児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・監護者わいせつ・不同意わいせつ・強制わいせつ・青少年条例・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録弁護人 奥村徹弁護士の見解(弁護士直通050-5861-8888 sodanokumurabengoshi@gmail.com)

性犯罪・福祉犯(監護者わいせつ罪・強制わいせつ罪・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法)の被疑者(犯人側)の弁護を担当しています。専門家向けの情報を発信しています。

児童淫行罪の際の撮影行為が余罪として考慮されていないか?

 製造罪の事物管轄に自信がないのか、最近起訴してないことがありますが、児童淫行罪の情状で立証してないでしょうね。併合罪説だと再起訴の可能性があるから好ましくないですね。

児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童保護等に関する法律違反、売春防止法違反、児童福祉法違反被告事件
広島高等裁判所平成14年12月10日
高等裁判所刑事裁判速報集平成14年158頁
判例時報1826号160頁
法学セミナー48巻12号123頁
 ところで、起訴されていない犯罪事実について、単に被告人の性格、経歴及び犯罪の動機、目的、方法等の情状に関する事実を推知するための資料として考慮することは適法であるが、いわゆる余罪として認定し、実質上これを処罪する趣旨で量刑の資料とすることは許されないと解される。他方、本件において、専属管轄を有する家庭裁判所である原審が、比較的近い時期になされた被告人の上記広島県青少年健全育成条例違反の事実や起訴されていない犯罪事実を、単に、被告人が上記B子と知り合った後、本件各犯行に至った経緯や犯行の動機、犯行後の状況等の情状を推知するための資料として考慮したに過ぎないと考える余地がないわけではない。しかしながら、原判決は、本件の罪となるべき事実を認定するのに必要かつ十分な証拠を挙示すれば足りる(証拠の標目)に、専ら又は主として余罪に関する上記証拠を挙示している上、(量刑の理由)の中で、上記のような説示をしていることに照らすと、原判決には、客観的にみて、本件公訴事実のほかに、現に他の裁判所に起訴されて係属中の広島県青少年健全育成条例違反の犯罪事実や起訴されていない児童買春及び売春の周旋並ひに淫行をさせた犯罪事実、あるいは被告人自身による児童数名との淫行の犯罪事実を認定し、これをも実質的に処罰する趣旨で被告人に対する刑を量定した疑いがあるといわざるを得ない。

最高裁判所大法廷昭和41年7月13日
【参考文献】最高裁判所刑事判例集20巻6号609頁
      最高裁判所裁判集刑事160号145頁
      裁判所時報453号2頁
      判例タイムズ195号114頁
      判例時報451号24頁
【評釈論文】警察研究47巻5号62頁
      警察研究48巻12号51頁
      ジュリスト373号341頁
      別冊ジュリスト21号88頁
      別冊ジュリスト44号122頁
      別冊ジュリスト68号146頁
      時の法令585号53頁
      日本法学34巻1号186頁
      判例評論97号45頁
      法学研究(慶応大)41巻10号120頁
      法学新報74巻11〜12号85頁
      法曹時報19巻1号171頁
      法律のひろば20巻9号21頁
 刑事裁判において、起訴された犯罪事実のほかに、起訴されていない犯罪事実をいわゆる余罪として認定し、実質上これを処罰する趣旨で量刑の資料に考慮し、これがため被告人を重く処罰することは許されないものと解すべきである。けだし、右のいわゆる余罪は、公訴事実として起訴されていない犯罪事実であるにかかわらず、右の趣旨でこれを認定考慮することは、刑事訴訟法の基本原理である不告不理の原則に反し、憲法三一条にいう、法律に定める手続によらずして刑罰を科することになるのみならず、刑訴法三一七条に定める証拠裁判主義に反し、かつ、自白と補強証拠に関する憲法三八条三項刑訴法三九条二項、三項の制約を免かれることとなるおそれがあり、さらにその余罪が後日起訴されないという保障は法律上ないのであるから、若しその余罪について起訴され有罪の判決を受けた場合は、既に量刑上責任を問われた事実について再び刑事上の責任を問われることになり、憲法三九条にも反することになるからである。
 しかし、他面刑事裁判における量刑は、被告人の性格、経歴および犯罪の動機、目的、方法等すべての事情を考慮して、裁判所が法定刑の範囲内において、適当に決定すべきものであるから、その量刑のための一情状として、いわゆる余罪をも考慮することは、必ずしも禁ぜられるところではない(もとより、これを考慮する程度は、個々の事案ごとに合理的に検討して必要な限度にとどめるべきであり、従つてその点の証拠調にあたつても、みだりに必要な限度を越えることのないよう注意しなければならない。)。このように量刑の一情状として余罪を考慮するのは、犯罪事実として余罪を認定して、これを処罰しようとするものではないから、これについて公訴の提起を必要とするものではない。余罪を単に被告人の性格、経歴および犯罪の動機、目的、方法等の情状を推知するための資料として考慮することは、犯罪事実として認定し、これを処罰する趣旨で刑を重くするのとは異なるから、事実審裁判所としては、両者を混淆することのないよう慎重に留意すべきは当然である。
 本件についてこれを見るに、原判決に「被告人が本件以前にも約六ケ月間多数回にわたり同様な犯行をかさね、それによつて得た金員を飲酒、小使銭、生活費等に使用したことを考慮すれば、云々」と判示していることは、所論のとおりである。しかし、右判示は、余罪である窃盗の回数およびその窃取した金額を具体的に判示していないのみならず、犯罪の成立自体に関係のない窃取金員の使途について比較的詳細に判示しているなど、その他前後の判文とも併せ熟読するときは、右は本件起訴にかかる窃盗の動機、目的および被告人の性格等を推知する一情状として考慮したものであつて、余罪を犯罪事実として認定し、これを処罰する趣旨で重く量刑したものではないと解するのが相当である。従つて、所論違憲の主張は前提を欠き採るを得ない。