児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

強制わいせつ罪傾向犯の学説収集中

 不要説の判例の上告理由に使おうと思って。

団藤重光「刑法綱要 総論 改訂版」(昭和54年 創文社)p118
メツガーは、主観的違法要素が考えられるものとして、傾向犯と表現犯を挙げている。傾向犯というのは行為者の主観的傾向の表出とみられる行為が罪となるもので、その傾向があるばあいにかぎって成立する(20)。表現犯は行為者の心理的過程または状態の表出とみられる行為が罪とされるもので、その心理的側面を客観的側面と比較しなければ
その成否が判断されえない。これらはいずれも、行為者人格から切り離して、行為を行為としてみたばあいの評価に関係する。したがって、これらは責任要素ではなく、少くとも責任要素である前にまず違法要素である。
(20) 傾向犯の例としては、強制猥褻罪が挙げられる。純粋に客観的には同じ行為であっても、医療目的でおこなわれるならば猥褻性をもたないことになる。



泉二新熊「日本刑法論 下巻(各論)第35版」(大正13年 有斐閣)p396
猥褻行為トハ淫欲ヲ興奮シ又ハ之ヲ満足セシムル目的ニ出デタル行為ニシテ覚知者ニ羞恥ノ観念ヲ生セシムルモノヲ謂ヒ

吉田常次郎「日本刑法総論各論s18」 p368
猥褻行為トハ淫欲ヲ興奮シ又ハ之ヲ満足セシムル行為ニシテ

大竹武七郎刑法綱要増補版s19 p456
猥褻ノ行爲トハ性慾ヲ昂奮、満足セシムル行為ニシテ人ヲシテ羞恥ノ感ヲ起サシムル行爲ヲイフ。異性間同性間男性叉ハ女性単独ニテ之ヲ為スコトアルベシ。其行爲ノ狼藝ナリャ否ヤハ其時二於ケル普通一般ノ思想感情ヲ標準トシテ決スベキモノナリ。

三原憲三刑法各論第2版p72
本罪は、主観的要件として行為者自身の性欲を興奮・刺激させ、(4)または満足させるという特別の性的意図を必要とする傾向犯(主観的違法要素)と解されている。

大塚仁 刑法概説(各論)第三版p98 
「わいせつな行為」の意味について、判例は、「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、を害し、善良な性的道義観念に反すること」と解している(名古屋高裁金沢支判昭36.5.2)。すなわち、主観的には、性欲を興奮または刺激させようとする意図のもとに、客観的には、性欲を興奮・刺激させ、且つ普通人の正常な性的蓋恥心一般人の正常な性的蓋恥心を害し、善良な性的道徳観念に反する行為がなされることを要する(瀧川竹内p91)

大塚・注解増補第2版
p134
傾向犯とは,行為が行為者の主観的傾向の表現として発現するものであり, さような傾向の存在する場合にのみ構成要件該当性がみとめられる.たとえば,公然猥褻罪(174条〕,強制猥褻罪(176条)などは,行為者の性的衝動を刺激し,または,満足させる傾向のもとに行なわれるときにのみ犯罪となるのであり,外見的には同様にみられる行為であっても,診察や治療の目的で行なわれるものなどは含まれない.
p160
メツガーによれば, 目的犯における目的のほかに,傾向犯における行為者の主観的傾向,表現犯における行為者の心理的経過または状態も,主観的違法要素であるとされ, さらに,最近の目的的行為論の立場においては,故意や過失も,主観的違法要素であると解されるにいたっている.
今日でも,主観的違法要素の観念を否定しようとする見解もないわけではないが, これをみとめることが,すでに通説であり,また判例でもある(大判昭14.12.12集18.565).おもうに,行為の目的などは,行為者に対する人格的非難を内容とする責任の面とは,一応切りはなして,その意味を論ずることが可能であるとともに,たとえば,教師の懲戒行為が,生徒を虐待する意思に出たときは,違法であるし, また,行使の目的を欠く通貨偽造行為は,通貨偽造罪の可罰的違法性をそなえないように,それらの行為の違法性を決するうえに目的などが不可欠な意味をもつことがありうる.それゆえ,主観的違法要素の存在を否定することはできないのであり,その範囲も,一定の目的,傾向その他に及ぶべきである.

