児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

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菊池則明「観念的競合の関係にある余罪と量刑考慮について−放火行為により人が死亡したが訴因には掲げられていない設例を基に」植村立郎判事退官記念論文集第2巻

 被害児童13歳未満の場合の3項製造罪で強制わいせつ罪(176条後段)が起訴されていないときの量刑の問題です。

結論
以上の検討から,無条件に余罪立証を許し,量刑に反映させるべきとする積極説は,責任主義憲法31条(適正手続),訴因制度(不告不理の原則,証拠裁判主義)の観点から難点があるし,実質処罰類型か情状推知類型かで区別して後者の場合に許容するとする積極説も,その区別のあいまいさから実際には採用し難い上,その狙いとした趣旨が現実には徹底されにくいことから,政策的にもその解釈を採用すべきでないことが判明したと思う。
したがって,本設例に関しては,消極説によるべきとの結論が妥当と考えるが,これに対しては, 41年判決等がいう「刑事裁判における量刑は,被告人の性格,経歴及び犯罪の性質, 目的,方法等すべての事情を考慮して,裁判所が法定刑の範囲内において,適当に決定すべき」(41年判決)との観点を不当に制限するのではないか,被告人の人格の統一性を分裂させるのではないかなどという反対説からの反論が予想される。
しかし,量刑の基本的な考え方として, 「行為責任」を重視しその他の諸点は決定的には量刑を大きく左右するものとは考えるべきではないとの立場に立っときには,そもそも,余罪の量刑考慮にさほど拘泥する必要はないであろう。当該訴因の「行為」自体を評価すれば良く,その他の「すべての事情を考慮」するという職権主義的あるいは探索的な姿勢は,事実認定と量刑を分けていない手続を前提とする限り,もともと現行法が基調とする当事者主義とは親和的ではないし,ましてや裁判員制度が発足した新しい時代にふさわしいとはし、えない。観念的競合の一部を評価外としたところで, 「被告人の人格の統一性」が分裂することにはならないであろう。既述のとおり,積極説の論者においても,余罪を考慮したとしても,さほど量刑に大きい影響を与えるべきではないとするのが大勢であり,その程度のことであれば, これまで検討してきたような余罪立証・量刑考慮に伴う弊害を甘受してまで,敢えて積極説によらなければ適切な量刑ができないということは考えられないのである。
本設例でいえば,死亡した事実はないものとの前提で量刑の判断をすれば足り,死亡者が出ていない放火罪の事例が量刑上の参考とされるべきであろう。そうではなく,仮に, 「本件事案は放火により1名死亡した事案であり,これと同種の1名死亡の事案での量刑傾向に照らして量刑をする」と考えるとすれば,過失致死罪が「罪となるべき事実」で認定されている例と本設例を同視してしまうことになる。また, 「罪となるべき事実」としては認定していないが, 「量刑の理由」で1名の死亡が言及されている例を量刑資料として参照するとするならば,この不合理性は幾分減ずるものの,もともと余罪を実質処罰したとの疑いをかけられるのをおそれてこれを量刑の理由では言及しない裁判例も多いであろうから, これを参照することは,全体の量刑傾向を正確に反映していない不安定な資料にもとづくことになり,量刑判断の参考資料としてはむしろ有害であろう。さらに極論となるが,上記立場の理屈に従うときは,例えば,多数の死者を出した放火事件において,犯人にはこれらの死亡につき殺意も過失も認められず,ために殺人・過失致死罪が訴因として掲げられなかった場合,あるいは, これらの訴因が掲げられたものの,裁判所においてこれらの訴因を認定できず,放火罪のみが有罪認定された場合,いずれも多数死亡をもたらした同種事案の量刑傾向に照らし極刑を科すべきなどという不合理・非常識な結論をもたらすこともなりかねないことになってしまうのである。
このようにみると,本設例については,やはり消極説を採用すべきである。さらに本設例を超えた一般論としても,原則として余罪立証を禁止し,余罪を量刑上考慮しない運用がめざされるべきである11)。 41年判決等もその狙った趣旨を徹底させるためにも見直されるべき時期にきているものと考える。