児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者性交・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録記録被告事件弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 hp@okumura-tanaka-law.com)

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「わいせつな行為」とは、「性的性質を有する一定の重大な侵襲」である。佐藤陽子「強制わいせつ罪におけるわいせつ概念について」 法律時報2016.10

「わいせつな行為」とは、「性的性質を有する一定の重大な侵襲」である。佐藤陽子「強制わいせつ罪におけるわいせつ概念について」 法律時報2016.10
 「わいせつとは、いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。(最判昭26・5・10刑集5-6-1026)」という定義を捨てろというのに、定義づけできてない。
 わいせつ意図と治療意図が併存するときには、準強制わいせつ罪にはならないわけで、わいせつ医師とかわいせつ整体師に甘いと思います。
 最高裁が求めているのは、今強制わいせつ罪で処罰されている行為がそのまま処罰される定義だと思います。

佐藤陽子「強制わいせつ罪におけるわいせつ概念について」 法律時報2016.10
小特集 性犯罪処罰の基本問題 
本稿のように、性的意図をわいせつな行為の一考慮要素とすれば、①治療行為や②フェティシズム行為において、性的意図がどのような影響を与えるかが問題になろう。
①我が国の裁判例においては、治療行為についても性的意図を重視する傾向にあるように思われる45)。しかし、治療行為は社会通念上、およそ性的性質を有さないであろう。同じ陰部に指を挿入する行為であっても、婦人科医が診察行為としてそれを行う場合はもはや社会的評価が異なるといえる。さもなければ、客観的に全く正当な治療行為46)をおこなった医師に犯罪が成立しうることになるだろう。確かに、仮に行為者の性的意図が被害者に明らかになれば、被害者の蓋恥心が著しく害されることになるだろうが47)、内心に性的意図が隠れていることだけを理由として、客観的に正当な治療行為を処罰することは不当であろう48)。
②性的意図だけで処罰できないという点では、フェティシズム行為も同様であろう。たとえば、女性が嘔吐する姿に性的興奮を覚える者が、女性の口に指を入れて嘔吐させる行為49)は、社会通念上ほとんど性的性質を有さない行為であるため、単に行為者に性的意図があったことを理由に、176条で処罰すべきではないだろう50)。
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4 おわりに
本稿では、176条の保護法益に鑑み、176条における「わいせつな行為」の新たな定義付けを試みた。本稿の理解によれば、「わいせつな行為」とは、「性的性質を有する一定の重大な侵襲」である。
また、「性的性質を有する一定の重大な侵襲」か否かは、全事情を評価の基礎とし、一般人の通常の感覚をその評価の基準とする。全事情の中でも、(i)関係する部位や(ii)接触の有無・方法は、評価の基礎として重要であり、(ⅲ)継続性、(ⅳ)強度も一定の重要性を有する。他方、(v)性的意図、(vi)その他の状況は考慮に値するものの、(i)~(Ⅳ)の要素よりは幾分劣った重要性を有するといえよう。これらのものが総合的に考慮され、わいせつな行為の有無は導かれるべきである56)。

42) BGH NStZRR 08,339を参照。なお、松山地判平成17年12月12日LEX/DB28115029は、肛門にバイブレーターを挿入するなどSM行為を強いた事案を暴行罪としている。
46) ここでいう「全く正当な治療行為」には、治療行為自体は正当だが、その際に裸の写真を秘密裏に撮影したり、ひそかに自慰行為に興じるなどした場合は含まれない。全体的に観察すれば、それはもはや正当な治療行為ではないからである(ただし、平成23年5月26日LEX/DB25471443は本稿の見解とは異なりうる)。
48)佐伯仁志「強制猥褻罪における猥褻概念」判夕708号(1989年) 66頁を参照。
50) ただし、フェティシズム行為自体の性的性質および重大性は、時代によって変わりうる。たとえば、イギリスでは、靴フェチが女性の足から靴を脱がす行為について、かつてはおよそ性的ではありえないものとされていたものを、その後、性的になりうるものと解した(仲道祐樹『イギリスにおける性犯罪規定」刑ジャ45号(2015年) 28頁注107を参照)。
56) 具体的な適用例については、樋口亮介・本小特集88頁を参照。

参考文献も引用しておきます

佐伯仁志「強制猥褻罪における猥褻概念」判例タイムズ 第40巻29号
必要説には以下のような根拠が考えられるが、いずれも充分なものではないと思われる。
第一に、強制猥褻罪を自己を性的に堕落させる罪と考える者はいないであろう。
第二に、強制猥褻罪は社会的風俗に対する罪としての性格を有しているから性的意図が必要であるという見解もあるが、なぜ社会的風俗に対する罪だと行為者の性的意図が必要になるのか明らかでないし、社会的風俗に対する罪である猥褻物頒布罪ではこのような性的意図は要求されていない。
第三に、保護法益を性的自由と解しながら、強制猥褻罪の成立には法益侵害に加えて行為者の性的意図が必要であるとする(17)見解があるが、強制猥褻罪に限ってこのような「書かれていない構成要件要素」が必要な理由が明らかでない。この見解は、治療目的や懲戒目的の場合を猥褻行為から排除しよういう意図を{18)もつのかもしれない。しかし、客観的に治療行為、懲戒行為とみられる行為の違法性が、行為者の意図によって左右されるのは妥当でない。
もし左右されるという立場に立ったとしても、正当化事由の主観的正当化要素として構成すれば足り、強制猥褻罪一般について性的意図を要求する理由とはならないであろう。
第四に、性的意図の存在は被害者の性的羞恥心の侵害に影響を(19)与えるという見解がある。
たしかに、強制猥褻罪では行為者に性的意図のあることが通常であるし、その性的意図が被害者の性的羞恥心に影響を与えることも有り得るであろう。
しかし、性的意図の存在は限界事例においては非常に微妙な問題であり、犯罪の成否を分ける基準としては適当でないし、客観的に性的自由を侵害する行為であれば、このような意図を重ねて要求する必要はないと思われる

