児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

児童買春罪と青少年育成条例の関係

 島戸さんのが一番詳しい。
 タイトルにはヒントがありませんが、手持ちの「研修」を全部電子化して、全文検索して見つけました。
 検事さんの論稿で迷いが出ているところを控訴理由にしてあげると、実務が前進します。

島戸「児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」研修652号
栗原「児童買春の罪と青少年育成条例の関係について」研修644号
山川「いわゆる児童買春等処罰法と青少年保護育成条例の関係について」研修635号

研修652  研修講座 特別法シリーズ(126)児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律
対償の供与又はその約束があり,買春行為者が被害児童の年齢についての認識がなかった場合(表の(B )の部分) において,本法による処罰ができないことほ明らかであるが,そうであるとしても,青少年保護育成条例上の知惰性の推定規定を適用させて,青少年保護育成条例違反により処罰することができないか。この問題ほ,児童買春等処罰法について,かかる場合において,条例による処罰を許容する趣旨か否かの解釈によることになる。
この点については,児童買春等処罰法の解釈として,次の2とおりの考え方があり得るであろう。
第1 の考え方
本法を制定した際,対償の供与又ほその約束を伴う性交等を児童買春と定義し, これを伴わない性交等を同法の枠外としたのであるから,対償の供与又ほその約束を伴うものについては,買春行為者に被害児童の年齢についての認識が認められるか否かにかかわらず(表の(A )及び(B )の部分),法律が制定すべき事項であって,その範囲においては条例の制定権は及ばないことになり,買春行為者に被害児童の年齢についての認識が認められない場合(表の(B )の部分)において,条例の淫行処罰規定,年齢の知情性推定規定を適用して処罰することはできない。
第2 の考え方
本法は,対償の供与又はその約束が認められかつ,買春行為者に被害児童の年齢についての認識が認められる場合( 表の(A ) の部分) にのみ効力が及ぶのであって,本法が処罰の対象としていない行為(表の(B ),(C )及び(D )の部分)については,対価性の有無にかかわらず,すべて条例の効力が及ぶ。すなわち,被害児童の年齢についての認識がない場合は,本法の規制が及ばない結果,対償の供与又はその約束を伴う場合であっても,条例による処罰の対象となる。
この点,立法当時の審議経過を総合して法案提出者の考え方を探ると,対価性の有無によって本法の適用範囲と条例のそれとを峻別するとの考え方に立っているように思われる。そして,無償の場合ほすべて条例による処罰の可否,適否に委ねられると解することができる。反面,有償の場合は,児童買春等処罰法による処罰の可否のみの問題となり,同法に知惰性推定規定が設けられていないことから,年齢の知惰性が認められないときには,いかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解され条例による処罰はできず,①の考え方をとるのが素直であると考えられる。
ところで,① ,② いずれの考え方をとっても,被害児童の年齢について認識がなかった場合において,対償の供与又はその約束がなかったとき(表の(D )の部分) には,青少年保護育成条例の知惰性推定規定が適用されることになるが(5),① の考え方によれば, これに比して,より重い責任非難に値するとも思われる対償の供与又はその約束があったとき(表の(B )の部分)には処罰されないというのであるから,この結論は不均衡ではないかとの指摘もあり得よう。しかし,不均衡といえるかどうかの当否はともかくとしても,このような結論の違いは,そもそも,児童買春等処罰法が児童買春罪において年齢の知惰性の推定を設けていないところ,条例が,このような考え方に立たず,被害児童の年齢について認識がないにもかかわらず認識があったものと擬制しようとするところに由来するものである。対償の供与又ほその約束がなく, 被害児童の年齢について認識がなかったとき(表の(D )の部分)については,① ,②いずれの考え方によっても児童買春等処罰法が対象としない以上,対償の供与又はその約束がない場合についての処罰の有無は、条例のあり方,地方公共団体の政策による結果にすぎず,この結果と比較して,対償の供与又はその約束があったとき
( 表の(B )の部分)における児童買春等処罰法の解釈について影響が及ばされるべきものではない(6)。
また,① の考え方に立つと,検察官が対償の供与又ほその約束,及び買春行為者の被害児童の年齢に関する認識についての証拠が不十分であると思料して条例違反で起訴したところ,公判段階において対償の供与又ほその約束が明らかとなった場合には,条例の効力は失われており,かつ知惰性の立証もできないことから,本法,本条例のいずれによっても処罰されず,無罪となるという結果になりかねないことになり, これを利用した被告人が対償の供与又はその約束が為ったとして条例が適用されるべきでないと主張する事態も考えられる。そして,対償の供与又はその約束がなかったと立証するのが極めて困難であることからすると,ひいては,買春行為者の被害児童の年齢に関する認識について証拠が不十分な場合は,本法,本条例のいずれによっても起訴することができないという結果も生じかねない。
しかし翻って考えると,刑事法上故意犯処罰が原則とされているのであって,児童買春等処罰法第9条が,児童買春罪をその適用対象から外したのは,買春行為については,類型的にみて,使用関係を前提とせず,一回性が認められやすいことに基づき,故意犯処罰の原則を貫いたにすぎないものであると考えられる。また, 同条が年齢の知惰性の推定を児童の使用者に限ったのは,一般に,児童を使用する使用者については児童の年齢に関する調査義務が認められていることから,本法も同様に,このような者について児童の年齢を知らないことのみを理由に処罰を免れさせるのは妥当でないという政策判断を行ったものと考えられる。この趣旨から考えると,そもそも本法の趣旨として,(少なくとも対償の供与又はその約束がある場合においては)児童と性的行為に及んだからといって使用者以外については年齢の知惰性の推定を及ぼすことが妥当でないとの価値判断が示されたともいえる。したがって,買春行為者の被害児童の年齢に関する認識について証拠が不十分な場合に,本法,本条例のいずれによっても起訴することができないとの結果となることも,児童買春等処罰法第9条が知惰性の推定を児童の使用者に限定した趣旨にかんがみれば,決して不当なものとまではいえないであろう。


