公然わいせつのところに書いてあったよう。
新・判例コンメンタール刑法5:罪?〔174〜229条〕(大塚仁 川端博編・三省堂・97年)p17
第174条公然わいせつ 加藤久雄
「猥褻」という用語のもつ意味を上のように理解すれば,人聞の肉体,性器や性交それ自体は「わいせつな物」ではない。つまり「いかがわしくも「けがらわしく」もないし,それらを行動により直接的に表現したり文章や絵画や写真などを通してそれを間接的に表現したからといって,直ちにそれがいわゆる「わいせつ」行為になるわけではない。
しかし,もともと「わいせつ」ではないはずの人聞の性行為(男女間のみならず同性間,あるいは自慰行為なども含めて)を文章などで客観的に第三者に視覚・聴覚などに訴えて公に表現すると「わいせつ性」を帯びてくることがあるといわれる。しかもその表現が,抽象的・間接的であったり,科学的であったり,部分的(たとえば,小説の3分の1以下)であったりした場合には「わいせつ性」が否定されたりするのである。恥毛の生えていない子供・少年・少女の性器の写真は「わいせつ」ではないが,恥毛の生えている成人の性器(先天的に恥毛のない人や故意に剃った場合の性器も含まれる)の写真は「わいせつ」であるとされる(絵画は一部「わいせつjが否定されているが)。出産シーンでの妊婦の性器は「わいせつ」で,出産直後の子供ないし幼児・子供の性器は「わいせつ」ではないとされる。 筆者は, 「出産」は人聞にとって「命」の誕生の場面であり,最も厳粛な瞬間であり,その意味で上のいずれの性器にも「わいせつ性」を感じない。