p797
a. 「猥褻ノ行為」とは, 「徒らに性欲を興奮または刺戟せしめ,且つ普通人の正常な性的差恥心を害し,善良な性的道徳観念に反する」行為をいう(名古屋高金沢支判昭36.5.2下集3.5=6.399.なお,最判昭26.5.10集5.6.1026参照).本罪における猥褻行為は,被害者の性的自由の侵害を主眼として理解されなければならないから,性的風俗の保護を主目的とする公然猥褻罪〔174条)の猥褻行為とは,若干ニュアンスを異にすべきである(団藤.各論394頁).すなわち,主観的には,性欲を興奮または刺激させようとする意図のもとに,客観的には,性欲を興奮・刺激させ,一般人の正常な性的差恥心を害し,善良な性的道徳観念に反する程度の行為がなされることを要する(滝川=竹内・各論91頁).たとえば,陰部に手を触れるとか,女子の乳房を弄ぶとか,接吻をするなどのごとぎは,通常,猥褻行為といってよい(植松・総判刑(19)3頁以下). しかし,医療の目的など正当な目的で行なわれる行為が猥褻行為にあたらないことはいうまでもない.






所 注釈刑法(4)各則(2)p295
(2) 性欲を刺激・興奮・満足させる目的に出たことを要するとする説がすくなくない。目的犯と見るべきか傾向犯と見るべきかはなお問題であるが・おおむね妥当というべきであろう。産科医が診察のため患者の腔内に指を挿入する行為は本条にいう「猥褻の行為」ではない。

所 注釈刑法補巻(1)p150
IV 主観的要件
(2)の末尾(④295ページ〉に次の文筆を追加する.
婦女を脅迫により裸体にさせ,その立っているところを撮影しても,自己の也欲を刺激興奮また満足させる性的意図がなくもっぱら報復虐待の目的であるときは, 本罪を構成しない。(最判昭45 ・1 . 29)。性的自由の保護という観点からすればそのような意図を重視する要はないとする反対説も有力であるが,性的自由というのは, 性欲の満足に用いられることからの自由だとも考えられなくはないから, さしあたり判例を覆す理由は十分でない。


瀧川・竹内「刑法各論講義」S40 P91
「猥褻ノ行為」とは、一般的には、性慾を興奮又は満足せしめる意図をもってなされた行為であって、人に性的な蓋恥嫌悪の情を生ぜしめるに足る行為をいう。すなわち一般に、狼褒行為であるというためには、第一に、その行為が性慾を興奮又は満足せしめるという主観的な性的意図をもってなされねばならない。この場合、性慾の興奮−満足という性的意図が行為者自らのためであるか、行為の客体たる相手方のため又は第三者のためであるかは問わない。第二に、その行為が客観的にみて人に性的な蓋恥嫌悪の情を生ぜしめるに足るものでなければならない。従って、例えば、他人の身体に抱きつくとか臀部・乳房・陰部にさわるなどの行為であっても、客観的にみて性的な蓋恥嫌悪の情を生ぜしめるに足るものでない限り、猥褻行為ではない。要するにこれら主観的・客観的の要件のいずれかを欠く場合には猥褻行為とはいえないのである。判例が狼察とは「徒らに性慾を興奮又は刺戟せしめ且つ普通人の正常な性的蓋恥心を害し善良な性的道義観念に反するものをいう」といっているのもこのような意味である。強制猥褻罪における猥褻の概念は、一般的には右の如くであるが,強制猥褻罪の猥褻行為は相手の性的自由の侵害ということを主眼として考えなければならないので、性的風俗の侵害を主眼として考えなければならない公然猥褻罪におけるわいせつ行為とは、重点が多少異なるのは当然である。例えば、婦女の意思に反して指を陰部に挿入する行為はもちろん、被害者を裸にする行為も、それが性的意図に出たものである限り、猥褻行為というに充分であるし、また、いわゆる男色行為も狼繋行為であることはいうをまたない。そのほか、公然行っても猥褻行為とはいえない程度のペッティングであっても、暴行・脅迫によってこれを行えば、本罪の猥褻行為にはなりうる場合がある(2)(3)
・・・
(3〉なお、青柳・三八三頁は、このような傾向犯では犯人の性向が重要な要素をなす・その認定の困難の点をも考え身体的接触を原則として要件としないと主観的にも客観的にも限界を設け難いことになるとされる.