(18) 青柳文雄「傾向犯について」法学研究三六巻四号(昭38) 二、八頁は、このような特殊な場合にのみ、強制猥褻罪は傾向犯であるとする。
(19)西原•前掲(注1)三七頁参照。
西原教授が例として挙げられる、性的意図のないことが外部的に明らかで被害者の性的羞恥心を侵害しないような行為は、当該具体的事情の下で客観的に猥褻行為でないと言ってよいように思われる。

青柳文雄「傾向犯について」法学研究三六巻四号(昭38) P2
傾向犯の例として一般に引用されるのは猥褻罪の例であって、医師が婦人の診察に当ってその主観的な性的傾向が行為者を行為へと導いた場合にはじめて猥褻罪を構成すると論じられる。しかし、このような特殊の場合にだけ猥褻罪が傾向犯になるのであって一般の差恥感情を害することを処罰する猥褻罪全部が傾向犯なのではない

西原春夫 強制猥褻罪における主観的要素 刑法判例百選Ⅱ各論第二版 36頁 1984年4月発行
ところが、最近にいたり、違法性をできるかぎり法益侵害性に近づけょぅとする試みがふたたび登場し、それにつれて、主観的違法要素を否定ないし制限的にのみ認めようとする見解が生じた(中山・刑法総論二三九頁以下、内田・刑法I総論一六六頁。平野・刑法総論も全体としてそのような方向を持つ)。
このような見解によれば、医師が女性患者の診断.治療中に猥褻の意図を持ったとしても、行為が診断.治療としての外形を保っているかぎりは猥褻行為にならないとされる。
通説によれば、その意図ないし内心傾向が証明された場合には、やはり猥褻行為の存在を肯定することとなろう。
このような刑法総論の根本にかかわる問題をここで簡単に解決してしまおうとは思わないが(私見につき、西原・刑法総論―四六頁以下参照)、少なくとも各論の問題としてまず明らかにしなければならないのは、通説により強制猥褻罪が目的犯ないし傾向犯とされる理由いかんである。
被害者の性的自由の侵害という法益侵害性に加えて、行為者側の破廉恥な欲望の満足という側面をプラスし、両者あいまって刑法上の違法性を構成するというのが、おそらく通常考えられている理由であると思う。
しかし、この考え方によれば、法益侵害性があっても破廉恥な動機・目的・内心傾向がない場合には処罰されないこととなるが、はたしてそのような結論を維持すべきかどうか疑問である。
被害者の側からみて、性的自由を侵害される何らの理由がないのにそれが侵害されたとしたら、そこには端的に、刑法によって保護さるべき利益の侵害が認められるのではなかろうか。
行為者の目的や内心傾向がどのようであるかは、その際問題となってこないはずである。
もっとも、法益侵害性は同じなのに行為者が一定の目的のもとに行為した場合にのみ処罰する規定は、他にも、たとえば営利誘拐罪に関する刑法ニニ五条などがある。
しかし、この規定は、行為者が営利、猥褻、結婚の目的を持つような場合には、一般に被拐取者の行動の自由の侵害の度合いが強くなるおそれがあるから、そのような危険性の点に着眼してその種の目的のある場合をとくにとり出して処罰の対象としたものと考えられる。
ところが、強制猥褻罪の場合には、少なくとも猥褻の目的あるいは内心傾向を要求する理由を右のように解する立場に立っと、そのような目的あるいは内心傾向があることが性的自由をより害するということにはならない。
このようにみてくると、強制猥褻罪について猥褻の目的あるいは内心傾向を要求する理由を右のように解するのは、適切でないように思われてくる。
それでは、そのような王観的要素は必要でないのかというと、そこまで行ってしまうことにはやはり問題がある。
なぜなら、行為者に猥褻の目的あるいは内心傾向があることが被害者にとって明らかな場合には、たとい診断.治療・懲戒というような合法的な外形をとっていたとしても、その羞恥心はそのような外形のない場合と同様に著しく害されることになるし、ひいて性的自由の侵害が考えられるからである。
逆に、行為の外形上行為者に猥褻の目的あるいは内心傾向がないことが明らかな場合には、それがある場合とくらべ、同じ行為に対しても羞恥心の著しい侵害を感ずることはないであろう。
このように、強制猥褻罪における主観的違法要素は行為者の動機の反倫理性を基礎づけるものと解すべきではなく、法益侵害性を決定する要素として理解すべきであると考える。
このような立場によれば、もし猥褻の目的あるいは内心傾向があるとしたら当然性的自由の侵害が考えられるような外部的行為の行われた事例においては、そのような目的あるいは内心傾向がない場合にもそのないことが被害者に明らかでないかぎり法益侵害性は失われないことになり、したがって違法性は否定されないことになる。
本件のような場合も同様であって、その意味で本判決の多数意見は結論において相当でなく、一、二審判決および少数意見は理由において相当でない。