児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

検察官の訴因設定権と裁判所の審判範囲(法学教室336号P85)

 東京高裁H17.12.26が訴追裁量の限界として取り上げられています。
 かすがいにあたる児童淫行罪を起訴してしまった場合については、二重起訴とか管轄違いとか免訴とかになるわけで、起訴が違法になります。

〈一罪の一部を除いて併合罪とする場合〉
大澤
もう 1つ取り上げてみたいのは、一罪の一部を除くことによって併合罪として起訴することは許されるかという問題です。例えば,かすがい理論によって一罪となる犯罪事実から,かすがい部分を除いた上,併合罪として起訴するような場合です。
一罪の一部を除いて併合罪とする場合でも,例えば,平成 15年 10月7日判決で問題となった,常習特殊窃盗の事実から常習性の点を除いて単純窃盗の併合罪で起訴する場合などを考えますと,処断刑が重くなるわけではなしむしろ被告人にとって利益になるわけですが,かすがいの場合には,かすがい部分を除くことによって処断刑が重くなるという問題が生じます。
この点、をどのように考えるのかが 1つのポイントになるかと思いますが,いかがでしょうか。
今崎
 起訴されることによって処断刑が重くなるという被告人にとっての不利益を考慮に入れた上で,検察官の訴因設定権の行使としてどこまでが許容されるかということがテストされているのだろうと思います。これについても,こういう起訴は裁量権の濫用として何らかの違法を来すという考え方もあり得ると思います。
ただ,こうした考えの持つ問題の 1つは裁量権の濫用ないし逸脱の有無を判断することの問題性です。先ほどの親告罪の例では,訴因が別の親告罪の一部であるかどうか,そして,そうした訴因について審理判断することが親告罪の趣旨に反しないか,といったことを判断すれば一応足りたわけですけれども,今回問題になっている事案では,訴因を絞ったことについての検察官の判断の理由を明らかにし,それが処断刑の変更を来すのを正当化するかだけの理由になるかどうかということを判断することになるのでしょう。
 しかし,それは,非常に難しい判断です。それに,そもそもそうした判断をすることは,検察官は事案の軽重,立証の難易等諸般の事情を考慮して訴因を設定することができ,そのような公訴の提起を受けた裁判所は訴因を審判の対象とすべきであって,訴因外の事情に立ち入って判断すべきでないとした平成 15年大法廷判決が示したスタンスと整合するのかという疑問を感じます。さらに翻ってと言いますか,実務に目を向ければ,例えば住居に侵入して,人を 1人殺害したという事案でも,何らかの理由から殺人だけを起訴するということは,しばしば行われていますが,先ほども述べたとおり,そうした場合でも,裁判所としては,住居侵入罪を起訴しなかった理由について詮索することはしないのが通常です。ところが,違法説によると,住居侵入の上 2名を殺害したという事案では,住居侵入を不起訴とすることが違法となるという可能性を生じることになります。そうであれば, 1人殺害の場合に住居侵入を不起訴にすることも違法としなければ一貫しないように思うのです。
しかし,そのような考えは,これまで検討してきた検察官の訴因設定権をめぐる考え方と正面から衝突する可能性をはらみます。下手をすると,検察官の訴因設定権を一から見直さなければならないことにもなりかねないように思うのですが,果たしてそこまでする必要性,実益があるのだろうかという素朴な疑問を持つのです。
私などは,いい加減な人間なので,もっとコストパフォーマンスの良い解決があるのではないかと安易な発想をしてしまいます。公訴提起によって生じる問題,ここで言えば処断刑が上がるという問題ですが,例えば,そういう問題が生じるのであれば,そういう不利益が生じないよう終局判断の中で是正すればよいのではないかと思うのです。仮に処断刑に不均衡が生じるのが問題なのであれば,本案判断の中でその点を考慮して,上がる前の処断刑を前提に宣告刑を考えればよいのではないかと思うわけです。
そうした解決の方向性を示唆する例として,東京高裁平成 17年 12月26日判決(判時 1918号 122頁)があります。この事件は家裁に起訴された児童福祉法違反(児童淫行罪)の訴因と地裁に起訴された児童買春等処罰法違反(児童ポルノ製造罪)の訴因とが,不起訴となった別の児童淫行行為をかすがいとして一罪の関係に立つという事案です。
 裁判所は,かすがいになる行為が起訴されないことによって被告人が必要以上に量刑上不利益になることは回避すべきであるとした上で,量刑に当たって,併合の利益を考慮し,量刑上の二重評価を防ぐような配慮をすれば,かすがいに当たる児童淫行罪を起訴しなかった検察官の措置も是認できるとしました。これなどは,あるいは同様の発想かもしれないと思うのです。もっとも,この判決は,お読みいただければ分かるとおり,緻密で慎重な利益衡量をした上で結論を導いています。私のような組雑な発想ではないので,その点は誤解のないようにお願いします。

(2) 今回の対談を振り返り,若干の反省を覚えるのは,かすがい理論により一罪を構成する事実からかすがい部分を除き併合罪として起訴することの適否について議論した部分である。かすがい外しの起訴がなされる理由についての筆者の見方は,議論の前提としてやや狭随に過ぎたかもしれない。筆者はそのような起訴がなされることがあるとすれば,その狙いは,専らかすがい理論の実体法的不都合さを回避することにあると考えていた。これに対し,今崎判事からは,それとは別の理由からそのような起訴がなされることもあるとの示唆がなされた。確かに,対談の中で紹介があった東京高裁平成17年12月26日判決の事案は,「被害児童の心情等をも考慮して」かすがいに当たる児童淫行罪が訴因から除かれた例であり,今崎判事の見方を裏付ける例といえる。それにもかかわらず,訴訟法学者としては実体法の方で正面から解決してほしいと言いたいという締め括り方をした点は,今崎判事のご指摘とかみ合わないところがあった。なお,平成17年の東京高裁判決については,川出敏裕・平成18年度重判解(ジュリスト1332号)が学習上の手引きとなろう。