青柳文雄「刑法通論Ⅱ各論」P383
(4)東京高判昭和二九年五月二九日・特報四O号一三八頁は、ヌード写真を撮るために海水着を剥ぎ取るのは暴行による強制猥褻になるとしている。このような傾向犯では犯人の性向が重要な要素をなす。その認定の困難の点をも考え身体的接触を原則として要件としないと主観的にも客観的にも限界を設け難いことになる。東京高判昭和二七年一二月一九日・特報三七号131頁が医師でない児童相談所員が女子児童を全裸にしたのを暴行による職権濫用としたのもその意味であろう。



大野真義、墨谷葵編「要説 刑法各論」p100
猥褻の行為であるというためには、主観的には性欲を興奮または刺激させようとする意図のもとに、客観的には普通人の正常な性的差恥心を害するに足るものでなければならない
・・・
本罪は、行為者の猥褻な内心的傾向を主観的構成要件要素とする一種の傾向犯である。判例も婦女を脅迫し、裸にして写真をとった行為について、本罪は行為者の性欲を刺激・興奮させ、また満足させるという性的意図のもとに行われることを必要とするとし、行為者の意図が、もっぱら報復または侮辱・虐待のために出たものである場合には、強要罪にあたるとしても、本罪は成立しないとしている(最判昭四五・一・二九)




木村裕三、小林敬和「現代の刑法各論 補正版」(2003年 成文堂)p67
② 目的
本罪は、行為者自身の性的意図ないし、わいせつな内心的傾向を必要とする傾向犯だとされている。性欲を興奮・刺激させ、または満足させるという性的意図(主観的要素)がなければならない。したがって、報復のために若い女性に硫酸をかけると脅し、裸で立たせてその写真を撮る行為は、わいせつの意図がないので強制わいせつ罪にならない(最判昭45・l・29刑集24・1・I)

西山富夫「刑法通説 各論」p55
強制わいせつ罪は、傾向犯であるから、客観的構成要件要素である
わいせつという認識をこえる主観的要素がなければ処罰できないと考えられる。つまり、強制わいせつ罪には客観的構成要件要素であるわいせつ行為という認識に加えて、行為者の性欲を刺激、興奮させて、満足させるという主観的意図(傾向)が要求される。強制わいせつ罪は、傾向犯であるといわれるのはこの理由による。たとえば、最高裁は、報復の意図で、若い女性を全裸にして写真撮影をする行為は本罪を構成しないとした(最判昭四五・一・二九刑集


設楽裕文編「法学刑法2 各論」p28
(3)主観的要件本罪は,行為者の性欲を刺激・興奮・満足させる意図のもとに行われることを要しもっぱら報復・侮辱・虐待の目的で婦女を脅迫しその裸体写真を撮影しでも,本罪には当たらない。


