児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

裁判員裁判に対する控訴

 自白事件としてもたった数回の裁判で、5年〜死刑の幅の中から懲役15年にされちゃったら一審で納得しろと言われても無理じゃないですか。控訴審の量刑審査に耐えるような裁判員裁判に鍛えてもらわないと。
 

第199条(殺人) 
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090806-00000212-jij-soci
判決内容については、「検察の主張をほぼすべて認めていただいた。十分に検討された満足できる判決だ」と評価。裁判員経験者が検察側立証を分かりやすいとした点には、「非常にありがたい。努力した結果だと思う」と笑顔で述べた。
 一方、主任弁護人の伊達俊二弁護士も会見。「被告の言い分が認定されず、厳しい刑。検察官の論告をそのまま判決理由にされた」と納得いかない様子で、控訴も検討する意向を示した。


 普通、量刑ってこうやって決めてます。
 殺人とか古典的な罪については、いちいち検索しなくても、裁判官の頭にものさしが入ってて、「私が量刑相場だ」みたいな感じ。

類似10件、懲役7〜13年 裁判員悩ませる量刑
2009.08.06 共同通信
 東京地裁で6日午後、判決言い渡しの全国初の裁判員裁判では、被告が罪状を認めているため、裁判員の頭を悩ませたのは、争点の殺意の程度を判断した上で何年の刑にするか(量刑)。裁判員には、類似事件の判決例をまとめた資料が渡されるが、東京地裁は公表しない。
 そこで最高裁がサンプルとして公開した裁判員用の資料を参考に、共同通信が2003年以降の類似事件10件の地裁判決(支部を含む)を調べると、懲役7〜13年で、うち7件が懲役10年以上。求刑(懲役8〜17年)と比較すると、ほぼ八掛けだった。こうした傾向との異同が注目される。
 10件は「殺人罪」「共犯者なし」「被害者は1人で隣人や元隣人、近所の人」「凶器はナイフ、包丁などの刃物」が共通している。金やわいせつ目的の事件は除いた。
 被告は20代1人、40代2人、50代2人、60代1人、今回の被告と同じ70代4人。動機は騒音や土地の境界線などをめぐるトラブルが動機となっているケースが多い。
 10件のうち、最も重い懲役13年の判決は、08年2月の福岡地裁(求刑懲役17年)と05年7月の岡山地裁(求刑懲役15年)で言い渡された。

東京高等裁判所刑事部部総括裁判官研究会「控訴審における裁判員裁判の審査の在り方」判例タイムズ第1296号

5量刑不当の審査
(1)基本姿勢
ア量刑判断は,国民の視点や感覚を裁判に取り入れやすい領域であることから裁判員の多様な意見が反映されることにより、量刑の幅は従来のものより重い方にも軽い方にも広がることが予想される。しかし裁判員制度の趣旨,目的からすると,そのことは当然予定されたことであり裁判員裁判の量刑については,国民の目線から見てそのような判断もあるのかという謙虚な姿勢で審査に当たる必要がある。
もともと量刑については裁判官に広い裁量権が与えられており,控訴審の量刑審査も,点による審査ではなく,幅による審査であるが,今後は,裁判員制度を採用した法の趣旨を考慮してその幅をこれまでよりかなり広くとることになろう。量刑審査の基本姿勢について,このように考えることに異論はなかった。
イ第1審の量刑を審査するについては,第1審の量刑がどのような枠組みで決められたかが問題となるので,この点について意見を交わした。
これまでの実務は,犯罪に見合った刑事責任(行為責任)という考え方の下に,先例の集積によって形成された量刑基準(いわゆる「量刑相場」)を参考として,事案に応じた妥当な量刑判断をすることに努めてきた。このような量刑判断の方法は責任主義という刑法の基本原則に沿うものであり,これまで国民の承認を得てきたものと思われるから,裁判員裁判の下でも維持されるべきであろう。もちろん,これまでの(狭い)量刑相場の幅の中に裁判員の意見を押し込もうとすることは,量刑にも裁判員の意見を反映させようという裁判員制度の趣旨に反する。今後具体的事件の量刑判断に裁判員の多様な意見が反映されることにより,上記のとおり,量刑の幅はこれまでのものより広がるであろうが,それが行為責任から考えられる刑の大枠(この大枠自体も不動のものではなく,責任評価の視点の違いなどにより変動するものであろうが)を明らかに外れるものでない限りこれを尊重する方向で審査に臨むことになろう。このような考え方に格別の異論はなかった。
ウ審査する立場から,第1審の量刑評議に関して補足すると。第1審が上記イのような判断の枠組みで量刑をするためには,裁判官と裁判員が,当事者から論告,弁論で視点の提供を受けるだけでなく7これまでの量刑傾向を知るための量刑資料を利用し,従来の量刑傾向の大きな幅の中でどの辺りに位置するのかを検討することが重要であると思われる。量刑に国民の意見や感覚を反映させるといってもこのような資料を踏まえることなく,裁判員の生の感覚,意見等で量刑を決めることは考えられない。実際,各地で行われた模擬裁判の裁判員からも同種事例等についての適切な参考資料がなければ,量刑意見を述べられないといった意見が寄せられたと聞いている。行為責任の大枠から外れた量刑をしないためにも,このような量刑資料を有効に利用する必要があろう。以上のような点で。部総括の認識は同じであった。
エさらに審査する立場からすると第1審の判決書に量刑の理由が的確に記載されていることが望まれる。上記のとおり,量刑が第1審裁判所の裁量に委ねられているといっても,その裁量はあくまでも合理的なものでなければならない。これは裁判員が加わった場合も同様である。そこで,控訴審裁判員の加わった第1審の量刑判断の合理性を検証するために,第1審がどのような事情を量刑上どのように考慮したのかを判決書に適切に記載すべきであろうという点でも部総括の認識は一致した。

 この報告にしても「東京高等裁判所刑事部部総括裁判官研究会」だけで決めていいんかということを判例を集積して確認しないと。