最近なんかこんな論調多いですね。
幇助の裁判例を集めたわけでもなく、もともと無限定な「幇助犯」に異議を唱えるでもなく。
奥村もこんなこと書面に書くんですけど、刑事裁判所の仕事は、事実認定・法令適用・量刑に尽きるわけで、そのプロセスでこの事件を解決すれば任務終了です。
弁護団もベースは被告人に最善の結果を目指している。弁護人は、基準が示されようと、示されまいと、被告人が無罪とか軽い処分になればいいと思っていて、基準が示されても、被告人に不満な処分になることはあってはならないわけですよ。
当然のことですが、立法じゃなくて刑事裁判ですから、次々立件されて、ある程度判例を集積しないと基準は見えてこないというのが常識じゃないですか?2号、3号が検挙されて初めて基準が見えてくる。
京都地裁事件の一発勝負で、基準決められたら困るし、次はwinnyじゃないんだから、著作権法違反とは限らないんだから、winny基準は使えないですよ。かえって迷惑。
たとえば、児童ポルノの流通用のソフトを開発して公開したら、多少無理してでも「正犯」「upした者との共謀共同正犯」で起訴されると思います。感心しないけれど刑事司法にはそれくらいの柔軟性、悪く言えば場当たり的・泥縄的な面がある。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/news/061219_winny/
結局のところ、今回の判決でいちばんの問題は、どのような場合に著作権法違反のほう助犯となるのかを、種々の事情による「認識認容」があったのか、なかったのか、ということの認定に委ねてしまったことにあると思います。このような枠組みでは、「いかなる場合に処罰されうるのか」の基準が判断する者によってまちまちになり、恣意的な運用がなされる危険性が高くなります。その結果、ソフト開発行為を萎縮させる効果、すなわち処罰される危険性のあるソフトの開発行為を思いとどまらせる効果が必要以上に強く生じる恐れがあります。
最終的には著作権法を改正して、ほう助犯成立の要件を明確に規定するべきなのかもしれません。しかし、裁判所においても、いかなる場合に著作権侵害のほう助犯が成立するのか、逆に言えばソフト開発者はどのような点に注意しておけば処罰されないですむのか、その要件を明確に示すことが必要であると考えます。
基準がなくて、裁判所にも作れないんだったら、自分で作ればいいわけで、各種の「ガイドライン」というのがそれですよね。
たとえば掲示板の児童ポルノについては、厳しい刑事判決が続いたことなどを受けて、プロバイダたちは「削除ガイドライン」を作ってリスクを回避しています。本当は立法的解決がベストであることは承知の上で、立法府の腰が重いところ・手が届かないところを補充している。
ということで、萎縮・萎縮言ってないで、少しは火の粉を振り払う努力をしましょう。
追記
児童ポルノ罪の法令適用などを見ていると、地裁レベルでは、
量刑が先、法令適用(罪数処理など)は後
でやってることが明かですね。
法令適用なんて、法廷では「関係法条を適用の上」っていうだけでしょ。
刑法的にみるとほんとはだめなんで、控訴趣意書でも批判するんですけどね。刑事政策的にはそれもありかなあと思うんですよ。
そう言う意味で、奥村は裁判所のお仕事は評価しておるのでして、さらに、その量刑の理由付けである法令適用をチェックしてくれと吠えているわけです。