植松正 再訂刑法概論Ⅱ各論p204
第一七四条および第一七五条の揚合には、客体が猥褻かどうかにより犯罪の成否が分かれるのであるから、「猥褻」の概念は純客観的に決するのであるが、第一七六条の場合(同情を引用し又は準用する場合も同じ)には、この概念に主観的違法要素を加えて解釈しなければならなくなる。それは行為者がその行為により自己または他人の性欲を刺激するという主観的違法要素を妥するということである。特異な例として、若い女に対しさんざん脅迫を加えた上、さらに、もっぱら報復・侮辱の目的をもって、同女に対し、写真をとるため裸体になって五分間立っているように強要し、その姿態を撮影したという事実につき、それは強要罪その他の罪を構成する余地があるだけで、強制わいせつ罪を構成しないとする判例最判s45.1.29)がある。この行為者は被害者の身体に手を触れることなく、自己の内縁の妻の同席のもとに撮影行為をしているという事情をも考え合わせると、いわゆる性的意図の存在を認め難い。したがって、これを強制猥褻の行為と断ずべきではない。
p211
猥褻罪は一般に「傾向犯」(Tendenzdeukt)とも称せられるくらぃで、ある行為が猥褻か否かは単に行為の外形から決定しえない場合がある。 その行為は行為者の猥褻な性向または性的意図の表現としてなされることが必要である。 それはいわゆる主観的違法要素であって、美術家が裸体を描写し、婦人科医が内診を行うなどの行為を猥褻と見ることができないのは、この理によるのである。報復の手段として、これを強制して全裸とし、その姿態を撮影した行為をもって、 強制猥褻罪を構成することなく、 単に強要罪を構成するにすぎないとした前掲判例も、 この意味に理解すべきである

岡野光雄「専ら報復または侮辱虐待の目的をもって婦女を脅迫し裸にして撮影する行為と強制わいせつの成否」1970早稲田大学社会科学研究第8号
強制わいせつ罪においては、「純粋に客観的には同じ行為であっても、行為者の性的衝動を刺戟し、または滴足させる傾向のもとに行なわれたときにのみ違法性を取得し、診察や治療の目的で行なわれたときは違法でないのであって、主観的傾向は、この場合、行為の違法性に影響をあたえるものとして主親的違法要素である」(福田体系刑法辞典103頁)とされるのである。おもうに、暴行または脅迫を加えてわいせつ行為を行なうのは、それによって行為者の性欲を刺戟興奮または満足させるからであって、これらの主観的要素と切り離して強制わいせつ行為を理解することは、行為の本質を充分把握したものとはいえないであろう。したがって、かかる主観的要素のない行為は、たとえそれが客観的にはわいせつ行為であっても、強制わいせつ罪を構成するものでないといわなければならない。換言すれば、本罪が成立するためには、わいせつ行為に該当する事実の認識のほかに、さらに右に述べたような主艘的要索が必要とされるのである。ただ、これを明確に目的犯として性格づけるよりは、傾向犯の一種として把握する方がその実体に則しているものと思われる。もし一審・ニ審のように強制わいせつ罪を理解すると、たとえば、全く復讐の目的から女性が女性に対し暴行または脅迫を加えて裸にしこれを写真撮影した場合にも強制わいせつ罪が成立することになり、われわれの一般法感情にそぐわないというべきである。このような場合には、強要罪もしくは暴行罪または脅迫罪の成立を認めればたりるであろう

岡野光雄刑法要説各論全訂版p50
本罪を目的犯ないし傾向犯と解するのが判例・多数説である。したがって,本罪成立のための主観的要素としては, わいせつ行為に該当する事実の認識(故意)のほかに,行為者の性欲を刺戟興奮または満足させるという目的・意図ないし傾向がなければならない。これに対し,最近では,客観的に被害者の性的自由を侵害する行為があれば本罪は成立するとし, このような意図・傾向は必要でないとする見解が有力である(平野・180頁, 内田・160頁,大谷・111頁, 曽根・66頁,西田・79頁,前田・108頁以下等。結果無価値を強調する立場と結びつく)。しかし, うえのような意図・傾向のない行為をわいせつ行為といえるかどうか疑問である。

宮内 新訂刑法各論講義S43
P213
「猥褻なる行為」とは、性的意図をもってなされる、性的関係における道徳感情を害すべき行為である。
第一に、性的意図とは、行為者、被害者あるいは第三者の性欲を興奮させるか、これを満足させる目的である。
したがってたとえば、他人の性器を取扱っても、単なる暴行の目的にすぎぬ時は、猥褻行為ではない。
第二に、行為は客観的に、性的関係における道徳感情を害すべきものである。この場合、強姦罪との関係上、性交は除外される。
行為に、かかる客観的性質がない限り、性的意図のみでは不十分である。
たとえば、臀部をなでる、子供を単純にだきかかえるなど、性欲を満足させる手段として、被告者の身体が利用されることが必要であるが、かならずしも、それに手をふれる必要はない。

