどうかを確認したう
えで初めてすることにしていた。
しかし漸時運用に改善を加え、一、二年たってからは、逆に積極的に異議が申
立てられないかぎり即決することにした。
改善された点は、
1およそどんな場合に異議があるといわれるか分ってきたので、これをあらか
じめ察知して無理な即決をしないようにしたこと、
2何ら証拠の取調請求がない場合でも、裁判長が必ず簡単な被告人質問を試
み、時には陪席裁判官も補充質問をして、裁くものと裁かれるものとの心の触
れあいをはかるようにしたこと、
3そして状況によっては、問答の過程で被告人に対し控訴の理由のないことを
示唆し、それとなくその覚悟を促したこと、
4さらに被告人質問等を通じて事件の関係者に裁判官が記録を細かく検討し深
く考えていることをほのめかし、彼らに心理的動揺・不安を与えないようにし
たこと等である。
一言でいえば機の熟するのを待ち、あるいは盛りあがったふんいきの中で、で
きるだけ自然な形ですするよう心がけたのである。
このように事を運ぶには、ある程度の演出が必要であると感ぜられることもな
いではない。
しかしそれは、意識的・作為的・技術的にすべきことではない。
むしろそのような意識が働くと、かえって芝居がかったものになり、被告人ら
の反発を招くおそれがある。
結局は裁判官が豊かな裁判経験とその持ち味を基礎に、被告人やその家族に対
する暖かい配慮を忘れずに、ジャスティスの実現につとめる過程で自然に判決
の機が熟し、ふんいきが盛りあがるようにするのが望ましいということになる
であろう。
三 即決裁判の成果と妙味。
右のようにして私の部では、自然に即決の割合がふえ、最近では処理件数の約
二〇パーセントに達し、しかも上告率は他の場合よりはるかに低いという結果
になっている。
試みに昭和五一年一月一日から同年一二月末までのわが部の処理状況をみる
と、判決総数二二〇件、うち即決によるものは六六件で三〇パーセント、その
結果は棄却が五九件、破棄が七件(量刑不当によるもの四件、法令適用の誤に
よるもの三件)ということになっている。
また即決裁判に対する上告率は二〇パーセントで、通常の上告率三二パーセン
ト前後(司法統計年報参照)にくらべ、はるかに低い(ちなみに右期間中のわ
が部の全判決に対する上告は七二件でその率は三二・七パーセントである)。
事柄の性質上一部の数字だけをあげるにとどめたが、その前後の状況もほぼ右
と同じで、即決裁判は三〇パーセント前後、これに対する上告率は二〇パーセ
ント前後である。
過去約五年間の経験に徴すると、即決の場合には時折り法廷で被告人から「上
訴権を放棄したい」とか、「直ちに服罪したい」とかいわれることがあるが、
即決によらない場合には、かようなことは一度もなかった。
いずれも思いがけない興味深い現象であるが、恐らくこれは、対象となる事案
が比較的簡明・軽微なものであったこと、盛りあがつたふんいきの中で言い渡
されること等によるのであろう。
これまでの即決裁判の中で特に私の印象に残っているのは、ある地方から出て
きた保釈中の被告人に対し、その家族・知人などが多数傍聴している状況下に
即決で原判決を破棄し、執行猶予を付する旨の判決を言い渡したとき一瞬法廷
に劇的なふんいきが漂ったこと、前科数犯の勾留中の被告人に対し、情状証人
の取調や被告人質問をすませたあと即決で控訴棄却を言い渡しこれを簡単な説
示で結んだとき、被告人がこれでさっばりしたというよぅな表情をみせて深々
と頭をたれ、直ちに服罪したこと等である。
即決裁判は、裁判官にとっても、書記官にとっても事務の簡素化・能率化に役
立ち、きわめて有意義であるが、私はむしろ刑事裁判そのものの在り方、特に
血のかよった生きた裁判をめざすという観点から軽視できないと考えている。
率直にいうと、私は数年来生きた裁判の必要ということを事あるごとに痛感し
ている。
「生きた裁判」というと、「死んだ裁判」という反語が連想され語弊があるか
も知れないが、私の意見は、生き生きした説得力のある裁判というほどの意味
である。
いわばこれは、真のジャスティスの実現(第四章二(1)参照)といってもよ
く、このためには、審理・判決の全過程でタイミングをあやまらないこと、問
題の単なる理論的・論理的究明に終らないこと等が要求されると思われる