判例が出ています。

東京高裁平成24年7月17日
理由
本件控訴の趣意は,弁護人奥村徹作成の控訴趣意書(添付資料を除く。)及び控訴趣意補充書各記載のとおりであるから,これらを引用する。
第1法令適用の誤りの論旨(控訴理由第1ないし第7)について
1 論旨は,要するに,
(1)児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(以下「児童買春・児童ポルノ等処罰法」という。)の施行により,県青少年健全育成条例(以下,単に「条例」という。)の淫行処罰規定は当然に失効したにもかかわらず,原判示第1,第5,第7及び第11の各所為に対して条例を適用した点
(2)原判示第5の児童と被告人との間には対償供与の約束があったのであるから,条例を適用する余地がないにもかかわらず,同第5の所為に対して条例を適用した点
(3)原判示第5の所為は「みだらな性行為」に当たらないにもかかわらず,それに当たるとした点,
・・・で,原判決には法令適用の誤りがある,というのである。
そこで検討すると/原判決に所論のような法令適用の誤りは認められない。
以下,順次説明する。
(1)原判示第1,第5,第7及び第11の各所為に対して条例を適用した点について
所論は,18歳未満の者との性行為については,国法である児童買春・児童ポルノ等処罰法のみで全国一律に有償の場合のみを規制する趣旨であるとして,同法の施行により条例の淫行処罰規定は当然に失効しかと主張する。
そこで検討すると,児童買春・児童ポルノ等処罰法が,対償を伴う児童との性交等のみを児童買春として処罰することとし,対償を伴わない児童との性交等を規律する明文の規定を置いていないのは,後者につき,いかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であるとは解されず,それぞれの普通地方公共団体において,その地方の実情に応じて,別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解される。
そうすると,青少年に対するみだらな性行為等を禁止し,これに違反した者を処罰することとした条例35条1項,53条のいわゆる淫行処罰規定は,児童買春・児童ポルノ等処罰法の施行によって,児童買春に該当する行為に係る部分についてのみ効力を失ったが,それ以外の部分については,なお効力を有するものと解される(平成11年法律第52号附則2条1項参照)。
したがって,児童買春に該当しない原判示第1,第5,第7及び第11の各所為に対して原判決が上記条例の規定を適用したことに誤りはない。
所論は採用できない。