日高義博「強制猥褻罪における主観的要件」現代刑法論争2(p75
強制猥褻行為は確かに被害者の性的自由を侵害するものてはあるか、性的自由のみか保護注益だと考えるのは強制猥褻罪の二面的性格を見失ったものである。強制狼褒罪には被害者の性的自由の保護という面のほかに、現行法上は健全な社会的風俗の維持という目的もあるのである。それゆえ、単に被害者の性的自由を侵害したということだけで、重く処罰されるのではなく、さらに健全な性風俗の維持という観点から性的意図をもって猥褻行為をしたことに注目し、重く処罰されるのである。猥褻の行為により被害者の性的自由が侵害されたことがいわば結果反価値性を決定し、その行為が性的意図をもって遂行されたことが行為反価値性を決定するのである。違法性の実体は、結果反価値性に尽きるものではなく行為反価値性をも考慮すべきである

日高刑法各論講義ノート第3版
P198
強制わいせつ罪や強姦罪などの保護法益については、個人の性的自由の保護だけを考えれば足りるとして、個人的法益に還元して理論構成すべきだとの見解も近時有力である。ドイツ刑法では、1973年の改正で従来の風俗犯を「性的自己決定に対する犯罪行為」として捉えなおし、強制わいせつ罪を性的強要罪として再構成している。この方法は、今後の立法論としては一考に価する。しかし、わが国の現行法の解釈としては、性的自由の保護という側面のほかに、風俗犯罪としての性格が依然、として残されていることを、出発点とせざるをえない。
・・・
P204
強制わいせつ罪の構成要件的故意としては、相手方が13歳未満である場合には、その年齢についての認識(意味の認識)がなければならない。さらに、本罪が傾向犯であることから、主観的傾向の現れとして行為者に「性的意図」(性欲を刺激または興奮させようとする意図)が必要であるかについては、見解が対立している。
?必要説(通説・判例)……性的意図が欠ける場合には、主観的違法要素ひいては主観的構成要件要素が欠けることになる。
最判昭和45・1・29刑集24・1. 1
「刑法176条前段のいわゆる強制わいせつ罪が成立するためには、その行為が犯人の性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し、婦女を脅迫し裸にして撮影する行為であっても、これが専らその婦女に報復し、または、これを侮辱し、虐待する目的に出たときは、強要罪その他の罪を構成するのは格別、強制わいせつの罪は成立しないものというべきである。」
?不要説……被害者の性的自由を侵害することを認識していれば足り、性的意図は構成要件的故意の内容をなさない。
−結果反価値論に依拠して主観的違法要素を全面的に否定する立場からの主張。
−強制わいせつ罪の保護法益を被害者の性的自由に求める立場からの主張。
<私見>
・必要説に依拠した解決(現代刑法論争I [2 版] 67頁)。
・本罪の保護法益は、被害者の性的自由のほかに、健全な性風俗環境の維持が考えられる。さらに、主観的違法要素は全面的に排斥しえない。









福田平 刑法各論第三版増補版p183
ところで、本罪は、行為者の性欲を刺激興奮または満足させる性的意図のもとに行われることを要する。したがって、女子を脅迫し裸にして撮影しても、それがもっぱらその女子に報復する目的や侮辱・虐待の目的で行われたぱあいには本罪は成立しない(最判昭四五・一・二九集二四・一)


福田平「主観的違法要素」木村亀二編体系刑法辞典P103
この理論の発展に大きな貢献をしたメツガーは,行為の違法性(法益侵害性)の存否・強弱に影響をあたえる主観的要素が違法要素であるとして, 目的犯における目的,傾向犯における主観的傾向,表現犯における心理的過程がこれにあたるとしているが, これらが主観的違法要素であるということは今日の通説の認めるところである.
。。。
傾向犯とは,行為が行為者の主観的傾向の表現として発現するもので, たとえば,公然猥褻罪(刑174条),強制猥褻(刑176条),侮辱罪(刑231条)などがこれにあたる.傾向犯においては, たとえば,強制猥褻罪において,純粋に客観的には同じ行為であっても,行為者の性的衝動を刺激し, または満足させる傾向のもとに行なわれたときにのみ違法性を取得し,診察や治療の目的で行なわれたときは違法でないのであって,主観的傾向は,この場合,行為の違法性に影響をあたえるものとして主観的違法要素である.

西原春夫「強制猥褻罪における主観的要素」刑法判例百選Ⅱ各論[第二版] 36頁
このようにみてくると、強制捜褒罪について猥褻の目的あるいは内心傾向を要求する理由を右のように解するのは、適切でないように思われてくる。それでは、そのような主観的要素は必要でないのかというと、そこまで行ってしまうことにはやはり問題がある。なぜなら、行為者に猥褻の目的あるいは内心傾向があることが被害者にとって明らかな場合には、たとい診断・治療・懲戒というような合法的な外形をとっていたとしても、その差恥心はそのような外形のない場合と同様に著しく害されることになるし、ひいて性的自由の侵害が考えられるからである。逆に、行為の外形上行為者に猥褻の目的あるいは内心傾向がないことが明らかな場合には、それがある場合とくらべ、同じ行為に対しても差恥心の著しい侵害を感ずることはないであろう。
このように、強制摂袈罪における主観的違法要素は行為者の動機の反倫理性を基礎づけるものと解すべきではなく、法益侵害性を決定する要素として理解すべきであると考える。このような立場によれば、もし猥褻の目的あるいは内心傾向があるとしたら当然性的自由の侵害が考えられるような外部的行為の行われた事例においては、そのような目的あるいは内心傾向がない場合にもそのないことが被害者に明らかでないかぎり法益侵害性は失われないことになり、したがって違法性は否定されないことになる。本件のような場合も同様であって、その意味で本判決の多数意見は結論において相当でなく、一、二審判決および少数意見は理由において相当でない。



中義勝刑法各論
















夏目文雄刑法提要各論 1960
猥褻の行為とは「「猥褻なる行為」とは、性的意図をもってなされる、性的関係における道徳感情を害すべき行為である。

熊倉武日本刑法各論p269 1960 
ここで「猥褻な行為」といういみは、性欲を刺激.興奮させまたは満足させる意図をもってなされた行為でって、人に羞恥嫌悪の情を生ぜしめるような性質をもった行為をいうのである。すなわち、猥褻な行為であるというためには、まず第一にその行為が、性欲を刺戟させるか、興奮させるか、または満足させるという主観的な意図をもってなされた行為でなければならない。もちろんそのばあい性欲の刺戟. 興奮. 満足が行為者みずからのためにする意図をもってなされたか、あるいは行為の客体たる相手方のためまたは第三者のためになされたかはとうところではない。したがって、かりに他人の性器にふれ、またはそれを対象としたような行為であったとしても、それが暴行または傷害の意図をもってなされた行為であるばあいは、ここにいわゆる猥褻の行為ということはできない。
つぎに第二には、その行為が客観的にみて、人にたいして羞恥を感ぜしめ、嫌悪の情を生ぜしめるような性質と程度とをもった行為でなければならない。したがって、かりに身体にだきつく、臀部や乳房または陰部にさわるなどの行為であったとしても、それが性欲的意図にいでたものでなく、また客観的にみて羞恥嫌悪の情を生ぜしめるような性質もなく、そのような程度にも達しないばあいは、はいいえない。また、かりにそのような行為が客観的にみて羞恥嫌悪の情を生ぜしめるような性質や程度をもっていたとしても、主観的な性欲的意図を欠いていたばあい、逆に、主観的な性欲的意図はあったが、客観的な性質や程度を欠いていたようなばあいは、ともにここにいわゆる猥疫の行為ということはできない。判例が、猥疫とは「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反することをいう」(最高判.昭26.5.10.刑集五巻1026頁、同旨・同・昭二七.四・一.刑集六巻五七三頁)といっているのも、そのような意味である。

立石二六刑法総論第3版p126
傾向犯とは、行為者の主観的傾向の表出とみられる行為が罪となるもので、その傾向がある場合にかぎって成立する(団藤132)・代表的な犯罪としては強制わいせつ罪があげられる。強制わいせつ罪は、行為者のわいせつな主観的傾向の発現として行われることを要する。すなわち、行為者の性欲を刺激興奮させ、または満足させるという性的意図のもとに行われることが必要であり、これは通説・判例最判s45)となっている。これに対しては、「主観的要素が行為の法益侵害的な性格を変化させるとは思われない」という否定説が展開されている。しかし、外形的には同様の行為であっても、行為者の内心の意図によって違法性を帯びるものとそうでないものとはある。医師が婦人に対し触診行為を行うとき、治療目的であれば正当行為であるが、わいせつ目的であれば違法行為となる。主観的傾向も主観的違法要素として承認されるべきである
る。これに関して、最高裁判例中、復讐目的で脅迫を加えて婦女を裸体にし写真撮影した事例につき、強制わいせつ罪が成立するためには、「犯人の性欲を刺激興奮させまたは満足させるという性的意図」が必要で、「報復の意図」では足りないとしたものが注目される(最判s45)・現実に被害者の性的自由という法益の侵害はあるが、主観的違法要素たる性的意図が欠落している以上、強要罪その他の犯罪が成立するのは格別、強制わいせつ罪の成立を認めることには無理がある。従って、判旨は相当であると解する。


木村裕三・小林敬和「現代の刑法各論」p68
②目的
本罪は、行為者自身の性的意図ないし、わいせつな内心的傾向を必要とする傾向犯だとされている。条文には「わいせつ傾向」が規定されていないが、性欲を興奮・刺激させ、または満足させるという性的意図(主観的要素)がなければならないとする。したがって、報復のために、若い女性に硫酸をかけると脅して、裸で立たせてその写真を撮る行為は、わいせつの意図がないので強制わいせつ罪にならない(最判昭45・1 ・29刑集24・1 ・1)。しかしこの場合、被害者に性的差恥心を与える行為をし、そのことを認識している以上、性的自由は侵害されているので、わいせつの目的は緩和されていいとする学説が有力であり、妥当と思われる


柏木千秋「刑法各論」p307
『猥褻』とは健全な性的道徳観念に反して徒らに性欲を刺戟、興奮させ、また、正常な性的差恥心を害するような態度・状態をいう(最判s26.5.10)。もっともこれは他人に対する心理的効果の方面から把えたものであるから、本罪や第一七五条についてはこのまま妥当するが、第一七六条や第一七八条の「猥褻ノ行為」という場合には、むしろ主体的に、「・…・性欲を刺激、興奮(満足)し、また・・」ということになるであろう。果して猥褻であるかどうかは社会通念によって定まることであるから、時代や環境などによっても異なるが、最判昭二五・二・二一集四・三一五五は明かるい舞台の上で観客の方向に向って約一分三○秒あるポーズをとって立っているのは公然猥褻であるとしている

花井哲也「刑法講義 各論Ⅰp106
本罪は、いわゆる傾向犯としてわいせつの意思といった主観的要素が必要である。・すなわち、行為者がわいせつ的意図ないしかかる主観的傾向をもって被害者の性的自由を侵害した行為のみが犯罪となる。判例によると、本罪は、行為者の性欲を刺激興奮または満足させる性的意図のもとに行われる必要があるから、もっぱら報復・侮辱・虐待の目的で婦女を脅迫し、その裸体写真を撮影した場合には本罪にはあたらないとしている(最判s45)

吉田常次郎「刑法各論」77頁
猥褻姦淫及び重婚の罪
この二種の犯罪は何れも暴行脅迫を用い叉は心神喪失、抗拒不能に乗じ若しくはかような状態を惹起して十三歳以上の者に対し肉慾を満足させる行為である